第二話 盂蘭盆会
2-1
今日も
夏休み。八月も十日を少し過ぎ、お盆の週だった。
放課後など学校から図書館へ直接向かう時は
周りを一軒家で囲まれたなんの変哲もない空き地。
あまり管理されていないのか、一面夏草が青々と茂っている。汐世は一片の躊躇もなくそこへ足を踏み入れた。
途端、空気が変わる。
日本の夏特有のじわじわとまとわりつく熱気が去り、爽やかな風が汐世の髪を揺らし、抜けていった。足元はアスファルトではなく石畳が続いている。両脇には、迫るようにみっちりと並んだ建物が汐世の立つ細い路地を薄暗くしている。
ここは二十二月町の細い路地の一角だった。
家から向かうといつもここへ出る。毎回門番に町に入るために断りを入れるのは面倒なので、こちらからのルートは幾分か気が楽だった。路地から表通りに出て、図書館へ向かう。
「おはよう」
いつものように図書館の扉を開けると、からんからん、と明るい音色でドアベルが鳴った。
「おはようございます、汐世さん」
これまたいつものように、司書兼館長代理の
「今日も朝から暑いよ」
「そちらは夏真っ盛りでしたね」
「うん。今日は八月十四日だから、お盆」
「そうですか。お盆ですか……」
珍しく頼鷹が笑みを消し、思案げな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いえ、その……なんでもありません」
汐世が問いかけたが、頼鷹は何事もなかったように再び笑顔を貼り付ける。
「あたしそういうの嫌い。気になることがあったら何でも言って」
言葉とは裏腹に怒るでもなく、汐世が頼鷹の目をじっと見ると、彼は素直に「すみません」と笑顔で謝ってきた。そしてしばし考えたのち口を開く。
「もうずっと、お盆の時期にご先祖様にご挨拶ができていなかったことを思い出しまして」
「ふうん、お墓参り。頼鷹さん
「C県の
「あるはず?」
「当然管理する者がいなければ、墓じまいしてもうないだろうと」
質問を重ねる汐世に、頼鷹は笑みを残しつつ困ったように眉を下げた。
「お参りしたのっていつが最後なの?」
「そうですね……館長がいなくなってからはここを長く空けるのは難しくて、それ以来一度も。もう何十年になるでしょうか」
「そんなに……」
さすがに絶句した。
改めて、頼鷹が途方もない年月をここで過ごしていることに言いようのない寂寥感をもったのだ。
「頼鷹さん、今日お墓参り行こう。お墓が今もあるか確認しよう」
「でも、図書館を長く留守にするわけには」
「ベルタに理由を言って、留守番してもらえるか頼んでみようよ」
「……いいのでしょうか」
頼鷹の自問じみた呟きに口を開きかけた丁度その時、軽快にドアベルを鳴らして件のベルタが図書館を訪れた。
今日も半袖のエプロンドレス姿で、細いリボンを艶やかな金の髪に結わえている。
「おはようお二人さん。今日も良い陽気だね」
元気なベルタの挨拶に、ふたりは口々に挨拶を返したあと、汐世が「ベルタにちょっと頼みたいことがあるんだけど」と口火を切った。
「ん?突然どうしたの」
「今日一日だけ頼鷹さんを外に連れて行きたいんだけど、留守番をお願いできない?」
「ボクは構わないけど……狩野はどうなの?」
ベルタは汐世から頼鷹のほうへ視線を巡らせた。
「ベルタさん、大変申し訳ありませんが……私からもお願い致します。今日だけで良いのです」
ここまで切り出したら突き通そうと思ったのか、頼鷹もベルタに願意を伝えた。
「ふうん。出掛けるってどこへ?何しに?」
「汐世さんの住んでいらっしゃるところへ。私の家のお墓参りをしようと」
「へえ。汐世の住んでるほう?ボクも興味あるな。行ってみたい」
ベルタの蜂蜜色の瞳がきらりと輝いた。
市井に対しての諜報員である「王の伝書鳩」のベルタとしては、図書館の手伝いをしている汐世の情報もやはり上へ報告するに足る内容なのだろう。
興味を如実に表したベルタに、頼鷹がやんわりと窘める。
「それはいけません。想い出図書館へ、異なる世界の方々が来られるのは特例なんです。図書館とは関係なく世界を行き来するのは、世界の均衡が危うくなるかもしれず好ましくありません」
「ちぇー。まあ、言ってみただけ。ちゃんと留守番するよ」
そうベルタが返事したところで「あれ?」と思案に眉をひそめた。
「別の世界へ行き来するのって、狩野は問題ないの?」
「私は世界の理とは外れてしまったも同然ですから。いないものが行き来をしたところで世界への影響は無いに等しいのです。帯屋さんが世界じゅうを巡っていても問題ないのも、そういう理由だと聞いております」
大したことのないことのように頼鷹が微笑む。
「そ…っか、そうだったね。引継ぎで聞いてた通りだ」
ベルタは既に聞いていたことらしく、納得したように頷いた。
佇まいはいかにも平凡で普通なのに、この司書は……それに帯屋もだが、もう「普通」には生きられないのだ。
月日の移ろいを感じながら、普通に老い、天寿を全うすることが。
それをこの人はさも何でもないことのようにさらりと自分たちに伝える。本来伝える義理などない、王の伝書鳩であるベルタにさえも。
秘密にしたところで誰にも得になどならない、ということだろうか。
「さあ、ベルタさんの許可もいただきましたし、行きましょうか」
頼鷹はにこにこと言い、そこでようやく汐世も我に返って「ん」と短く返事をした。
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