第10話 白石宇井の鬼落とし

世界中を見渡そう。

奇妙な言葉を使う民がいる。


「コラ!」

「そんな事したらアカンよ」


聖職者の誰が見ても、

彼らはモーセの民だ。


「コラ」という一族は、モーセに逆らった事件で有名。



ある日、天罰が下った。



民数記

26:10地は口を開いて彼らとコラとをのみ、その仲間は死んだ。その時二百五十人が火に焼き滅ぼされて、戒めの鏡となった。

26:11ただし、コラの子たちは死ななかった。



「子孫は残された」とあるから、

事件そのものは

→ 凝らしめ


つまり

「コラ絞め」であった。


では、

アカンは?


何があかんのだろう。


→ 着服

という罪だった。



ヨシュア記

7:1しかし、イスラエルの人々は奉納物について罪を犯した。すなわちユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物を取ったのである。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。



アカンの行為が神の怒りを招いた結果、ヨシュアの軍は敵に敗北。


ヨシュアは、力が抜け落ちた。


神は、敗北の理由を告げる。



7:10主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。

7:11イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。

7:12それでイスラエルの人々は敵に当ることができず、敵に背をむけた。彼らも滅ぼされるべきものとなったからである。あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。



犯人が、民衆の前に明らかにされた。


→ 籤がアカンに当たった


「アカン」は、「悪漢」として処分された。


それにしても、

着服にしては、熾烈な罰である。



ヨシュア記

7:24ヨシュアはすべてのイスラエルびとと共に、ゼラの子アカンを捕え、かの銀と外套と金の延べ棒、および彼のむすこ、娘、牛、ろば、羊、天幕など、彼の持ち物をことごとく取って、アコルの谷へ引いていった。

7:25そしてヨシュアは言った、「なぜあなたはわれわれを悩ましたのか。主は、きょう、あなたを悩まされるであろう」。やがてすべてのイスラエルびとは石で彼を撃ち殺し、また彼の家族をも石で撃ち殺し、火をもって焼いた。

7:26そしてアカンの上に石塚を大きく積み上げたが、それは今日まで残っている。そして主は激しい怒りをやめられたが、このことによって、その所の名は今日までアコルの谷と呼ばれている。



一族郎党、子供まで殲滅されるという恐怖の粛清。


コラは罪を認め、後悔していたので、現代からすれば過酷な処罰である。


しかし思い出そう。


これは、「キリスト以前」の出来事だ。


大和民族には「アカンの記憶」が残されているが、ここまでの厳罰主義は消えている。


なぜだろう?


彼らは遠い故郷の土地で、「イエスの哀れみ」に触れているからだ。


だからこそ、言葉や態度がソフトに変化している。


「そんな事したら、アカンよ」

(アカンのようになるよ)


イエスが、「白石宇井」としてこの世に再臨する日、


出来心の罪人たちには、許しを乞う余地が残されている。


世界は、哀れみの支配に移行している。


これを喜ぶべきではないだろうか。


では、その背景を考えよう。


「出来心の人」に、哀れみが加味された理由があるはずだ。




  ■白石の光で鬼が見えた


人に「出来心」を生じさせる存在・・・


それは


→ 鬼


鬼は「神々」の仲間だったから、人の心を操る事ができる。


→ 衝動を掻き立てる


社会がその「風」に影響されると「戦争」が起きるし、個人が憑依されると「出来心」が生じる事になる。


キリスト・イエスに教えを受けた民は、それを知って「人心操縦」を行う鬼を憎むようになった。


→ 「我々は操縦されていた」


そこで、奇妙な情が心に浮かんだら、一度は疑わねばならない。


これは

→ 「本当に自分の考えか?」



こうした「分析力」と「祓う力」を弟子に授けたのがイエスであるから、鬼はその権威を恐れる。



ルカ8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。



「底知れぬ所」とは、ブラックホールのような「消化の場所」だと考えている。


生物の胃袋のような場所に落ちた鬼は、消化作用によって灰になる。


太陽の御子が発する意思を、鬼が恐れるのも当然だろう。


イエスは弟子たちにも、「意思の権限」を授けている。


だから、太陽の旗印を持つ日本は、鬼を恐れない。


節分に、豆撒き行事を続けてきた理由も深い。


「鬼を落とす」という表現に関して、知っておくべきはこれだ。


「落とす」とは、「地面に」ではなく、「底知れぬ所」という定位置があった。


それは→ 「消滅」の場所


白石宇井(しろいしうい)という神の子の名は、

それほどの権威を持っている。




  ■御子による復讐劇


旧約の時代、

神は「四角四面」の刑罰を課した。


コラもアカンも、いわば過剰刑罰を受けた形になっている。


特に、コラが処分された理由はモーセとアロンへの反逆だったが、ここでの神は感情的に動いていた。




民数記

16:19そのとき、コラは会衆を、ことごとく会見の幕屋の入口に集めて、彼らふたりに逆らわせようとしたが、主の栄光は全会衆に現れた。

16:20主はモーセとアロンに言われた、

16:21「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼすであろう」。



正に、「短気な神」。


そこでモーセが、神の「過剰刑罰」を諌める形になっている。



16:22彼らふたりは、ひれ伏して言った、「神よ、すべての肉なる者の命の神よ、このひとりの人が、罪を犯したからといって、あなたは全会衆に対して怒られるのですか」。



これで、会衆の連帯責任は免れたが、コラ一族は許されなかった。



16:23主はモーセに言われた、

16:24「あなたは会衆に告げて、コラとダタンとアビラムのすまいの周囲を去れと言いなさい」。

16:25モーセは立ってダタンとアビラムのもとに行ったが、イスラエルの長老たちも、彼に従って行った。

16:26モーセは会衆に言った、「どうぞ、あなたがたはこれらの悪い人々の天幕を離れてください。彼らのものには何にも触れてはならない。彼らのもろもろの罪によって、あなたがたも滅ぼされてはいけないから」。



反逆者として、すでにコラの処罰は定められていた。



16:27そこで人々はコラとダタンとアビラムのすまいの周囲を離れ去った。そして、ダタンとアビラムとは、妻、子、および幼児と一緒に出て、天幕の入口に立った。

16:28モーセは言った、「あなたがたは主がこれらのすべての事をさせるために、わたしをつかわされたこと、またわたしが、これを自分の心にしたがって行うものでないことを、次のことによって知るであろう。

16:29すなわち、もしこれらの人々が、普通の死に方で死に、普通の運命に会うのであれば、主がわたしをつかわされたのではない。

16:30しかし、主が新しい事をされ、地が口を開いて、これらの人々と、それに属する者とを、ことごとくのみつくして、生きながら陰府に下らせられるならば、あなたがたはこれらの人々が、主を侮ったのであることを知らなければならない」。

16:31モーセが、これらのすべての言葉を述べ終ったとき、彼らの下の土地が裂け、

16:32地は口を開いて、彼らとその家族、ならびにコラに属するすべての人々と、すべての所有物をのみつくした。

16:33すなわち、彼らと、彼らに属するものは、皆生きながら陰府に下り、地はその上を閉じふさいで、彼らは会衆のうちから、断ち滅ぼされた。

16:34この時、その周囲にいたイスラエルの人々は、みな彼らの叫びを聞いて逃げ去り、「恐らく地はわたしたちをも、のみつくすであろう」と言った。

16:35また主のもとから火が出て、薫香を供える二百五十人をも焼きつくした。



穴に落ちた一族・・・

そして、

焼き尽くされた一族・・・


彼らには審判という言い訳の場も与えられていない。


イエスが登場するまで、有無を言わさぬ過剰刑罰は、旧約世界の常識だった。


イエスが登場し、初めて「世の神」が「サタン」であることを教えている。


それまでは、神の正体も判別できない「夜」の世界であり、民は賞罰の全てを「神からの裁定」として受け入れるしかなかった。


まさか、

→ 鬼が神に化けているなんて


モーセが誰に話していたか、ここに書かれていた。

(章と節の数字に注目)



16:22彼らふたりは、ひれ伏して言った、「神よ、すべての肉なる者の命の神よ、このひとりの人が、罪を犯したからといって、あなたは全会衆に対して怒られるのですか」。



数字から、「夜の神」が二人の前に立っていた事が理解できる。


それはイエス登場まで、誰も気付かない現象だった。


イエスが来て、悪霊(鬼)を「底知れぬ所」へ投げ込む裁断が設けられたのだ。


それは、「鬼神」の行いに対する「反射の報復」である。


→ コラへの過剰刑罰に対して


反射がなければ、神界の正義が成り立たない。


人類史は、鬼神による「過剰刑罰」の繰り返しが続いて来た。


ノアの大洪水で、世界は一度消え去ったが、聖書には「悪くなった」としか記されていない。


「面倒になったら全滅」


これほど短気な処理はないだろう。


人間として生まれた鏡の神「白石宇井」は、人を思いやり、人のために必ず「反射」を返す。


たとえ相手が「神々」であったとしても。



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