第221話 真の神は日本を断捨離しない
「処断するってカットでしょ?」
「ちょっと違うらしい」
「なら英語にある?」
「ダンプ!」
「えっ? どんな意味?」
「捨てる!」
「へー」
・・・
実は「ダン」が二つある。
【dump】ダンプ
1.捨てる処分する、見限る。
2.投げ売りする。
3.器を空にする。
【dam】ダン
1.借金取り。
2.しつこく迫る。
「1」は、処断、断捨離の「断」。
「2」は、断言の「断」。
2は「談判」の「ダン」のように、良い意味で粘り強く食い下がること。
そのあたりはまるで、
「前の神」と「後の神」。
前者はあっさりと民を捨ててしまったが、後者は「断じてそんな事はしない」と告げるだろう。
■日本を捨てた前の神
聖書の神は、密かに入れ替わっている。
ホレブでそれが起きた。
モーセは山の神に二度呼ばれ、二度登っている。
そこで神が入れ替わっていたのだ。
1.「前の神」に面会した時、イスラエルは背教して粛清され多くが死んだ。
※ 出エジプト記19章〜32章
2.「後の神」は穏やかで、山を降りた時にモーセの顔の皮膚が光っていた。
※ 出エジプト記33章〜
日本語に「顔が輝く」という表現があるが、これは「後の神」と出会ったモーセが希望に燃えたからだと考えている。
モーセは「後の神と歩みたい」と切望し、それは最終的に実現した。
後の時代に、ユダの都はイエスを迎え、「一枚目」のイエスは民を暖かく包んでくれた。
神の眼はイスラエル支配層の腐敗を見抜いていたが、虐げられる民衆のためにメシアが来てくれたのだ。
こうして民は、
夜の神から昼の神に移された。
そんなわけで、
旧約では「一枚目」「二枚目」と呼ばず、「前の神」「後の神」と呼ぶ。
(新旧で表現が逆になる)
前の神→ 二枚目(もどき)
後の神→ 一枚目(本物)
日本語は漢字を混用しており、「断」の用法も混合している。
それは、「女」を追って来た龍の仕業だ。
「蛇が女の後ろに水を吐いた」
「蛇」(龍の勢力)は、土の民に腹を密着して暮らしている。
それは聖書が教えるように、「女」(天皇家)の後ろに水を吐いた。
異教を排除すべき立場の聖徳太子が、仏教を奨励した歴史にも驚くが、それもやはり「後ろの水」に押されたからだろう。
戦後の天皇家は更に、「巨大な星の神」と結びついてしまった。
水面下で多くの搾取が黙認されて来た。・・・それも今、ほぼ周知に近い状態。
この先、衝撃の情報が提示されるだろう。
しっかり、心の準備をしておこう。
だが、これだけは言える。
真の神は断じて日本の民を捨てない・・・「断捨離はしない」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます