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2022年6月30日 11:32 編集済
ヒロソ様。キリスト教の霊的な実態が見えてきました。ここ迄こじれているとは深く考えていませんでした。深く考えずに「人にはキリストの導きだけで良いのではないか。」などとという問題発言をしてしまった為に、今、私はキリストの火の洗礼を受けているのでしょうか?火の洗礼の事をすっかり忘れて発言していました。正直、火の洗礼はキツイのです。また、二枚目キリスト教が平気でキリストだけの信仰を進められるのも、落ち着いて偽善者を演じられるのも、それが、偽キリストどころか「人間の鋳型」であったが為に、出来たことなのだと痛感しました。はっきり申し上げて、キリストだけでは人は耐えられません。焼かれて直ぐに灰になってしまいます。これはR.シュタイナーの言う通りで、太陽のみでは燃焼が速く、人は何も学べずに灰になってしまいます。燃焼を遅らせる月が必要です。つまり、聖霊が必要です。教会に本当のキリストがいたら、人々は、その熱に耐えかねて清涼な水のような聖霊を求めたでしょう。キリストのみなどと悠長な事は言ってられなかったと思います。ところが、実際、礼拝堂にいるのは良くても「人間の鋳型」です。熱など感じないどころか、清涼飲料水のような心地よさです。それはそうでしょう人間の鋳型は教えも説かなければ、何をやっても叱る事もありません。とっても好い人です。人間同士で和気あいあいとやっていける訳です。「彼だけで良い!」そう思うのも無理もありません。教会は一服の清涼剤「慰めの場」となります。私は「人間の鋳型」と思われるビジョンを見た事があります。・・・私には白い髭をはやした老修道士の姿に見えました。その時、私は孤独で肉体を持つ導師を求めていたのかも知れません。・・・その、老修道士はその時に、私が心の底で一番かけてもらいたい言葉を発しました。「可愛そうに!」。私はゾッとしました。その言葉は私がかけてもらいたいと欲する言葉でしたが、その時の私に絶対にかけてはいけない言葉だったからです。真の導師であったなら、この言葉をかけなかったことでしょう。「人間の鋳型」は人が一番かけてもらいたい、自分に言ってほしい言葉をかけてくれます。それが本人の為にならなくてもです。また、その人が好む姿に見えます。それで、二枚目は「慰め」を連呼していたわけですね。キリスト教で良く耳にする「慰め」「憐れみたまえ」は、神道の観点からは意味のない言葉のように感じられます。というのは、つい讃美歌を口ずさんでいたら、神々に「憐れむだけで良いのか?」と問われたからです。「慰め」「憐れみたまえ」は『救う力の無い二枚目』の誤魔化しであったようです。そこで「白石 宇井」ですが・・・ヒロソ様。「白石 宇井」は聖霊ですね。白に代表される聖霊、つまり、伊勢の大御神の御名代を勤める「摩利支天」=「白雲神社」を中心とした神国の守護神軍団です。ヒロソ様が伊勢神宮をキリストの宮と思われた理由が解ったように思います。「母」と呼ばれたのも伊勢神宮なら理解できます。ヒロソ様を二枚目の魔の手から逃れさせたのは「白い月の女神」たちであったようです。「人間の鋳型」に捕まらなくて本当に良かったと思います。やはり、ヒロソ様。日本の神々と縁がおありなのでしょう。キリストと仰るので国津神のスサノオノミコトと縁があるのかと思ってしまいました・・・キリストの弟子になれるのは国津神迄です。現在のキリストの位階は国津神の稲荷様と同等です。キリストは「火之神・大天使」の位階まで降りているからです。同等ですので弟子とは言いません。輩トモガラでしょうか?・・・ヒロソ様は伊勢の為に亡くなった英霊かもしれません。「自分は伊勢の為に尽くした。靖国の為では無い!」でしょうか?是非とも伊勢にお参りください。
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ヒロソ様。
キリスト教の霊的な実態が見えてきました。ここ迄こじれているとは深く考えていませんでした。深く考えずに「人にはキリストの導きだけで良いのではないか。」などとという問題発言をしてしまった為に、今、私はキリストの火の洗礼を受けているのでしょうか?火の洗礼の事をすっかり忘れて発言していました。正直、火の洗礼はキツイのです。
また、二枚目キリスト教が平気でキリストだけの信仰を進められるのも、落ち着いて偽善者を演じられるのも、それが、偽キリストどころか「人間の鋳型」であったが為に、出来たことなのだと痛感しました。
はっきり申し上げて、キリストだけでは人は耐えられません。焼かれて直ぐに灰になってしまいます。これはR.シュタイナーの言う通りで、太陽のみでは燃焼が速く、人は何も学べずに灰になってしまいます。燃焼を遅らせる月が必要です。つまり、聖霊が必要です。
教会に本当のキリストがいたら、人々は、その熱に耐えかねて清涼な水のような聖霊を求めたでしょう。キリストのみなどと悠長な事は言ってられなかったと思います。
ところが、実際、礼拝堂にいるのは良くても「人間の鋳型」です。熱など感じないどころか、清涼飲料水のような心地よさです。それはそうでしょう人間の鋳型は教えも説かなければ、何をやっても叱る事もありません。とっても好い人です。人間同士で和気あいあいとやっていける訳です。「彼だけで良い!」そう思うのも無理もありません。教会は一服の清涼剤「慰めの場」となります。
私は「人間の鋳型」と思われるビジョンを見た事があります。・・・私には白い髭をはやした老修道士の姿に見えました。その時、私は孤独で肉体を持つ導師を求めていたのかも知れません。・・・その、老修道士はその時に、私が心の底で一番かけてもらいたい言葉を発しました。「可愛そうに!」。私はゾッとしました。その言葉は私がかけてもらいたいと欲する言葉でしたが、その時の私に絶対にかけてはいけない言葉だったからです。真の導師であったなら、この言葉をかけなかったことでしょう。
「人間の鋳型」は人が一番かけてもらいたい、自分に言ってほしい言葉をかけてくれます。それが本人の為にならなくてもです。また、その人が好む姿に見えます。
それで、二枚目は「慰め」を連呼していたわけですね。キリスト教で良く耳にする「慰め」「憐れみたまえ」は、神道の観点からは意味のない言葉のように感じられます。というのは、つい讃美歌を口ずさんでいたら、神々に「憐れむだけで良いのか?」と問われたからです。「慰め」「憐れみたまえ」は『救う力の無い二枚目』の誤魔化しであったようです。
そこで「白石 宇井」ですが・・・ヒロソ様。「白石 宇井」は聖霊ですね。白に代表される聖霊、つまり、伊勢の大御神の御名代を勤める「摩利支天」=「白雲神社」を中心とした神国の守護神軍団です。
ヒロソ様が伊勢神宮をキリストの宮と思われた理由が解ったように思います。「母」と呼ばれたのも伊勢神宮なら理解できます。ヒロソ様を二枚目の魔の手から逃れさせたのは「白い月の女神」たちであったようです。「人間の鋳型」に捕まらなくて本当に良かったと思います。
やはり、ヒロソ様。日本の神々と縁がおありなのでしょう。キリストと仰るので国津神のスサノオノミコトと縁があるのかと思ってしまいました・・・キリストの弟子になれるのは国津神迄です。現在のキリストの位階は国津神の稲荷様と同等です。キリストは「火之神・大天使」の位階まで降りているからです。同等ですので弟子とは言いません。輩トモガラでしょうか?・・・ヒロソ様は伊勢の為に亡くなった英霊かもしれません。「自分は伊勢の為に尽くした。靖国の為では無い!」でしょうか?是非とも伊勢にお参りください。