第11話 人は神の形、鬼は?

「あのピッチャー、すごいね」

  「うん、真ん中に決め玉」


手を使って投げる・・・

こんなの当たり前と思ってた。


しかし、動物は?


霊長類も、手を使うが野球はしない。


人の場合、小学生でも運動会の「くす玉」を割るため、手を使って投げる事ができる。


聖書に、こう書かれている。


→ 人は「神の形」に創造された


「投げる」という行為は人間だけ。

動物にそれはないし、ましてや「魚」はヒレを使って泳ぐだけ。


実は、神界の事情が「洒落」の中に隠されている。

日本人へのヒントとして。


以下の二つは共通。


→ 「石」を投げる

→ 「意思」を投げる


※ (この解析は、日本語のみ可能)


古代イスラエルの人々は、罪人の処刑に「石打の刑」を行使した。


極悪人を拘束し、合図により周囲の群衆が各々石を投げつける。


これが神の民の処刑方法である。


諸国民は、不思議に感じただろう・・・


「なぜ、そんな事するの?」

  「これは、皆の意思だから」


彼らは正式に、「死刑」の「意思」を投げているわけだ。


創造主も人間も、「意思を投げる」ところに共通点がある。

そしてそれは、他の生物にできない。




  ■鬼は意思を投げない


人が神の形に創造されているのなら、「鬼」はどうだろう?


鬼は、聖書での「悪霊」を意味するが、よく「魚」に例えられる。


空中を泳ぎ回る鬼は、水中を泳ぐ魚のような存在。


ヒレで「石」を投げられないため、鬼は人のように「意思」を投げることができない。


ただ、意思の「伝達」は行っている。


水の中を泳ぐ魚の群れは、ほぼ同時に向きを変えるのだが、これは視覚でなく、「脳波」が群れの中を伝播するが故の挙動である。


意思の伝播による集団の挙動は、あらゆる生物に見られる。


夜の荒野で眠る牛の群れが、小さな物音で暴走を始める場合もある。


こうした傾向は人の集団にもあるのだが、何といっても「神の形」である人類に際立つのは、「意思(石)を投げる」という「手」が備わっている所。


「人は神の形に創造された」という聖書の言葉は、こうした深い表現だった。


人の投げる「意思」が、罪人を「死刑」に渡すほど強力であるという認識は重要。


キリスト・イエスは創造主が地上に投げた「石」であり、「意思」でもある。


漁師を配下にしているし、食事の風景も魚料理。


つまり、


→ 鬼を膾(なます)にして食う


それが御子の日常である。


鬼がイエスを恐れる理由が、そこにある。


天でのイエスは、神の右に座す「右大臣」(ロゴス)であり、創造主の利き腕によって地上に投入された。




  ■鬼に意思を投げて退治する


人は神の形という理解から、鬼退治の手法も判明する。


→ 鬼に向けて「意思」を投げる


若きダビデが、敵軍の強者「ゴリアテ」に一人で立ち向かった。


誰もが尻込みしていた鬼侍である。


この時、ダビデは「石」を投げて相手を倒した。


この時のダビデは、はっきりとした意思表示をしている。



サムエル第一

17:45ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。



この例は、人が鬼に対抗する時の手段を教えている。


「鬼よ」

「底知れぬ所へ行け!」

「しろいしういの御名により」


神の形に創造されたこの人は、鬼に向けて「堅い意思」を投げつけた。


鬼は?


消滅するしかない。




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