5-10
「まずいことになりました」
維央さんはすぐに戻ってきた私を見て驚きましたが、私を広間の席へ促すと、事情を説明する間はただ静かに耳を傾けてくれていました。
「そんなことが……私もこういった事態は初めてで。認識が甘かったようです。面目ない」
そう言って深く詫び頭を下げました。私ほど長く滞在した方はこれまでいなかったらしく、扉の効果が薄れてしまうことを彼も知らなかったようです。
「面を上げてください。僕の甘えの結果です」
「そうだとしても、これからどうするのですか」
「……無理を承知でお願いします。ここに置いてはいただけないでしょうか。炊事掃除洗濯、なんでもします」
死んだものとされたことを確信し図書館へ戻る時点でもう、考えは固まっておりました。今度は私が頭を下げる番でした。
「確かに、私にも責任があります。ですから君がこの図書館へ身を寄せるのもやぶさかではありません。けれど」
維央さんは一度言葉を切りました。
「君の暮らしている世界へ、ご家族の元へはほんとうに戻るつもりはないのですか。今からでも遅くはない」
「考えを改めるつもりはありません」
それだけ言って私はさらに深く、テーブルの面に額をこすりつけそうなほどに頭を下げました。
今戻ったところでもう遅いと思いました。生きていたと喜ぶ以前に、どこをほっつき歩いていたんだと父が激高するだけでしょう。
元々暮らしていた世界でひとりで生きてゆくことも確かに可能でした。私ももうその時には数えで十六になっておりましたから、十分に自立してゆける年齢です。父に商いのあれこれを叩き込まれていますし、それを生かして名前も変えて、どこかで雇ってもらえばそれなりに暮らしていけたかもしれません。けれど、そうまでして今まで暮らしていた世界にこだわる理由もないと感じてしまったのです。それに扉の機能が薄れてしまった今、私の暮らす世界と想い出図書館を行き来するのに支障がありましたし、維央さんの元で過ごすほうがずっと有意義なように思えたのです。
「それならここの司書になるのはどうでしょう」
ぽつりと、維央さんが言いました。
「司書?」
私が聞き返すと維央さんははっとした表情になりました。
「あ、いえ、その……聞かなかったことにしてください。君にそんな提案をするなんてどうかしている……」
彼は珍しく動揺したようすで、ついには顔を手で覆って黙りこんでしまいました。
言われてみれば、図書館には司書が必要不可欠です。
今まで館長である維央さんが兼任していましたが、私がご厄介になるのならば仕事を分担するのは当然と言えるでしょう。
「司書になれるのなら願ったり叶ったりです。なぜ『こんな提案』なのですか……僕では力不足でしょうか」
「いえ、そんなことは。司書になるには契約をしてもらう必要があるのですが、君には不都合を強いることになります。そんなことを頼むなど、人として間違っています」
「不都合……?どんな契約なのですか」
「契約自体は難しくありません。君の記憶の本をある場所へ預けるだけです。けれどそれによって、君の記憶の本は君が亡くなるまで観ることが叶わなくなります。さらに契約によって歳もとりづらくなる」
「それなら問題ないです」
私はさらりと言ってのけました。確かに記憶の本が観られなくなるのは惜しいですが、想い出図書館を全く知らずに一生を終える方と同じだと考えれば、そこまで酷な契約ではないと考えたのです。
「本当に、司書になりたいですか」
維央さんの問いに私はしっかりと頷きました。それを見て彼は「若さ、でしょうかねえ」と小さく溜め息をつくと「なら付いてきなさい」と言って席を立ち、私を書架通路へといざないました。
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