5-11

 私は今まで、書架通路の奥へ探索しに行こうなどと好奇心を働かせることはありませんでした。ここの手伝いを始めた直後に、手伝いの一環で館内の掃除を申し出たことがあったのですが、維央さんが私が入り組んだ館内で迷ってしまうのをひどく心配して断られたことがあり、それ以来、ひとりで奥へは行かないようにしていたのです。私の記憶の本もその時には滅多に手にすることもなくなっていましたから、余計に用のない場所だったのです。

 そのせいか、久しぶりの書架通路はひどく不気味に思えました。図書の状態を保つため、明かりを絞った通路が細く長く伸びています。両の壁に整然と並んだ記憶の本に圧迫感を感じました。その一冊一冊に人ひとりの人生が詰まっているのです。それらが一斉にこちらを注視しているように思えて私は人知れず委縮しました。

 汐世さんもおわかりの通り、あの書架通路は一本道ではありません。維央さんは途中で私の記憶の本をひょいと抜き取ると、ずんずんと迷いなく通路を折れたり階段を上がったり下りたりして進んでいきました。ただついていくだけの私には、今歩いているのが館内のどの地点なのか皆目見当もつきませんでした。

「さあ、着きましたよ」

 維央さんがとある一室の扉を開け、私を招き入れました。初めて訪れる部屋でした。以前訪れた維央さんの自室でもありません。

 書斎のようです。窓は重たいカーテンに縁どられ、立派な絨毯の上にはこれまた立派な書斎机と革張りの椅子が置かれています。壁際には戸棚も設えてありました。

「ここは?」

「『記録室』と私は便宜的に呼んでいます。そう呼んではいますが私も、前館長もでしたが……ここをほとんど使うことはありません」

 維央さんは記憶の本を私に手渡しました。

「そこの机の一番上の引き出しに入れてください。一晩経てばそこに預けた記憶の本はなくなっています。そうすれば契約は完了です」

 私は言われた通り本を引き出しに収め、閉めました。それで何か起こるかと期待しましたが、一晩経っても特にこれといった変化はわかりませんでした。

 そうして私は想い出図書館の司書になったのです。


  ○


 頼鷹はひとつ息を吐いて「これでむかしばなしはお仕舞いです」と微笑んだ。

「少しは参考になったでしょうか。もっと簡潔にお話ししてもよかったですね。退屈だったでしょう」

 汐世はふるふると首を振った。

「あたし『それなら問題ない』だよ。むかしばなしは退屈じゃなかったし、頼鷹さんのこと知れて良かった。館長さんも頼鷹さんのことをちゃんと考えてたんだってわかったし契約もそこまでキツいものじゃないってわかったし、だから」

 汐世はあふれる言葉がとまらないせいで一気にまくし立てると、頼鷹の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「だから、気持ちは変わらない。あたしは絶対に頼鷹さんの元からいなくならない」

 頼鷹は汐世の返事に「良かったです」と応え、ほっとしたような表情になった。

「ずっと貴女へ、司書の話題をすることを避けてきたのも……不安だったのかもしれません。汐世さんが離れていってしまうのが。大切に思う人ほど、私の傍から離れていってしまうものですから」

「帯屋さんは?違うの?」

「彼はあくまで仕事仲間ですよ」

「あたしだって仕事仲間じゃん、違う?」

「そうなのですが……あれ?どうしてでしょう……」

 そのまま頼鷹は顎に手を充て考えこんでしまう。熟考する頼鷹に汐世は思わず顔をほころばせた。

「あ。汐世さん、久しぶりに笑いましたね」

「そう?楽しかったり面白ければいつも笑ってるつもりなんだけど」

「司書になるのなら、笑顔の練習もせねばなりませんね。まずは口角を上げる練習から。ほら、こうやって」

 頼鷹が自身の口の両端を指で差して、笑顔を作る。

 ああ、今のは自然な笑顔だ。

 頼鷹さんも自分ではわかってないだけで、ちゃんと自然な笑顔ができるのに。

 汐世はお互い似た者同士なんだろうかと思いつつ、ぎゅっと自分の口角を指で押し上げた。

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想い出図書館 第二部 傘ユキ @kasakarayuki

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