第6話 顔が消えた民
「世の神」は全世界を支配する。
日本語は「世の神」が「夜の神」だ・・・と教えている。
発音が同じであるのは、現代の我々に対するヒントだ。
キリストが去った世界を、「夜の神が支配している」と理解できる。
ヨハネ
9:4わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
9:5わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
ある人は、こう言うだろう。
「イエスは共にいると告げたよ」
「だから今は昼でしょ?」
確かに、福音書の末尾にそう書かれている。
ただし、墓の前に出現し、弟子たちが「復活したイエスだ」と思い込んだ人物は、一言も名乗っていない。
なぜ、「私は復活したイエスだ」と、告げなかったのだろう?
→ 嘘になるから
鬼神がイエスに化けて出現した場合、「私はイエスだ」と名乗れない理由がある。
それは、彼ら地上の悪霊にも「嘘をつけない」という規範があるからだ。
地上に降りた堕天使は、人類に法や規則を教えた教師たちだから、さすがに嘘を垂れ流す事はできない。
しかし、弟子たちが勝手に思い込んだなら、都合よくその状況を利用できると考えていたのだ。
嘘はついていない。
しかし、エデンのトリックと同じ詐欺行為である。
サタンはイブを騙したが、嘘をつかずに陥れた。
「人間が勝手に選んだのだ」
罪の転嫁を意図して行動している。
福音書でのイエスは、「夜が来る」と告げていたが、「墓の前の主」は「共にいる」と逆向きの話をした。
彼が本物イエスなら、太陽として世界を照らすはずだから、世の中が夜に戻ることは決してない。
※ ただ、彼が星の世界の住人であれば、照らしたとしても星明かりに過ぎない。(昼は来ない)
日本に来たイエスの弟子たちは、その辺りを見破っていた。
彼らは歌舞伎に奥義を秘めて発表し、その教示が受け取れるよう工夫を凝らしていたのである。
歌舞伎の中で、最初の舞台の主役は「一枚目」と称し、次の舞台の主役を「二枚目」と呼んでいる。
墓の前に現れた「疑惑の主」は「二枚目」であり、確かに顔も二枚目であったのだろう。
弟子のトマスは、その人物を疑ったが、後に懐柔されて信じる側に回ったと書かれている。
しかし、本意では信じていなかったようである。
トマスの福音書が外典として存在しているが、そこには「復活したイエス」の記述など書かれていない。
トマス以外にも多くの弟子が疑っており、会衆は二分された。
■歴史から消えた脱出組
現代キリスト教は、「墓の前の主」を信じた弟子で構成されているのだが、彼を疑い、生前のイエスだけを信じる弟子も多くいた。
当初は迫害者であったのに、転向し会衆に新しく加わったパウロは、「墓の前の主」に命じられてローマへの伝道を始めた。
その後しばらくして、弟子への迫害がひどくなる。
円形競技場のコロシアムでは、多くのキリスト教徒が見世物として殺され、イエスの弟子は恐怖に落ちた。
親密だったローマとユダヤも戦争状態に入り、エルサレムの滅亡が迫っていた。
この滅びをすり抜け、行方知れずになったのが「疑った組」だった。
エルサレム滅亡を逃れた彼らは、追っ手を恐れ、自分達の素性や足跡を隠すようになった。
考察によれば、彼らが日本に来ていたという証拠は多くある。
その一つが以前取り上げた地蔵信仰である。
特に、日本の主神「天照大神」は、イエスの象徴「太陽」を暗示している。
■「顔を砕く」の真意
謎の宗教国家日本の民は、
ある意味で顔を砕かれている。
「怖い表現や」
「ほんま」
その謎を掘り下げていると、福音書にある、こんな記述が目に入った。
(42節に留意)
マルコ
9:41だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
9:42また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。
なぜ「挽き臼」なのか?
挽き臼を使う者が、仕事としているのは穀物からの製粉だ。
神は選民各自を、穀物の一粒と捉えている。
生きている穀粒は、大地に落ちると子孫を増やす。
いわば、DNAという「identity」(遺伝)の情報を保持している状態だ。
挽き臼はそれを砕くから、「民の素性」を消してしまう破壊者なのである。
マルコ9章41節では、「イエスの弟子」という「所属」に注目させている。
それで42節もまた、「イエスに関わった者」という「所属」、「素性」の話になるわけだ。
挽き臼を首に掛けられて沈められる人物は、神の子と交わった集団の素性を「丸ごと消す仕事」に従事していたのである。
ならば、イエスの弟子を「素性不明」とする破壊者を、神が許すだろうか?
そんな事はない。
敵、味方に関係なく怒りに触れる事は理解できるだろう。
イザヤ書
3:13主は言い争うために立ちあがり、
その民をさばくために立たれる。
3:14主はその民の長老と君たちとをさばいて、
「あなたがたは、ぶどう畑を食い荒した。
貧しい者からかすめとった物は、
あなたがたの家にある。
3:15なぜ、あなたがたはわが民を踏みにじり、
貧しい者の顔をすり砕くのか」と
万軍の神、主は言われる。
日本語で、「顔を潰す」と使われる表現のルーツがここにある。
3章14節に「ブドウ畑」と書かれているが、
これは、イエス(ぶどうの主)の取り巻きに向けた話である。
「顔」は「identity」
つまり「遺伝」を意味していた。
マルコの聖句にあったように、「イエスの弟子」や「ユダ族」への所属という「素性」を「顔」で表現している事になる。
穀物が、そうした遺伝情報を砕かれなければ実りまで成長することが出来るだろう。
しかし、砕かれてしまえば芽も出ない。
これに関する現代事情があった。
二つのユダヤが存在する。
→ 真性ユダヤ人
→ 改宗ユダヤ人
後者は現在の世界で、「ユダヤ人」として名が知られている。
ただし彼らは
→ アシュケナジー
と呼ばれ、家系がアブラハムに繋がらない。
遺伝的にはカザール人だとされている。
世界中に覇権を持つようになった彼らは、日本が真性ユダヤであると知っていたのだろうか?
少なくとも神は、彼らが挽き臼を回転させている事を知っている。
聖句からそれが読み取れるからである。
「身を粉にして働く」という言葉通り、プラザ合意以後の日本は民から「余裕」が失せてしまった。
挽き臼にはメディアも含まれる。
彼らは、「日本ユダヤ説」を決して表に出そうとしない。
国内にも挽き臼を回す者がいて、呼応の「暗黒政策」を続けてきた。
「顔が消えた民」である日本は、メシアの光を掲げることが出来ない状態にある。
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