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2022年6月19日 10:55 編集済
ヒロソ様。現在は起きている事はDSと呼ばれている存在の勢力争いと言われています。彼らなりの解釈の聖書の予言や黙示録にのっ取り、物事を進めているように思えます。しかし、そこはむりくりの解釈、しかも、少なくとも二つの勢力のそれぞれの解釈があるようなので、予定通りにはいかないのではと思います。もっとも、聖書の予言など理解できない私には、彼らがどのような解釈を加えたのかさえ解りません。しかし、我田引水の解釈がぶつかり合っている事は理解できます。聖典を利用した茶番は何時まで続くのでしょうか?何であれ、よい方向に転べばと思っています。しかし、この「沈黙」は気にはなっていました。と言いますのは、修行の過程で「欲望」或いは「自尊心・虚栄心」を捨てた時に、このような「沈黙とも言える状態」になるからです。何故そうなるのか?それは、今まで自分自身を駆り立てていた「欲望」という「行動の動機」を失うからです。「欲望」が「行動の動機」にならなくなった時、別の「行動の動機」「自分を駆り立てる力」を必要とするのですが、それが見つからない状態です。ドン・ファンの教えでは「内省」が今まで私達の行動を指示していた。その「内省」を黙らせ「沈黙」に達したとしても、その「内省」にかわる「本当の自分の心」は隅に追いやられ、その声も小さく聞き取れない。という状態です。極悪なDSの影響力がなくなっても、今まで極悪な力で運営されていた社会は、その動かす力を失い立ち止まってしまうということです。それにかわる「社会を動かす力」が見いだされない限り、社会は停滞してしまうことでしょう。本来は修行者が個々に体験していた事を、社会全体で体験しているかのようです。キリスト・イエスによって人の目から隠されていた秘儀参入が白昼人前で行われた。これがラザロの復活だと言いますが・・・この事がキリストの磔刑に繋がったようです。所謂、秘儀の漏洩の罪を問われたようなのです。・・・秘儀参入が万人にもたらされた瞬間です。それから二千年の時を経て、社会全体が秘儀参入の過程を辿っているようです。人類全体のエーテル界への上昇が意図されているのだと思われます。こういう状態になった時。R.シュタイナーは「…彼の地上的な部分がどれ程力を失い、弱さを示すようになっても、彼は何度でも自分を支え、そして高めてくれる霊的な部分を求めて闘う。彼はどんな状況の中でも未来に向かって生きることができなければならない。…」(「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」ちくま学芸文庫 p.89~)と励ましてくれます。しかし、ドン・ファンは…新しい繭が脛のところまで育たなければ(自分の本当の心は)役に立たない。ここからが戦士の地獄の始まりだ…と突き放した調子です。何れにしましても、トランプが極悪を退けてくれたとしても、物質を越えて欲望や虚栄心にかわる「行動の動機」を見つけない限り、地獄が待っている予感がします。目覚めた後の行動が試されます。黙示録に描かれている事は、人類が物質界を完全に後にする時の光景のようですが、現在のエーテル界への上昇時にも、似たような事になるのでしょう。その、真実の黙示録の解釈に二つの我田引水の解釈が加わり混迷を極めているようです。
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ヒロソ様。
現在は起きている事はDSと呼ばれている存在の勢力争いと言われています。彼らなりの解釈の聖書の予言や黙示録にのっ取り、物事を進めているように思えます。しかし、そこはむりくりの解釈、しかも、少なくとも二つの勢力のそれぞれの解釈があるようなので、予定通りにはいかないのではと思います。
もっとも、聖書の予言など理解できない私には、彼らがどのような解釈を加えたのかさえ解りません。しかし、我田引水の解釈がぶつかり合っている事は理解できます。聖典を利用した茶番は何時まで続くのでしょうか?何であれ、よい方向に転べばと思っています。
しかし、この「沈黙」は気にはなっていました。と言いますのは、修行の過程で「欲望」或いは「自尊心・虚栄心」を捨てた時に、このような「沈黙とも言える状態」になるからです。
何故そうなるのか?それは、今まで自分自身を駆り立てていた「欲望」という「行動の動機」を失うからです。「欲望」が「行動の動機」にならなくなった時、別の「行動の動機」「自分を駆り立てる力」を必要とするのですが、それが見つからない状態です。
ドン・ファンの教えでは「内省」が今まで私達の行動を指示していた。その「内省」を黙らせ「沈黙」に達したとしても、その「内省」にかわる「本当の自分の心」は隅に追いやられ、その声も小さく聞き取れない。という状態です。
極悪なDSの影響力がなくなっても、今まで極悪な力で運営されていた社会は、その動かす力を失い立ち止まってしまうということです。それにかわる「社会を動かす力」が見いだされない限り、社会は停滞してしまうことでしょう。本来は修行者が個々に体験していた事を、社会全体で体験しているかのようです。
キリスト・イエスによって人の目から隠されていた秘儀参入が白昼人前で行われた。これがラザロの復活だと言いますが・・・この事がキリストの磔刑に繋がったようです。所謂、秘儀の漏洩の罪を問われたようなのです。・・・秘儀参入が万人にもたらされた瞬間です。それから二千年の時を経て、社会全体が秘儀参入の過程を辿っているようです。人類全体のエーテル界への上昇が意図されているのだと思われます。
こういう状態になった時。R.シュタイナーは「…彼の地上的な部分がどれ程力を失い、弱さを示すようになっても、彼は何度でも自分を支え、そして高めてくれる霊的な部分を求めて闘う。彼はどんな状況の中でも未来に向かって生きることができなければならない。…」(「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」ちくま学芸文庫 p.89~)と励ましてくれます。
しかし、ドン・ファンは…新しい繭が脛のところまで育たなければ(自分の本当の心は)役に立たない。ここからが戦士の地獄の始まりだ…と突き放した調子です。
何れにしましても、トランプが極悪を退けてくれたとしても、物質を越えて欲望や虚栄心にかわる「行動の動機」を見つけない限り、地獄が待っている予感がします。目覚めた後の行動が試されます。
黙示録に描かれている事は、人類が物質界を完全に後にする時の光景のようですが、現在のエーテル界への上昇時にも、似たような事になるのでしょう。その、真実の黙示録の解釈に二つの我田引水の解釈が加わり混迷を極めているようです。