第171話 牛頭天王とバール

「あんた欲張る人ね」

  「なんで?」

「夜中にこっそり食べてる」

  「むふふ」


・・・

「欲張る」と来れば

→ 「バール」


1 欲バール

2 区バール(配る)

3 威バール(威張る)


この神の掘り下げは重要だ。


バール(Baal)とは

セム語で「主」「所有者」の意味。


バアル、ベル、ベロ、バーなどとも発音したようだ。


地の農産物の収穫 を増やし、人々の多産を可能にする豊饒神、多産の神とされている。


元々、古代カナンとフェニキヤで崇拝されていた最高神。


彼らの神話によれば「太陽の主神エルに次ぐ」存在。


甲冑に身を固め、稲妻を表す槍を地に突き立て、雌牛に乗る姿で描かれる。


士師の時代、イスラエル人の生活に侵入。(士師記3:7)


アハブ王の時代に広くはびこり、

(1列王記16:31-33)

ユダにも影響を及ぼした。

(2歴代誌28:1-2)



当初は受け入れていた選民も、その弊害を避けるべく、紀元前8世紀からは邪神として排撃された。


ところが、一度侵入したら簡単に消滅しないのが邪神。


様々な形で民は崇拝を続けていたようである。


問題は生贄の要求だ。

バールを宥める捧げ物として、長子が要求されている。

(エレミヤ19:5)



※ この「長子を要求」という語句が大きなヒント。聖書中でも、長子を生贄に要求する神は偽(鬼神)である。




 ■聖書の中のバール


バールの祭司たちは、自分の体を傷つける儀式も行っていた。

(列王記18:28).



約束の地を目指した選民は、「カナンの神々を崇拝するな」と警告を受けていた。

(申命記14-15)


しかしイスラエルは、それを取り入れてしまう。


アハブとイザベルの治世にバール礼拝が蔓延し、神は預言者エリヤを通して直接対決を行った。


1 3年半の干ばつ

(豊穣の神はバールじゃない)

(1列王記17:1)


2 カルメル山での対決

エリヤが、450人のバール祭司と対決する。


※ バールの祭司たちは、稲妻の神バールに祈った。

「天から火を送って下さい」


ところが、声も答えもなく、完全無視。

(1列王記18:29)


次にエリヤが祈ると、即座に天からの火が下った。(天火)


敵も認めるしかない。


→『主こそ神です』


(39節)


イエスはサタンをこう呼んだ。

→ ベルゼブル

(マタイ12:27)


それは、ペリシテ人の神

バアル・ゼブブ

(2列王記1:2)


旧約聖書のバアリム(バールたち)は、鬼(悪霊)が神々に化けているに過ぎない。


偶像礼拝は全て、悪魔を拝んでいるのである。

(1コリント10:20)


※ 日本の神道の宮は、偶像が置かれていない。


しかしその日本にも、生贄の儀式が存在していた。




 ■堂々たる生贄


祇園祭のお稚児さん

(Reapiiii より引用)


京都の夏には、有名な祭りがある。


→ 祇園祭


それが実は「生贄祭り」だった。


「えーっ!」

  「本当?」


京都・東山の八坂神社が主催する。


日本の三大祭りは

1.京都 祇園祭

2.大阪 天神祭

3.東京 神田祭


祇園祭の山鉾巡行に→ お稚児さん(男の子)が登場。


(最近は女の子もいる)


長刀鉾に乗る晴れ姿に、

良家の子供たちが選ばれる。


「僕も出たかった」

  「費用かかるよ」

「いくら?」

  「2千万」

「ギョーッ」


その稚児が、

実は生贄(その象徴)というのである。


実に驚きだ。

それじゃなぜ続いているのだろう?



祇園祭とはそもそも平安時代、

疫病退散のために始まった祭。


解説

京都で疫病が流行り、多くの人が亡くなったので、幼い子を神への生贄にしたという。


何人も捧げて疫病を鎮めようとした。


本当だろうか?


京都といえば「天皇家」。

その公認とは思えないのだが。



祇園祭の神は?

→ スサノオノミコト

  素戔嗚命

 (牛頭天王)


※ 「牛頭天王」は当初、インド「祇園精舎」の守護神であった。・・・祭りは牛の頭を持つ神を継承しているわけだ。


(引用感謝)




 ■角を生やしたモーセ


神の子イエスが光を運ぶまで、神の民は闇の中にいた。


旧約聖書には、「牛頭天王」のモデルに思える人物が描かれている。


ホレブの山で、

「最初の神」と対面したモーセである。


山を降りてきたモーセは、金の子牛を崇拝し、浮かれ騒いでいる民を見た。


彼は怒り、その背教者たちを粛清する。


この時、モーセの頭に「角が生えていた」・・・そう思わせる情報がある。


※ 西洋美術の中に、「角のあるモーセ」の彫刻が存在するのだ。


これは、「聖書の誤訳によるもの」との解釈があるが、実は「本当に角が生えていた」と読んでいる。


「角」といえば、日本独特の表現を思い出した。


巷で亭主が遊び呆けていると、日本の友人はこう言う。


「やばいよ」

「山の神が角を生やしてるよ」


家で待つ奥さんの心境を代弁しているのだ。


しかし「角」とは?

「妻」がどうして「山の神」?



日本独自の文化も奇妙。


結婚式で花嫁は、「文金高島田」→「角隠し」で身を固める。


なぜ「角隠し」を?


結婚式は「神事」。

それで、次の三者が重なっているかに思えた。


1 新妻

2 神の花嫁(選民)

3 選民代表(モーセ)


先人は常に、ホレブの山のモーセを思い出していただろう。


そう考えなければ、

「角隠し」という言葉が説明できない。


いずれにしても、

モーセの粛清によるショックは、民族の伝説となったはずである。


そして私は、この時のモーセが「牛頭天王」と重なる気がしてならない。


なぜなら鬼は、指導者の周囲に群がり、「大義名分」を通して生贄をせしめようと常に画策を続けているからだ。


「牛頭天王とバール」に警戒しよう。


生贄はイエスで終わっている。



■追伸

事態は思ったより早く進んでいた。


高野山 地下 生贄

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