3-11

「維央さんっ」

頼鷹少年が焦りつつ書架の奥から鉄砲のように飛び出してきた時、維央はお茶の用意をしているところだった。

「どうしました?」

こちらがかなり慌てているのにも関わらず、此処では問題など何も起こらないとでも言いたげな泰然とした態度だ。

「記憶の本が、蔵条きく乃さんの本が……」

頼鷹は言葉とともに一冊の本を差し出す。その本はまだその形を留めてはいたが、端から少しずつ崩れているところだった。崩れた部分は白い小さな花弁のように、風もないのにひらりひらりとどこかへ舞い上がって飛んでゆく。

「ああ。これを見るのは、頼鷹君は初めてでしたね。よく見ておくと良い。これが、記憶の本が持ち主へ戻ってゆくところですよ」

「それって……きく乃さんが死んだって、ことですか」

「そうでしょうね」

思いの外素っ気ない返事に驚き、頼鷹は顔を上げて維央の顔を見たが、彼は薄っすらと笑みを浮かべてさえいた。

「さっき帰ったばかりで、すぐに記憶の本がこんなことになったんですよ。この本を観たせいで、きく乃さんは死んだんじゃ……」

非情に思えて、どうしても詰るような態度を取ってしまう。けれどこの図書館の館長は気分を害するでもなく淡々と言葉を並べた。

「直後に亡くなったとは云っても、私たちがその原因を確認するすべはもうありません……ここじゃ毎日こうやって記憶の本が消えてゆくのです。いちいちそれに心動かされてしまっては疲れてしまいますよ」

そう云ってお茶を丁寧にカップへ注いでいく。琥珀色の液体が満たされると同時に湯気が薄く立ち昇って、ふわりと香りが辺りに拡がった。

「記憶の本はその持ち主が亡くなると、その方の元へそっくり返されます。それが所謂、走馬燈と呼ばれる現象です。記憶の本がその方の元へ戻ってゆく時の形は人それぞれですが、この方の記憶は花弁の形を取ったのですね。きっと、花に思い入れでもあったのでしょう」

「いつか、僕の本もこうやって戻ってゆくんですか」

「勿論。その時はきっと、私が見送ってあげましょう」

維央は頼鷹を席に着くように促し、その前へティーカップを差し出した。


  ○


 家人の誰にも知られずに、きく乃は事切れたらしい。

 俺だって、眠れずに縁側へ再び出ることが無かったら、その異常を知ることもなく朝まで寝こけていただろう。

 夾竹桃の花が散らばっていたからそれを食んだのだとわかった。俺が毒の話をしていなかったら、発作的に死ぬことはなかったんだろうか。きっと苦しかったろうに随分と声を出したり暴れるのを我慢したんだろう。懐から遺書がはみ出していた。

「……如何して」

 遺書を読み、俺は呟いた。

 紙面に雫が落ちては染みを作った。所々滲んで読みにくくなってしまった。

「俺は、君を煩わしいと思ったことなんか一度もないのに。大変に不謹慎なのを承知で云う。君のことは常々颯太郎から聞いて興味を持っていた。そして、通夜で君と目が合った瞬間から、それは好意に変わったんだ。俺はただ兄の代わりではなく、俺を俺として見て欲しいだけだったんだ」

 そう弁明しても……聞いてくれる君はもう、この世にはいない。

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