承Ⅲ

 家に帰ってから自室にひきこもり、ポケットからそっと『ヴァルキュリアスドラゴン』を取り出した。

 

 瞬間、やってしまった…という思いが、まるで煙が充満するかのように、頭の中を覆い尽くした。


 三島君の部屋であれほど自分を魅了した『ヴァルキュリアスドラゴン』。

 しかし今手元に収まっているものはまったくその精彩を失っていた。

 それはただの一枚のカードだった。

 無機質な紙を幾重にも重ねて圧縮した、ただの厚紙だった。

 只の厚紙に絵と文字をプリントした、モノに過ぎなかった。

 そこには何の魅惑も感じられなかった。

 何の熱量も感じられなかった。

 あるのはただの「罪」だった。

 「罪」という名前の、得体のしれない妖気が『ヴァルキュリアスドラゴン』の鋭い眼光から発せれ、私を締め殺そうかとしているかのようだった。

 その赤々とした眼光も、輝くばかりの金色の体躯も、背景の燃え上がるようなフォログラフィーも、全てが全て、私を呪い殺そうと襲い掛かってくるようだった。


 三島君の部屋でシミュレーションを重ねた私のコレクションとのコンビネーション。

 しかしそんなものを確かめてみる気には到底なれなかった。自分のコレクションと触れ合わせただけでも何かに感染してしまうような気配すら感じて、ただ、ただ、怖ろしかった。


 私は直ちに三島君に返すつもりで『ヴァルキュリアスドラゴン』をランドセルにしまい、次の朝までの長い時間を悶々として過ごすことになった。 





 ところがそのカードは、長いことランドセルにしまいっぱなしになった。


 三島君に返すことがどうしても出来なかった。


 三島君を前にして、素直に罪を告白する。

 それは同時に『泥棒』という、子供社会においてもっとも惨めな汚名を自らさらすことになる。その恐怖に耐えることが出来なかったのだった。


 どうしたらいいのか分からず、時間だけが過ぎていった。


 その間も私は三島君となんとなく距離を取り、顔を見合わせて話すこともできない。


 そのうちに三島君の方でも私のこうした態度に何かを察したらしく、私との距離は次第に遠く離れてゆき、ついには一切の口もきかぬ仲となってしまった。





 『ヴァルキュリアスドラゴン』はずっとランドセルの中に納まっていた。


 時折その存在を確かめては、私は胸の奥をきゅっと締め付けられるような思いに苦しんだ。


 返さなきゃ。

 返さなきゃ。

 返さなきゃ…。


 時間がたてばたつほど、返したい思いと裏腹に、返すタイミングがどんどん引き離されてゆく。


 そのままとうとう小学生としての最後の授業を終えてしまった。


 “事件"が起こったのは、タイミングとしてまさに最後の瞬間である、卒業式を翌日に控えた夜のことだった。


 突然、三島君が私を訪ねてきたのだった。

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