第8話 苦痛の正義
「ほら、鬼刑事が来たぞ!」
「一言もしゃべるな」
鬼刑事は、煙たい存在。
複雑な立ち位置にある。
人間社会において、
正義を愛する人が、正義によって苦しむ事などあるのだろうか?
ある。
それが「四角四面」であった場合には・・・
「お前、ドアミラーだな」
「はい」
「違反だ!」
「えっ?」
こんな事が、過去の日本で繰り返されていた。
■「四角四面」の交通行政
昔の日本車は、バックミラーが全て、ボンネットに取り付けされていた。
それが昔の正義だった。
しかしアメリカでは、全てがドアミラー。
そこで現在、「法」が輸入車に合わせて変えられている。
「おっ、ボンネットミラー」
「懐かしい」
昔は、リヤスポイラーも違法だった。
年配の中には過去、「四角四面」の取り締まりを受けた人もいるだろう。
角の取れた現在の環境を、「羨ましい」と思っているかも知れない。
大勢を苦しめる前に、権威ある誰かが言うべきだった。
「規則は便宜上決められているのだから、柔軟に適用しなさい」
これが、「日の丸」の示す丸い心であり、メシアの意図でもある。
イエスは、日の丸のような精神で、四角四面のサンヘドリン(ユダヤ高等法院)から弟子や民衆を庇った。
聖書のレビ記を読めば、当時の民が驚くほど細かな規則に縛られ、苦しんでいた様子が見えてくる。
それはいわば、デジタル信号。
回路を流れる信号が1ビットでも間違えると、原理的には破綻する。
アナログはその辺りが寛大にできている。
そこで、現代のデジタル装置もアナログを見習い、ビット単位の小さなエラーは補正される仕組みになっている。
この配慮が欠けたデジタル社会が、披支配民に苦痛の生活を強いることは確かだろう。
しかし今現在も、勘違いの支配者たちが重箱の隅を突いて「四角四面」を繰り返し、民にいらぬ負担を掛ける話が時々聞こえて来る。
■鬼の四角四面
日本で「鬼」と呼ばれる存在は、過去の堕天使。
その気質こそ、四角四面である。
世の神「サタン」は、四角四面を徹底する正義の側に立っている。
以外だろうか?
そこを理解しないと、聖書の神を正しく分類できない。
以下の聖句で「処刑を命じた神」は、「四角四面」を剥き出しにする「サタン」だった。
民数記
15:32イスラエルの人々が荒野におるとき、安息日にひとりの人が、たきぎを集めるのを見た。
15:33そのたきぎを集めるのを見た人々は、その人をモーセとアロン、および全会衆のもとに連れてきたが、
15:34どう取り扱うべきか、まだ示しを受けていなかったので、彼を閉じ込めておいた。
15:35そのとき、主はモーセに言われた、「その人は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で撃ち殺さなければならない」。
15:36そこで、全会衆は彼を宿営の外に連れ出し、彼を石で撃ち殺し、主がモーセに命じられたようにした。
こんな出来事は、ほんの一部。
神の民の生活には「苦痛の正義」が繰り返されていた。
メシアであるイエスは、そうした獄屋から民を解き放つ重大な役割を担っていた。
キリスト以後は、ある程度、その趣旨が達成されている。
世界は大きく変わった。
ならば、
日の丸を掲げる日本が「苦痛の正義」など許していてはならないのである。
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