4-2
道すがら、帯屋が教えてくれた。
ここは二十二月町と呼ばれる町。
キースヴァルト連合という国家連合国があり、三つの王国、二つの大公国、六つの公国、八つの侯国、一つの自由市から成っている。その王国の一つにレドールブルクと呼ばれる国があり、そこにあるいくつかの町の一つがこの二十二月町、なのだという。
聞いたことがない。地図帳にも載ってないはずだ。
そう抗議すると帯屋は「そりゃそうだ」とからからと笑った。
「ここはね、君たちの暮らしている世界がコインの表側だとしたら、その裏側にあたるんだよ」
「裏側?」
「そう。どちらが表でも裏でも構わないんだけどもね。平行世界、いわゆるパラレルワールドとは違う。平行世界ってのは周君のいる世界の別の可能性、分岐した世界のことを指すんだけど、こちらの世界はそれとはまた別の、次元が異なるというんだろうか……そんな世界だ。だから周君のドッペルゲンガーはおそらく存在しないから安心して」
「はあ」
「難しいことは抜きにして、とりあえずここは周君のいる世界とは異なる世界、異世界ってことでアンダースタン?」
「い、イエス」
まだ完全には納得できてないけど、圧がすごいので思わず頷いてしまう。
こいつ、教師には向いてないな。ぼくだったら、もっとましに教えられる。
「宜しい。僕はね、想い出図書館に協力することを条件に、それこそ世界じゅうを旅してまわってるんだ。周君の暮らす世界にも、また異なる世界にだって行ける。自分の暮らしている世界が全てだと思考を停止するのは非常に勿体ない。視野を広げて、いかに世界がひとつでなく広いかを知れば、きっと面白いよ。僕は世界を渡るたびに新鮮な驚きを感じている」
「それこそ小説の読みすぎじゃないですか」
「言うねえ。僕のは本当だよ。現実は小説より奇なり、ってね」
少し軽口が言えるようになったところで、帯屋は「あそこだよ」とぼくにわかるよう目的地を指し示した。
隙間なく商店が立ち並ぶ通りの一角。パン屋の向かいに、両脇の建物に挟まれるようにしてこじんまりとした商店らしき建物があった。
大きな出窓がまず目に入った。両脇にはたっぷりとしたレースのカーテンがまとめられている。それと小さな窓がはめられた、深い色合いのアンティークな木製のドア。全体的に可愛らしい。図書館だというからもっと大きくて荘厳な建物を想像していたので、ちょっと肩透かしだ。
帯屋がさっさと通りを横切っていくので慌ててついていく。彼が先導してドアを開けるとからんからん、とドアベルが明るく響いた。
「おや、帯屋さん。お帰りなさい」
「うん、帰ったよ」
入ってすぐの広間で男性が出迎えてくれた。この人が例の司書だろうか。
第一印象は穏やかそうな、優しそうな人。
まとっている雰囲気がもう、そんな感じだ。声も落ち着いていて柔らかい。
まだ若いようだけど、ひとりでここを任されてるんだろうか。
少し前髪が長めの黒髪は襟足をすっきりさせているからか、陰気な印象はない。糊の利いた白いワイシャツに、青緑のセーター。ベージュのスラックスと飴色の革靴でフォーマルに固めているけど、ネクタイを締めていないせいかはたまた彼自身の雰囲気のせいか、それほどかしこまった印象はなかった。
「彼、定仲周君。突然こっちに来ちゃったらしくて路頭に迷ってたから、案内してきたんだ。どう見たってあっちの世界の子だから、図書館の利用者だろう?
「そうでしたか。ありがとうございます。帯屋さんは道中、どの程度教えて差し上げたのでしょうか。ひょっとして、全くですか」
柔らかな笑顔で司書は帯屋に問うた。詰るでもなく、ただ確認のためといったふうの質問だった。
普通なら、帯屋のように中途半端に仕事を持ってきておいて後は丸投げしようという態度がみえみえだったら、誰だってカチンとくるだろう。それなのにこの司書は依然として穏やかな笑みを浮かべている。笑顔に怒りを載せることすらしていないのだ。
前世は仏様だったに違いない。
「教えたさ。けど、広場からここに来るまでたったの五分だよ。この町の概要と、こっちとあっちの世界の違いくらいしか教えられてない。それに僕よりか、君のほうが教えてやるのは上手いだろう?」
「確かにそうかもしれません」
「じゃあ、説明が終わったら呼んでよ。頼鷹君のお茶が飲みたいからさ」
帯屋は悪びれるでもなく、自分の役目は終わったとばかりに手をひらりと振ると荷物を手に奥の通路へ歩いていってしまった。
ぼくらが立っている広間の先には細く長い通路が伸びていて、薄暗いせいかその終わりは見えない。目を凝らそうと覗くと、独特な埃っぽいような甘い匂いがした。
本棚だ。匂いの正体は古い本の群れだった。
両の壁一面が全て本で埋め尽くされている。
蔵書量はいったいどれくらいあるんだろうと呆気に取られてしばらく通路を見ていたけど、はっとして振り返る。
司書は口出しするでもなくただ静かに待っていた。そして広間に設えていたテーブルセットの椅子を勧めてくれる。ぼくが遠慮がちに座ると、向かいの椅子に静かに腰掛け「では」と口を開いた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ようこそ、想い出図書館へ。私はここの司書兼館長代理をしております、
狩野はかしこまって丁寧に一礼し、微笑んだ。所作のひとつひとつが綺麗で、見とれてしまいそうになる。狩野頼鷹、か。かちっとしているような、でも日本的で柔らかな印象の名前だ。
「どうも。ぼくは定仲周といいます。ここはどういった図書館なんですか?」
「想い出図書館は世界中の人の記憶をひとりにつき一冊、本の形を取って保管している図書館です。貴方の記憶の本もこの書架のどこかにございます」
幾度も説明してきたのだろう、すらすらと淀みなく狩野が説明を口にする。
そんな図書館がこの世界にはあるのか。
帯屋の言っていたとおり、世界は広いと再認識する。
「へえ……ぼくみたいに突然この町に来た、こことは別の世界の人って、みんなこの図書館の利用者なんですか」
「そうですね。そういった方は得てして大切な記憶を忘れられて、それを想い出したいと強く願っております。中には自覚がないとおっしゃられる方もおりますが……無意識に強く願っているのでしょう。そういった方だけがここへ来られるようです。私たちはそれを便宜的に『図書館に呼ばれている』と言っております。中にはご自身で行き方を調べて来られる方もおりますが……それについても、生半可な気持ちではここへは来られないようです」
「そんな、人の願いの強さ云々で来られるかどうかなんて……ファンタジーが過ぎる」
「ファンタジー……超自然的、幻想的、ですか。
確かにそう思われるかもしれません。現実に照らしてあり得ないと、そうおっしゃった方も今までに大勢おりました。けれど、この二十二月町という、貴方の暮らす世界と異なる世界にいらっしゃった、それだけでも貴方の常識は変わったことでしょう。ここはそういったところなのですよ、定仲さん」
ぼくが死んで、死後の世界に来た説と同じくらい荒唐無稽に思えた。けどさっきからあり得ないこと続きだ。もうそういうものだと納得するしかないだろう。
「なるほど、わかりました。じゃあ、ぼくの本はどこにありますか。直前の記憶を断片的にしか憶えてないので、確認したいんですけど」
問いかけると、狩野は変わらぬ笑みのまま席を立った。
「定仲周さん、でしたね。ご自身でお探しになることもできますが、初めて来られる方には大抵私が探してお渡ししております。どういたしましょう?」
正直言うとあんまりこう、人に頼ったりするのは苦手だ。自分で探せるものなら探したい派なのだ。
ぼくはしばし悩んで質問した。
「あの本棚、分類してあるんですか」
ぱっと見、分類の案内板が見当たらなかったのだ。
「特に分類はしておりません。ですが、記憶の本とその持ち主は互いに惹かれ合うものです。勘を頼りにお探しになればおのずと見つかります」
さいですか。気の長い話で。
そうなれば選択肢はひとつしかない。
「探してもらって、いいでしょうか」
狩野は嫌な顔ひとつせず、にこやかに了承の意を示した。
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