第222話 堂々の虚偽

「あいつ嘘ばかりつくよ」

  「そりゃひどい」

「鬼憑きかな?」

  「間違いない」


・・・


日常で嘘をついたら許されないが、「鬼憑き」は平気でそれをやる。


我々が鈍感に暮らしていると、鬼はこっそり「ほころび」を広げてしまう。


実に巧妙。


人々を如何に巧く騙すか・・・

それが鬼の主眼なのだ。




 ■芝居小屋に生きる人類


昔の常識はこうだった。


→ 芝居は「歌舞伎座」や「劇場」に足を運んで楽しむもの


ところがある時期、「放送」の技術が完成し、民衆はお茶の間で芝居を楽しめるようになる。


しかしそれが、日常に堂々と嘘を垂れ流す装置と化して行った。


芝居と真実の境目がはっきりしない事もしばしば。


敏感でないと

→ 虚偽を真実と思い込まされる


「娯楽」という名を使えば、大衆は当たり前のように、騙されて喜んでくれるのだ。


これは、夜の悪夢なのか?


真実と芝居を織り交ぜながら提供している組織の名は?


→ マスコミ



ハリウッドもニュースも、同じ画面から飛び出して来る。


実際、どこからが本物で、どこからが芝居であるかを曖昧にされる場合がある。


芝居を含みながら、真実の皮を被って流された・・・そんな事件もあった。


記憶に残る


→ ナイラの涙


* それは湾岸戦争に踏み切るため、憤りの空気を醸成した。

(実は「芝居」であった)


マスコミがニュースの前に、「これは真実です」と告げ、ドラマの前に「これは虚偽です」と宣言するわけでもない。


※ ニュースは時々、些細な間違いを訂正し、「如何に真実を大切にするか」を演じたりもしている。


製作者側の良心を信じる民衆は、彼らに裁量権を与えて来た。


しかし放送は「222」の世界であり、この数字の意味は


→ 「見分けなさい」


ここに、夜を支配する「鬼」の濃厚な関与がある。


それを丸呑みしていた我々は、眠りに落ちていた。


その意味ではマスコミも


→ トウゴマ


しかもそれは、全世界を覆う巨大な樹木。




 ■教えを守った日本


イエスは奇妙な命令を発している。




ヨハネ

12:16

そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。


12:17

これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、


12:18

「見よ、わたしが選んだ僕、

わたしの心にかなう、愛する者。

わたしは彼にわたしの霊を授け、

そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。


12:19

彼は争わず、叫ばず、

またその声を大路で聞く者はない。


12:20

彼が正義に勝ちを得させる時まで、

いためられた葦を折ることがなく、

煙っている燈心を消すこともない。

12:21

異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。




日本の神は伊勢に祀られ、

その実質は


→ イエス


しかし、名は伏せられ、こんな符丁が使われている。


→ 天照大神


日本の先人は、ヨハネ12章16節を忠実に守っていた。




 ■癒やしについて


以下の聖句は

「見分けなさい」と教えている。




12:22

そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。


12:23

すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。


12:24

しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。


12:25

イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。


12:26

もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。


12:27

もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。




「魔女狩り」を思い出そう。


彼女たちがもし、患者の一人も癒やしていなかったとすれば、それは「魔女」と呼ばれて当然だろう。


しかし、彼女たちは「自然療法の薬剤師」であった。


もし、患者を一人でも癒やしていたのなら、それを火炙りにした連中は「見分ける目」を持っていなかったのだ。




 ■人は鬼と戦い始める


神の国がやって来ると、明るさが増し、「民の目」が開ける。




12:28

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。


12:29

まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。


12:30

わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。



イエスと共に集めているのは

聖霊の業・・・




12:31

だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。


12:32

また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。




鬼と戦う者は、イエスの木(組織)を見分けなさい・・・との示唆だ。




12:33

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。




日本には「実質」という言葉がある。

それはイエスの話と合致している。




12:34

まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。



「マムシ」の「マ」には、「始めからの」という意味も重なっている。


※ 「出発に間に合った」という表現は、「始まり(マ)にしがみついた」という意味である。




楽園でイブを騙したあの「蛇」が「マ・ムシ」であった。


「如何に騙そうか」


そればかり考えている鬼の仲間である。



「倉」は「暗がり」を意味し、意識における闇の部分だ。




12:35 (倉の実質)

善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。


12:36 (全ては記録に残っている)

あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。


12:37

あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。





 ■印はヨナ書しかない


12:38

そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。


12:39

すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。


12:40

すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。


12:41

ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。


12:42

南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。



「ソロモンに勝る」は「聖霊を得た者」に関する表現。


イエスは聖霊と共に働く人だった。


そこで人間は、霊の目から「家」のように見なされる・・・という実情を教えている。




12:43

汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。


12:44

そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。


12:45

そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。



この予言は強烈。


残念だが、日本を含めたイエスの弟子は「悪くなっている」と言うしかない。


指導者を見分けよう。




 ■毒麦の例え


イエスはヨナの受難(魚の腹に呑まれる)時期から「再臨」までを、こう例えた。


→ 眠っている


イエスが眠り、人々も眠る。

それは「夜の時代」を意味している。




13:24

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。


13:25

人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。


13:26

芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。


13:27

僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。


13:28

主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。


13:29

彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。


13:30

収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。




「収穫の時期」は、再臨の時。

立ち会えるなら、実に幸運。


しかしその頃の畑は、「毒麦だらけ」になっているだろう。




 ■世界に君臨する木


13:31

また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、


13:32

それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。




「辛子」は「枯らし」。


パウロがローマに広めたキリスト教は巨木になり、その気になれば全世界のどんな宗教でも枯らしてしまう。


現にそれは、戦争の爪痕からも理解できるだろう。


その組織は、日々の食物も提供している。




 ■異邦人のパン


13:33

またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。



それは火で焼いてこそ食べ物となる。

つまり、自己反省を経なければならない。



※ その意味では、古くなった「餅」も同じだ。


日本神道の教えも一度、火を通さなければ食べられる状態ではない。


麦の食物には「毒」も混じっている。

理由は「二枚目」が絡んでいるからだ。




13:38

畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。


13:39

それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。


13:40

だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。




人々の食物(パン)は、選別と調理が必要とされている。


「終わりの日」にそれが始まる。




13:41

人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、


13:42

炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。


13:43

そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。




聴いて目覚めよう。


我々の日常には

「堂々の虚偽」が混じっているからだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る