3-7

 たとえ不可抗力で来たのだとしても、この図書館へ初めて訪れた者は否応なくここを利用しなければならないというのなら、それはなんて暴力的なのでしょう。

 精神的な暴力です。

 嗚呼、ついさっきもわたくしは応次郎様から精神的暴力をふるわれたのだと思い至りました。

 今でも、颯太郎様だと思っていた方が双子の弟君である応次郎様であるということ、そして颯太郎様が……本当はもうこれ以上考えたくありませんが……亡くなられているということが、信じられません。信じたくありません。

 あんな風に強い言葉を並べられては、委縮してしまって冷静に考えることなどできるはずもありません。

 本当に、颯太郎様は亡くなられてしまったのでしょうか。颯太郎様が本当は生きていて、何らかの理由があって皆でわたくしを騙しているということはないのでしょうか。

 そんな考えがよぎりましたが、直ぐにわたくしはそれを否定しました。

 わたくしにそんな嘘をついたところで、きっと誰にも何の得にもならないでしょう。

 袴田家だって、颯太郎様が何らかの理由で婚約者を立てられる状況にないのなら、そのまま偽りなどせず応次郎様をあてがってしまえば何も問題などないのです。けれど、応次郎様は進んでやりたかったわけでもない颯太郎様のふりをしていました。

 それはおかしくなったわたくしをどうにか正常に保とうとしたためです。つまりはわたくしがおかしくなるような、それほど精神を病むことがあったのです。

 つまり、颯太郎様が亡くなられたのだと……。

 幾ら望もうともそれはもう、覆すことなどできない事実でしょう。それなのにわたくしは、ここにきてまで納得しかねているのです。

 そこで、ある一つの考えが思い浮かびました。

 記憶の本が全て嘘偽りのない事実ならば、颯太郎様が亡くなられたという記述が見当たれば、流石のわたくしも受け入れられるのではないでしょうか。他人から聞かされるよりは、自身の記憶でなら納得できるかもしれません。

 そうなるとやはり、記憶の本とやらを読まねばならないようです。

 読む理由ができて少しだけ心の余裕ができ、言われた通り椅子に腰かけていると程なくして男の子が戻ってまいりました。その少し後を追うように本を一冊携えた男性の姿も見えます。この方がおそらく館長さんなのでしょう。

 現れた館長さんは、男の子の年の離れた兄か父親かと思うほど雰囲気が似ておりました。

 年齢は三十代後半でしょうか。髭を生やしていらっしゃらないので、もっと若い気もいたします。男の子と同様艶のある黒髪は、前髪を流して額の出た髪型にしていて聡明な印象を持ちました。穏やかな目と左の泣き黒子が印象的です。

 館長さんも同じく洋装に身を包んでおりました。襯衣にチョッキ、洋袴と手入れの行き届いた革靴。珍しいのは襟元にかけた、飾りのついた紐状の装身具でした。このような装いは初めて目にしました。

「ようこそいらっしゃいました。私が館長の砥草とぎくさおうと申します」

 そう砥草さんは笑んでわたくしの向かいに腰を下ろすと、一緒に隣に座った男の子の頭をくしゃりと撫でました。

「この子はよりたか君と云いまして。ここに興味を持って足繁く通いに来てくれているのです。利発な子でしょう」

「ええ、とても。ご家族ですか」

「いや、私には妻も子も居りません。天涯孤独というやつです」

 はは、と砥草さんは乾いた笑いを零し、話を続けました。

「この図書館について、簡単なことはこの子から聞いておりますでしょうか」

「はい。一人ずつの記憶を本の形で保管しているのだと説明を受けました。でも本当に突然ここに来たのでただただ驚いてしまって……その子は『図書館に呼ばれた』のだとおっしゃっておりましたけれど」

「そういうことはままあります。この図書館はあらゆる世界の人が来やすいよう、あえて空間に綻びのある所に居を構えておりましてね。そして想い出したい記憶のある方は得てしてこの図書館に無意識に向かうようにできている。そういう意味で『図書館に呼ばれた』と私は便宜的に云っております」

「あらゆる世界?綻びのある所?」

「詳しく講義するのには一寸時間を要しますが、お聞きになりますか?」

「いえ、あの。あんまりむつかしいことはわからなくて」

 意気揚々と手を組んだ砥草さんに何だか申し訳ないと思いつつ、今はもう早く本を読みたい気持ちが勝って、わたくしはやんわりと断りました。

「まあ簡単に云ってしまえば、貴女は記憶を無意識に想い出したくて、この不思議な図書館に来たということです。講釈は余計でしたね。すみません、お客人がいらっしゃるとつい嬉しくなってしまって。貴方の記憶の本はこちらです」

 砥草さんはわたくしの態度に気分を害するでもなく、一冊の本を卓子に置きました。

「この本には嘘偽りのない事実が書かれているのですか」

 わたくしは本の表紙に指で触れました。布張りの深い緑をした本はさほどの厚みではないものの存在感があります。金字でわたくしの氏名が、表紙と背表紙に箔押しされておりました。

「勿論。記憶の本はご自身が体験した光景を余さず全て、視覚や聴覚、嗅覚といった五感やその時に考えたこと……それらを鮮明な状態で収めております。記憶の本に収められた記憶は風化することも改竄されることもありません」

「そうですか。では早速」

 わたくしは表紙を開き、目次のページを先ず確認いたしました。

 漢数字が零から十五。わたくしの満年齢のようです。各年齢の下に頁数が記されております。十五から先は空白のままでした。その先はこれから起こることが書かれてゆくのでしょう。

 わたくしは十四の九月九日、重陽の節句の日の頁を開き、読むことに集中しました。

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