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わたくしは帰ってくるなり直ぐにお勝手へ向かいました。
逸る気持ちを抑えて、足音をなるべく立てないよう廊下を進みます。どたどたと大仰な音を立てようものなら、ばあやのおトキのお説教が飛んでくるに違いありません。
「ただいま帰りました」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
ばあやは流し台で青菜を洗っていたようでした。わたくしがお勝手に向かってきたのに気づいたらしく、わたくしが顔を覗かせたた時にはすでに洗い物の手を止め、深々と腰を折っていました。
いつもながら、見ていてこちらも気が引き締まるような一礼です。身に着けているたすき掛けにした着物も結った髪もぴしりとして隙がありません。わたくしが幼い時にはもうすでにおばあさんだったというのに、今でもこの家の家事全般を取り仕切っていて、全くかくしゃくとしています。
「アラきく乃ちゃん、お帰んなさい」
ばあやの隣でお茄子を手にしたお母様も、笑顔でわたくしの帰りを喜んでくれました。
「お母様、ただいま。ばあや。帰りがけに熊井と話したのだけど……今日の夕餉のおかず、コロッケに変えることはできないかしら?」
「コロッケ、ですか」
わたくしの突然の提案にも、ばあやは驚くことなく落ち着き払った声音で聞き返してきました。
「そう、コロッケ。ひき肉とじゃがいものタネに
「良いわねえ、コロッケ。今日もコロッケ、明日もコロッケ」
お母様が楽しそうにコロッケの唄に節をつけて口ずさみました。
生粋のお嬢様で、娘のわたくしが産まれてもなお、少女のような雰囲気の人でございました。お母様がいつもこんな調子なので、わたくしを躾けるのはいつだってばあやなのでした。
「奥様まで……。簡単にお云いになりますが、教本でも無いと」
ばあやは眉間に深い皺を寄せてむずかしい顔をしました。確かに今まで家では出たことのないお料理です。
わたくしは予想通りの展開になったと内心ほくそ笑み、先ほど手に入れたばかりのそれをふたりに見えるよう胸の前に取り出しました。
「コロッケの作り方が載ってるお料理本ならここに」
用意周到なわたくしに、さすがにふたりとも「まァ」と呆れた表情になりました。けれどばあやはひとつ小さな溜め息をこぼすと、わたくしの手から料理本を受け取りました。
「仕方がありませんね。今日ばかりは特別ですよ」
もっと粘らなければ駄目だろうと思っておりましたのに、思いの外あっさりと了承してくれて、さっそくお料理本の頁をめくって該当の箇所を目を眇めて読みはじめました。
お母様も「美味しそうねえ」と楽しそうに一緒に覗きこんでいます。
「嬉しい。ありがとうばあや」
「麺麭粉とひき肉を買い足して参りますから、戻ったら作るのを手伝ってくださいませ」
「じゃあ、わたくしはそれまで学校の課題を進めておくわね」
「殊勝な心掛けでございます。さすがきく乃お嬢様。ご立派です」
いつもなら「当たり前です」などと云ってわたくしに厳しく接するばあやが、今日ばかりはお褒めの言葉までかけてくれました。
今日は、一体全体どうしたのでしょう?
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