1-6

 ものの五分かそこらで頼鷹さんは戻ってきた。

 確か世界中の人の記憶の本があるはずなんだけど……早くない?

 待ってる間にちらっと手近な本の背表紙を眺めたけど、あいうえお順でもないしアルファベット順ですらなかった。ごちゃまぜだ。分類という概念がないのかな?

 頼鷹さんは一体どうやって探してるんだろ。

「こちらが皆川楼子さん。そしてこちらが小野田麗実さんの記憶の本です」

 それぞれの手に記憶の本が渡される。

 どちらもおんなじ布張りのしっかりとした装丁。各々の名前が表紙と背表紙に金色で箔押しされている。

「宜しければ、皆さんそちらにお掛けください」

 促されてわたしたちはテーブルのほうへ向かう。

「汐世さんは如何しますか?」

「あたしもここにいる」

 頼鷹さんに問われて、しおちゃんは澱みなく答えた。

 わたしたちよりずっと親しいはずのしおちゃんにも、変わらずかしこまってるんだなあ頼鷹さんって。うーん、ガードが堅い。

「では、私はお茶のご用意をしてきましょう」

 頼鷹さんは丁寧な物腰でわたしたちに一礼して奥へ引っ込んでいった。

 ついつい記憶の本よりもふたりの関係のほうが気になってしまってる。

 いかんいかん。

 一度気持ちを切り替えてから本をそっと開いた。目次には零から十七の数字が振ってあって、その下にページ数があった。満年齢の章が書かれてるみたい。えーっと、いつの記憶を読んでみようかな。わたしは麗実ちゃんの様子はどうかなと顔を上げてとなりを見た。

「麗実ちゃん……?」

 麗実ちゃんは本を開いたまま微動だにしていなかった。

 視線は本のほうへ落とされてるけど、意識はなんというか……ぼんやりともっと遠くのほうへ向けられている感じ。ページをめくる動作はしているけど。

「大丈夫、心配ないよ。これが記憶の本を観るってこと」

 テーブルの向かいで文庫本を開いたしおちゃんが、わたしに声を掛けた。

「……観る?」

「そう。本を読むことに集中すると、その当時の記憶を追体験することになる。ヴァーチャルリアリティが近いのかも」

 わたしはまた記憶の本に視線を落とす。

 この何の変哲もなさそうな本に、そんなことができるとは。

「ろーこ、今どうしてもっていうほどの想い出したい記憶がないって思ってるでしょ」

 わたしの目をじっと見てしおちゃんが言った。

 全てを見透かすようなしおちゃんの瞳。一見、黒かと思うけど陽の光を受けて鳶色に揺らめいている。しおちゃんのまつ毛、長いなあ。そこも憧れる。

「あ、バレた?」

 再び嘘を吐くのは無理だった。怒られるかな。

 あんまり深刻にならないよう笑って答えたけど、しおちゃんは一度居住まいを正して意外なことを言った。

「あるよ、ろーこにもちゃんと。想い出したい記憶」

「え」

「そうじゃなきゃここにはたどり着けない。初めての場合は特にね。ここはそういう場所」

「想い出したい記憶……」

 あるのかな。わたしにも。

「ぱらっと適当に開いて読んだところが想い出したい記憶だったってこともあるよ。どうしてここに来たかわからなかったけど、適当に開いて観てみたら想い出したって人も実際にいるし。もちろん思い込みも否定できないけど」

 しおちゃんがふっと、小さく息を吐くように笑った。

 珍しい。

 こんなにちゃんと表情に出るなんて。

「そっかあ。あんまり悩まなくても良いんだ。ありがと、しおちゃん」

 わたしはお礼を言うと本を開いた。

 ぱらぱらっとやって開いたのは七歳の……小学校二年生の七月三十日。偶然にも九年前の明後日だった。もしかしたら偶然じゃないのかも。

 わたしは意識を文章に集中した。

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