応援コメント

第225話 キカヨンの正体」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    大祓を終えると火の洗礼は落ち着きました。聖霊が助けになるとはこの事なのでしょうか?

    「キカヨン」気になります。とりあえずduckduckgo.comで調べました。一件ヒットしました。

    https://wikijp.org/wiki/Kikayon

    「トウゴマ」でも「キズタ」でも無いとあります。乱暴に考えると「トウ」=「藤」=「蔦」というわけで「藤原氏」というのはどうでしょうか?

     
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    カルマについて書き込んだコメントを誤って削除してしまいました。削除したままでも良いと思いましたがキリストの呪いに言及されていましたので、やはり、整理して再度書き込ませていただきます。

     
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    「呪い」であるとか「復讐」であるとか、仏教の影響か儒教の影響か「おこなってはならないこと」または「人格者ならしないこと」という印象があります。ましてや神や救世主が「呪い」や「復讐」など考えられない。いや、考えたくもないと思うのは人情でしょう。それでは恐ろしくて頼れない、依存できないではありませんか!

    しかし、摩利支天は初めから私に本当の事をいっていたのです。使い人に「宗教とは祟り事を教える。」と言わせました。祟り神ならいざ知らず、法の神が祟る?私には理解できませんでした。と言うよりは考えたくもありませんでした。しかし、嘘だとも断定できません、心の底では本当だと思っていたからです。また、この法の神は「賞罰を明らかにする事が勤め」とも言っていました。

    「賞罰を明らかにする」=「カルマの法」なのですが、つまり、「カルマの法」=「祟り」と解釈するとスッキリするのです。カルマは祟りであり、女神の復讐なのだとすれば、善悪で相殺とかプラスマイナスとか預金通帳に例えた帳尻会わせなど面倒な事は要らないわけです。

    初めに報奨を受けたものは勢いがつき、より多くもらえ、初めに罰を受けた者は罰を恨み坂を転げるように落ちていきます。しかし、報奨を受け続けた者もいつしか傲り高ぶり転落していきます。これを無限に繰り返すわけです。

    よく世間で耳にします。「善い行いをすると善いことがある。悪い行いをすると悪い事がある。」本当でしょうか?倶舎論議にはこうあったと思います。うろ覚えですが「善因楽果。悪因苦果。稀に異オンを生ず。この法は善悪を越ゆ。」異オンは漢字を忘れてしまいました。意味は「善因楽果。悪因苦果」とはならない事があるの意味であったと思います。

    つまり「善いことはしてもつかの間の楽がもたらされ、悪い事をしてもつかの間の苦があるだけです。さらに、そうならない事もあり、しかも善悪を越えている。」という状態を繰り返すというわけです。プラスマイナスもありません。通帳の帳尻会わせなど出来ません。善悪の相殺などというのは幻想です。こんな状態「祟り」と言った方が分りやすいと思います。

    釈尊がキリスト以前に目にした世の光景はこのようであったと言う事です。その対処法が仏法でした。とにかく、この状態から抜け出なさい。と説いたのです。「祟り」であり「呪い」であり「復讐」ですから抜け出る以外助かる道はありません。

    何に対する「復讐」なのか?それは「人間が台無しにされた」事への「復讐」です。人が当たり前のようの持つ「悲しみ」という感情は宇宙の果てからやって来る女神の悲しみが大元です。「人間が台無しにされた」女神の悲しみです。それを怒りへと「復讐」へと駆り立てる姿が摩利支天です。ギリシャ人が復讐の女神と呼んでいた神は摩利支天です。

    ・・・因みに、摩利支天のもうひとつの姿は白山比売ですが、こちらはギリシャ神話では女神アテナです。日本では水の神・光の神と言われていますが光、すなわち智慧です。現在「金星」呼ばれている星が、本来の「水星」なのですが、その水星に君臨する女神ですので「水天宮」と呼ばれています。ルチフェルの憧れです。ルチフェルはこの女神の元に行きたかったようです。その憧れの女神からルチフェルは復讐を受けているわけですが、高慢なルチフェルは認めたくないのでしょう。カルマの法を「女神の祟り・呪い・復讐」と認めたくないようです。・・・

    ルチフェルに取り付かれた人間は、ルチフェルと共に無限に輪廻転生を繰り返すという「呪い」をかけられたと考えると、何故、救世主が必要だったのか理解できます。人間まで巻き込まれているのですから…。

    そして、キリストの到来により、この「祟り・呪い・復讐」が祝福を受け「学び・成長・教育」へと変化したのです。

    もともと善悪を越えている法ですのでルチフェルの救済にもなるようです。しかし、ルチフェルの救済には「ただし」が付きます。それは「ルチフェルが取り付いている人間が自らの意志でキリストの元へ行ったときルチフェルも共に救われる」というものです。ルチフェルが人間を誘惑している限りルチフェルは救われないと言う事です。

    しかし、女神の復讐の後に、今度は、キリストの無花果を枯らす呪い。次はトウゴマ?とは念が行っています。やはり、鬼より怖いのは…です。