第216話 神の名と信実の国

「なぜか邪魔が入る」

  「どうした?」

「キーボードが暴走して」

  「鬼かも」


・・・

キーボードで打ち込みが出来ない。

(今まで5台壊されている)


ここまで来ると、鬼の妨害を感じない人はいないだろう。


鬼が、なりふり構わぬ妨害を入れてくる時、そのテーマが鬼の死活問題に繋がっている可能性が高いのだ。


その最大は


→ 神の名



 ■徹底阻止された神の名


聖書は普段から改竄(かいざん)のターゲットだ。


それでも、注意深くやれば読み取りは可能。



楽園から追い払われたアダムとイブは、鬼の懐に入った。


鬼は神の地位に座り、文明を与えたが、好き放題の生殺与奪を繰り返した。


しかし、人類を心配する天の神は時々、救いの介入を与えている。


「ちっ!」

「余計な事を」


鬼はそう考えたはず。


しかし天が放置すれば、鬼はまた大洪水をやらかすような連中である。


→ 好き放題の世界だ



釈迦は教えている。


「世に神はいない」


だから人類は諦めて生きるしかない・・・と。


これが原始仏教の結論だった。


しかし釈迦は、後の世の希望も告げている。


「私より偉大な人が来る」


「イエス出現の予告」だったが、鬼はたちまち砂を掛けて予言を隠し、教えをガンターラに移動させ、偶像崇拝の衣で覆ってしまった。


こうして鬼は、真理の出現を見張っており、世に出た瞬間、あっという間に隠してしまうのだ。


(阿の早業である)



イエスが「世の神」と呼んだルシファーが、全世界を掌握しているからこそ、釈迦は「この世に神はいない」と諦めを説いたのだ。


メシアの登場で夜は明るくなったが、イエスが去ると、鬼は早速「隠蔽」を始める。


残された真理に砂を掛けて隠しまくった。


その最大が「神の名」である。


名を知られると、頭痛の種になるからだ。


聖書から「神の名」を探してみよう。


決して見つからない。



 ■エホバは駄目ですか?


鬼は人々に創造主の名を教えたくなかった。


それで、理由付けを考えた。


→ 「軽々しく口にするな」


「恐れ多い」というのだ。


一般大衆には決して教えず、子音文字「YHWH」(IHWH)で代用させた。


※ テトラグラマトンの、「Y」と「I」は互換である。中国ではどちらも「イ」と発音する。



聖書では、多くの場合「主」という代名詞が使われているが、よく考えよう。


人々が神の名を知らないと、彼らはペットや靴の名、またオムツなどの商品名にその名を採用するかも知れない。


その方が、よほど失礼ではないだろうか?


つまり、「恐れ多い」とは「鬼の言い訳」であり、実は彼らこそがその名の流布を恐れているのだ。


当然、神の子イエスは、「父の名を明らかにした」と告げている。


鬼が名を隠したので、子がそれに光を当てたのである。


※ 「名を隠す」、また「すり替える」行為こそが「闇の技」だ・・・これに世の中全体が気付かねばならない。



では、「エホバ」という名について、その成立過程から考えよう。



ある時、ユダの都がバビロンに占領され、多くの識者が捕囚として連れ去られた。


ユダヤの写字生は、バビロンという異国においても仕事を続け、一般人に読めない子音文字「YHWH」に「アドナイ」(主)という文言を組み入れ、「エホバ」という言葉を製造した。(結果的に)


※ YHWH アドナイ でウェブ検索してみよう。



バビロンといえば、「あらゆる邪気の籠る都」とされている。


そこで製造された名には、当然、鬼の影響が及んでいるだろう。


イエスは決して、その名を口に出していない。


「主」は、ヘブライ語で「バアル」(バール)と発音するが、同じ名の邪神が存在するからである。

(略して「バー」)


それは非常に危険な名前だ。


聖書を熟知している研究者なら、それを敢えて採用などしないだろう。




 ■ヒントは日本にある


何度も告げているが、聖書からのヒントはこれだ。


→ 神は「岩」である


現代日本語では「イワ」と読むが、古語での発音は


→ イハ


そこに敬称を付して


→ イハ・ウエ


いや、そうじゃない・・・

「上様」の「ウエ」は、古語で


→ ウヘ


総合すると


→ イハ・ウヘ


子音文字の「IHWH」と、見事に一致する。

(IHWH = YHWH)


このうち、純粋な創造主の名は


→ イ(I)


鬼が恐れる名は、漢字で


「意」(意識の存在)

「偉」(偉大な存在)

「居」(当初から居る)

・・・

「居」の文字は出エジプト記3章14節の聖句にも整合する。



出エジプト記3章

14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。



「有って有る者」は、

「居て居る者」と互換である。


日本では「居間」という言葉を使うが、「有間」は無い。



【居間】

ふだん居る部屋。

居室。


※ 「有り」は物質にも使われるので、人格的存在に相応しくないと思われる。


もし、日本に生まれていなかったら、こうした考察は不可能だっただろう。


正に日本は、

「神の名と信実の国」だった。


鬼が群がるのも当然としか、言いようがないのである。


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