3-9
わたくしが茫然自失となっている間にどんどん話が進み、すみやかに颯太郎様のお通夜が行われました。
その間ずっとわたくしがぼんやりとしていたせいで、記憶の本はわたくしの感情についてはあまり目立ったものを記憶していないようでした。ただ無味乾燥に淡々と、起こった情景を記録しているようでありました。
白と黒の
弔問客が次々と記帳の列に並びました。
お線香と仏花の匂い。
颯太郎様がくだすった花束と、同じ匂い。
幸せの象徴に思っていたものが、死の連想へと変わってゆきました。
匂いの記憶というものは得てして強く残るものでしょう。
普通ならその香りを嗅いだ瞬間に記憶が甦ってくるものです。それなのに今日応次郎様に頂いた花束を前にしても想い出せなかったのは、それだけ想い出したくない気持ちが強かったのでしょうか。
わたくしは両親とともに喪服を纏ってお通夜に参列し、お坊さんの読経をぼんやりと聞きお焼香を済ませました。お通夜が済むと、通夜振る舞いのためたくさんのお料理とお酒が次々と襖を取り払った広い居間へ並べられました。
袴田家のご親族や知人に交じって、両親とわたくしもご相伴に
「……自死だったんでしょう?」
「そうよ、女と心中!遺書も見つかったのだから間違いないわ。毒を口にして一緒に川へドボンよ。そこまでやっちゃったら、まだ川の水も冷たいからそりゃあ助からないでしょうね。何の毒かも遺書にわざわざ書いてあったらしいじゃない。福寿草だって。あんな可愛らしいお花で死んじゃうなんて、女々しい颯太郎さんらしいわねえ」
「一寸、そんな大声でやめて頂戴。婚約者もいるのよ」
小声で諫める声がありましたが、残念なことに既にわたくしの耳へ届いた後でした。
女と心中。
婚約者のわたくしよりも、その女の人を颯太郎様は選んだというのでしょうか。
わたくしはお慕いしていたのに、颯太郎様はそうではなかったのでしょうか。
喪服を着たわたくしはふらりと立ち上がりました。
「どうしたんだ、きく乃」
お父様の声を無視し、少しおぼつかない足取りで奥に安置している棺桶のほうへ向かいました。だいぶ賑やかになってまいりましたので、隣に座っていた両親くらいしか気づいた者は居りません。
わたくしは棺桶の傍でへたりと座り込みました。その中で大量の花々に囲まれ、眠ったように颯太郎様がそこに居ります。肌が透き通るように白いのです。菊の花の香りがまた鼻を衝きました。
「如何して」
ごん、と棺桶の縁に拳を思い切り打ちつけました。同時に辺りが水を打ったように静まり返りました。後ろのご親族の視線が一斉にこちらに向いているようです。けれどもう、そんなことなどわたくしには関係ありません。
「如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して、如何して」
ごん、ごん、と言葉を吐き出すごとに機械のように拳を打ちつけます。誰もが呆気に取られ、止める者など居りませんでした。
「
いえ、ひとりだけわたくしを止める方が居りました。
近くに居た誰かがわたくしの肩を掴んで棺桶から引きはがしたのです。面を上げると苦し気なお顔をした、颯太郎様とそっくりな顔がそこにありました。
「……颯太郎様?」
「いいや。俺は応次郎、颯太郎の弟だ」
「貴方様は颯太郎様でしょう?」
わたくしは応次郎様の顔を見て微笑みました。もうその時点でわたくしはおかしくなっていたのです。
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