2-5

 結局こちらから名前を尋ねることなく若者を見送り、その姿が見えなくなった途端、頼鷹はその場でへなへなとしゃがみこんでしまった。

「え、頼鷹さん……大丈夫?暑くてバテちゃった?」

 汐世が心配になって覗き込んだが、頼鷹は頭を腕にうずめたまま手で制した。

「……大丈夫です。ただ、親族に出くわすとは……しかも不可抗力とはいえ、墓前で嘘をつくなどと罰当たりなことを」

 珍しく気落ちした様子で溜め息をついた。

「ごめん、やっぱりあたし連れてくんじゃなかった」

 汐世の反省の言葉に「いいえ」と顔を上げて笑う。

「お盆の中日なのです、親族がお参りに来ることくらい予想できました。ただその予想が甘かっただけです。それにこうやって話す機会がなければ、弟の最期も知らないままでしたから。結果、良かったです」

 頼鷹は俯きがちに「良かったのです」と自分に言い聞かせるように言葉を繰り返した。

 そして気持ちの折り合いがついたのかそのまま立ち上がって、汐世のほうへ手を差し出して言った。

「ずっとお線香を持たせてしまってすみません。まず、お隣のお参りをしましょう」

「無理、してない?」

 汐世は線香を手渡しながらうかがう。

「しておりません……と言いたいところですが、やはり堪えるものがありますね。身近な、私を知る人がどんどん先立っていってしまう……とっくに死んだものとされた私に言えた義理はありませんが」

 隣の墓に線香をあげ手を合わせ終えると、頼鷹は「この墓標にも記してあるでしょう」と狩野家の墓標を指で辿った。

 そこには頼鷹の名と戒名や没年月日が確かに刻んであった。大正十二年に亡くなったことになっている。

「頼鷹さんは……今もちゃんと生きて、るんだよね」

「ええ、もちろん。この暑さでもピンピンしています」

 冗談ではなく真剣に聞いたのだが、殊更に明るい声で答えが返ってくる。いつも通りの微笑みを浮かべていた。

 頼鷹が元々活けていた花を取り上げて新しいほうの茎の長さを整え、花立に丁寧に活けていく。すらりと長くて少し骨ばった手。生気が無いようにはどうあっても見えない。

「当時のごたごたで行方不明ということになって、しばらく探したけれど見つからないので死亡扱いになった……それだけのことです」

「行方不明?」

「ええ。当時、こちらで大きな震災があったらしく……実際の私はというと、館長に物事を教わるのが楽しくて、一週間ほどつい戻らずに想い出図書館で過ごしてしまっていたのです。気づいたら、図書館の扉を開けてこちらへ戻ろうとしても、元の時間に戻してくれなくなっていました。

 一日二日程度ならば問題ないようですが、一度長く滞在するとその効果は薄れてしまうのかもしれません。それに当時も想い出図書館とこちらでは時間の流れが違いました。想い出図書館での一週間が、どうもこちらのほうでは数年ほども経ってしまっていたようなのです。そういったことが重なって、私は戻った頃には……死んだことになっていました」

「何ていうか、浦島太郎みたい」

「ですね。お土産に玉手箱は持たされませんでしたが」

 冗談を言って笑い話にしようとしているのだろうが、残念ながら全く面白くなかった。

「それからずっと図書館にいるの?どうして。実は生きていましたって戻っても良かったんじゃ」

「一度扉の効果が切れたら、こちらと行き来するのに支障がありました。それに館長に、戻れないのならここの司書にならないか、と言われまして……家族の元へ戻るよりそちらのほうが大変魅力的だったもので」

「けっこう勝手だね」

「そうですね、身勝手です。私の代わりに家督を継いだ弟も、事実を知らないまでも恨んでいたのかもしれません。気が弱いたちで、長兄じゃなくて良かったとこぼしていた子でしたから」

 頼鷹は相変わらず笑みをこぼす。そして手を合わせ、しばし黙祷した。汐世もここまで来て挨拶しないのは不義理だろうと、隣に立って手を合わせる。

「あたしは、弟さんは頼鷹さんのこと恨んじゃいないと思う」

 顔を上げた頼鷹に汐世が自分の考えを口にすると、頼鷹は呆けたように墓石を見つめたまま「そうでしょうか……」と呟いた。

「曾孫さん、言ってたじゃん。家族に見守られて、大往生だったって。人を恨み続けるって相当しんどいし、人を呪わば穴二つっていうじゃん。恨み続けて生きた人が穏やかに最期を迎えるのって難しいとあたしは思う」

「そう、ですね。私の知る弟の人生は、全体のほんの一部で……それだけで判断してしまうのはいささか強引でしたね。その先でどんな人生を歩んだのか……それでも家族に恵まれたのなら、悪くない人生だったのでしょう」

 柄杓の入った手桶を持ち上げ、頼鷹は「行きましょうか」と汐世に声を掛けた。頷いて捨てるため萎れた花をまとめていた包装紙を持ち上げると、ぐう、とお腹が鳴ってしまった。

 そういえば、お昼がまだだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る