第7話 民の本性は祭りに出る
外国の誰かが話している。
「日本に行ったことあるかい?」
「ないね」
「実に奇妙な民族だよ」
「例えば?」
「祭りに、箱を担ぐんだ」
「はこ?」
彼らは、神輿(みこし)をテーマに話していた。
日本の祭りは「神輿」によって成り立ち、それは神との契約の記念。
この民族は、祭りに神輿を介在させ、「神と結んだ契り」を思い出している。
世界一奇妙な祭りを保ち続けているのが、日本である。
神輿は→ 神の輿
輿は、「乗り物」という意味。
先頭にあって、神が民を導く。
■アーク以外は該当しない
モーセが率いた神の民は、「箱」を中心に行動した。
神職のレビ族が箱を担いで先頭を行くと、民はその後に従った。
日本の神輿行列と同じである。
世界中、どんな国の神にもそうした催しは見られない。
日本各地の神社の多くは、神輿を備えている。
だから、数は無数。
全ては契約の箱のレプリカであり、それらが、巧妙な目隠しとなっている。
→ 本物はどこにあるか掴めない
なぜ、そんな事を?
恐れだった。
「奪われるのではないか」
先人は、そんな恐怖心を抱いていたようである。
自分からユダ族を名乗り出ないのも、怯えによるものだ。
「日本は十部族でしょ?」
「そう言われてるよね」
巷には、根強い「十部族説」があり、世界も日本をそうした目で見ている。
しかしここに、大きな盲点がある。
→ 十部族は契約の箱を持たない
だから、「それを奪われる」という恐れを持つはずが無いのである。
日本を「ユダ族」としなければ、祭りの形態も箱を隠そうとする理由も説明ができない。
ちなみに、国家がユダ族と十部族に分かれた時期、十部族の王であったヤロブアムは、自分達に神殿が無い現実を恐れていた。
「民衆は、南の神殿に行くぞ」
「そうなれば、私は見捨てられる」
そこでヤロブアムは、神殿を建て、「金の子牛」を据えた。
「さあ、これがお前たちの神だ」
こうして十部族は、神との契約から逸れてしまった。
日本がもし十部族なら、「神輿を担ぐ祭り」が説明できない。
契約の箱はユダ族の神殿にあったのに、日本はなぜそれを担いでいるのか?
十部族の神殿には「金の子牛」が安置され、それが祭りの中心に据えられているはずなのである。
このように・・・
民の本性は祭りに出ている。
日本は明らかに、「ユダ族」なのである。
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