5-2

 今日も誰もいない、がらんとした想い出図書館の広間。

 ドアベルの音で人の出入りはわかるけれど、図書館の奥まで引っ込んでいたら意味がない。頼鷹さんは相変わらずだ、と汐世は溜め息をついた。

 記憶の本が外に持ち出されそうになると、扉に鍵がかかり不届き者の脱出を阻んでくれるらしいのだが、その防犯システムが実際に作動されるところを汐世は見たことがないし、それが作動するのは記憶の本にのみらしいので、不用心には変わりないと感じてしまうのも仕方がないだろう。

 来たそばから呆れているうちに、からからとワゴンを押す音が近づいてきた。頼鷹は汐世が来るのを見越してお茶の用意をしていたらしい。

「ああ汐世さん、こんにちは。丁度良いところに。先ほど焼き上がったばかりで」

 彼の押すワゴンには茶器のセットと食器、それに美味しいことが一目でわかる、焼き目も美しいアップルパイが載せられていた。思わず喉が鳴る。

「こんにちは。前から思ってたけど、いつもこんなふうに無人にしてたらやっぱ危なくない?記憶の本以外にも大事なもの、あるでしょ」

 食欲に負けかけたのを取り繕うように、ついまくし立ててしまった。

「すみません。おっしゃる通りで言葉もありません」

 汐世の焦りに気づく素振りもなく、眉を八の字にして頼鷹は言葉を続ける。

「ここにいつも来られる方は私もよく知る方ばかりですし、それ以外の方は頻度も多くないので、つい」

「やっぱあたし、もっと長くここにいようか?」

「それはとてもありがたいお申し出ですが、あまり長く滞在してしまうと……私のようになってしまいます」

 頼鷹が想い出図書館の司書になったきっかけは、お盆の時に汐世も軽く聞いていた。

 一週間ほど図書館に滞在したところ、元の時間に戻してくれる扉の効力が切れ、普段暮らす「こちら側」へ戻ると数年が経過してしまっていたという。

 当時想い出図書館があった世界と今の二十二月町のある世界は異なるので、全く同じ経過時間にはならないらしいが、二十二月町と汐世の暮らす世界でも時差があるのは間違いない。

「それはいずれ司書になるんだし、覚悟してる」

「司書……」

 頼鷹の言葉が束の間、途切れた。

「そうですね、司書……約束をしてから少し経ってしまいましたね。すみません」

 司書の件を忘れていたのでも、うやむやにしたかったわけでもないらしい。少し疑いは晴れたけれど、まだ完全にではない。

 それに、八月から十一月の経過は「少し」に当たるのだろうか?

「少し、というか……三か月経ってる……」

「え、その……大変申し訳ありません。もうそんなに経ってしまいましたか」

 珍しく頼鷹は慌てたようにいつもの笑みを崩し、深々と頭を下げ謝った。心から申し訳なく思っているようだ。

 想い出図書館の司書の仕事は予定に囚われることがないせいか、頼鷹はカレンダーをほとんど見ることがない。そのせいか今何月なのかというのも、そこまで気にしていないふしがある。

 頼鷹の服装もワイシャツ一枚からそれにセーターを重ね着したくらいしか変化がないから、季節の移り変わりに無頓着なのも致し方ないのかもしれない。もっと汐世やベルタの服装にも関心を持ってほしいところだが。

「憶えてたなら安心した。ずっとその話題をしないの、あたしの申し出が迷惑だったのかと思ってた」

「迷惑だなどと……すぐに、という話ではないと思いまして」

「それでも事前にどういうことをするかは知っておきたいじゃん」

「すみません。誰かと一緒にお仕事をするということがしばらくなかったもので……意思疎通は大事ですね。けれど、本当に宜しいのですか。私や帯屋さんのように歳をとりづらくなりますから、おそらく今後、ご家族やご学友にお会いすることは難しくなるかと」

「わかってる。あたし一度言ったことはちゃんと守りたい。けど……そう、卒業までは待ってほしい、かも」

 汐世の言葉に「それはもちろん」と頼鷹は穏やかな笑顔を浮かべ頷く。

「あとさ、司書になるのに必要な資格ってある?」

 発言の後ですぐに汐世はしまった、と思った。

 頼鷹のようやく戻った笑顔を再び曇らせてしまったのだ。ただ、笑顔を作るのは癖になっているんだろう、彼の口の端が下がることはなかった。それでもばつが悪い。

 頼鷹さんを困らせたいわけじゃないのに。

「いえ……枠外の図書館ですから、もちろん司書資格といったものは必要ありません。ただ……この図書館に従事する者は、ある契約をせねばならないのです」

「契約?」

 初耳だ。確かに今までのように責任の軽い手伝いでなく、本格的に図書館へ関わることになるのなら、契約のひとつも必要だろう。

「ええ。では……私のむかしばなしをしましょうか」

 頼鷹は唐突とも言える提案をした。そしてワゴンを広間のテーブル脇に付け、ティーカップやポットをテーブルに配膳し始める。

「むかしばなし?」

「面白くはないかもしれませんが……契約について私の体験談を交えてお話しすれば、いくらか不安もなくなるでしょう。契約自体は簡単なものですが、それを聞いてから司書になるかどうか、改めてお考えになるのも悪くないかと。お茶もご用意していますし、気負わずお聞きくだされば」

「あたし、契約がどうであれ司書になるよ」

 どうも汐世のことを心配してのことらしいが、正直それは彼女にとってはありがた迷惑だった。

 とうに覚悟は決まっていると、言ったはずじゃないか。

「私のように差し迫った事情があるわけでもないのに司書になっていただくのは、心苦しいところでもあるのです。歳をとりづらくなる……それだけではありませんから」

「それだけじゃないって?」

「契約の際にひとつ条件を呑んでいただく必要があるのです。その条件には貴女にとって少なからず、その……損失が生じます。ですから、お話しいたしましょうというわけなのです。どうぞお掛けになってください。アップルパイもあたたかいうちに」

 頼鷹はいつもの微笑みで汐世をテーブルへ促した。アップルパイの誘惑に負けたわけでは断じてないが、汐世は素直に席に着くことにした。それを確認すると頼鷹はにこやかに頷いて、丁寧な手つきで紅茶を淹れ始めた。

 一通りサーブし終え席に落ち着いた頼鷹は、一度紅茶で喉を潤してから口を開いた。

「さて、どこからお話しいたしましょうか」

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