1-8
ここは?
古い紙の匂い。
そうだった。わたし、想い出図書館にいたんだった。それと、紅茶の良い香りがする。
「大丈夫?私が観終わってから三十分以上もずっと観たまんまだったから」
「え、うん。だいじょうぶだいじょぶ。正気だよー」
名前を呼んだのは麗実ちゃんらしい。心配そうな顔でわたしの顔を覗き込んでいた。急に記憶から引き戻されてちょっとぼんやりしてしまったけど、もう意識ははっきりしている。元気だと言うアピールで笑ってみせた。
しおちゃんは、とテーブルを挟んだ向かいを見ると、文庫本から顔を上げわたしにひらひらと手を振った。そんなに心配はしてないっぽい。
「記憶は想い出せましたか?」
頼鷹さんがわたしの目の前に置かれたカップに紅茶を注ぎながら、優しく笑い掛けた。
「あ、はい。おかげ様でー」
「私はちょっと期待外れだったなー」
麗実ちゃんはすでに出してもらってたらしいチョコチップクッキーを口に放り込みもぐもぐとやると、紅茶をぐいっとあおった。
「期待外れ?男の子のこと記憶で観たんでしょ?」
「聞いてよ楼子ちゃん。その男子、小学生の時点で取っ替え引っ替え女の子と付き合ってたの。ホンっト、信じらんない。私そういうルーズだったり誠実じゃない人と付き合うの絶対ムリだわー。だから私、すっかりそいつの記憶消去してたんだ。ああ、あと頼鷹さん、紅茶お代わりっ」
ふくれっ面で麗実ちゃんは空のカップを頼鷹さんにずいっと差し出した。頼鷹さんは微笑みを浮かべて「かしこまりました」と丁寧にカップを受け取る。
「期待外れでしたか。ご期待に沿えず、大変残念です」
頼鷹さんは少しだけ眉を下げた。けど口元にはまだ笑みが残ってる。
この人、笑顔以外の表情が逆にレアな人種か。表情筋、疲れないのかな。
「けど、有益な情報は得られたから満足してますよ」
麗実ちゃんが自身の発言に納得したように頷き、今度は上に真っ赤なジャムが乗ったクッキーをひとつ摘まんで一口で食べてしまう。わたしが記憶を観ている間にいったいいくつクッキーを胃袋に収めたんだろう。たぶんだけどやけ食いだ。
「そうでしたか。それは重畳です。皆川さんも宜しければ紅茶とご一緒にクッキーもお召し上がりください。手作りのものがお嫌いでなければ」
「わーいただきます」
こんなおいしそうな紅茶とお茶菓子を勧められたら、断る理由なんかない。
イケメンな上にお菓子作りもこなすとは。スペックが高すぎる。こんな二十代男性が実在するんだ。神か。
プレーンのクッキーをひとつ頂く。ひと噛みするとさっくりと生地がほどけ、バターの良い香りが鼻を抜けていった。ざくざくした生地じゃないから、たっぷりバターを使ってるなこれは。美味い。
「美味しいです。すっごく」
「お口に合って良かったです」
頼鷹さんはしおちゃんのカップにお代わりの紅茶を注ぎ、ポットにティーコゼーを被せた。これあれだ、お茶を保温してくれるやつ。わたしの家はこんな丁寧な生活みたいのに縁がないので、たぶん初めて見た。
「で?楼子ちゃんはどんな記憶を観たの?私気になるんだけど」
麗実ちゃんがわたしに詰め寄った。同意を求めるように「古咲さんも気になるよね?」とすかさず聞いて、しおちゃんも「まあ、確かに」と頷いている。
まあ、うん。ふたりだけの秘密ってわけじゃないから、別に隠すことでもないし。
「小学二年生の時の、夏祭りの記憶を観たんだよ。鵲橋神社で……」
「それ、あたしとろーこが初めて一緒に行ったお祭り?」
わたしの言葉を継ぐように、しおちゃんが意外なことを口にした。
「しおちゃん、その時のこと……覚えてたの?」
わたしが驚いて聞くと、こっくりと頷く。
「ええー?わたし、てっきり高校入学の時お互いはじめましてだとばっかり。言ってくれればよかったのにー」
「覚えてないなら、別にいいかなって」
しおちゃんはちょっと他人に興味がなさそうなとこがある。わたしもベタベタされるのは好きじゃないから、しおちゃんの距離感は嫌いじゃないけど。
「なんだー驚かせようと思ってたのに、知ってたんだあ」
「十年も前だし、細かなとこはさすがに覚えてないけど。親の都合で、あれ以来お盆の週にしか行けなくなったから、お祭りにも行けなくなっちゃったけど」
「そっかー。だから会えなかったんだ。わたしの家族はちょうどお盆の週は毎年旅行だから」
あの一度以来しおちゃんに会えなかった理由も解けた。適当なページを開いたつもりだったけど、やっぱりこれは必然というものだったのかな。
「楼子ちゃんと古咲さん、小学生の頃から友達だったの?初耳!」
麗実ちゃんがまた一枚クッキーをかじりながら、カップを手に驚いていた。
なんだかもう完全に茶飲み話な雰囲気で、普通とは違う図書館に来たというのに完全に緊張を解いてる麗実ちゃんに、わたしはなんだかおかしくて笑ってしまっていた。
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