028 過去、顧みたとして

 討都トウトの民は一定の年齢にすると、男女問わず魔王を討伐するための部隊に、討伐隊に加わるために訓練を重ねる。訓練に参加している者のいる家庭は税が減免され、世界を破壊せんとする魔王の撃破に貢献でき、誉れ高いとされている。

 ルーネルは一人っ子で、父と母がいた。

 少年の記憶では、父のいない期間は数回。あるとき母に向かって、父さんは、と昨日までいた姿を探していたが、訓練に行ったわと、答えをもらっていた。

「魔王を、倒す訓練?」

 昔から、どうして魔王を倒さないといけないのか、まだ理解をしきっていなかった頃。

「そう。全部、全部壊しちゃう、悪い王様を、やっつけるために、お父さんは訓練しに行ったの」

 もやのかかる笑顔は、眩しいくらいに、そうしないといけないのだ、としか考えていなかった少年をにこやかにする。

「父さん、また訓練?」

 ある時のこと。明日は畑を耕そうな、という約束を破って、家から姿を消していた。

「……ルー、お父さんが、ごめんねって。約束破っちゃって、ごめんね、って」

 穏やかな顔から向けられたそれが、少年に向けた父の最後の言葉となった。

 しばらく経ってから、帰ってきたのは家に飾ってあった、いつの間にかなくなっていた剣が一つ。見知らぬ人たちが、泣き崩れる母に差し出していた。父の名を遠くで聞いて、もう、その大きな背中に乗せてもらえないのだな、と遠目に眺めていた。同年代の周りの子たちの家族も同様で、父のいた隊は一人残らず、死亡したらしい。

 そして、帰ってきた剣は元の位置に再び飾られることとなった。

 度々、母が剣を見上げては優しいような、悲しいような顔になる。時折落ちる陰と涙に、ルーネルは人一倍働き、訓練にも通うようになった。何年もの月日の後、母はあるとき、食卓で彼に話しかけた。

「ルー、もし、もしも、お母さんが、お父さんと同じようにいなくなったら、どうする?」

 どこか、覚悟を決めたような面持ちで。

「なんでだよ。なんで、母さんが」

 つい最近、父が魔王にとどめを刺した英雄なのだと、休憩中にハインとアイレから教えられ、一種の誇りと、よみがえる悲しみを抱えていた時のことだった。

「やっぱり、さみしい?」

 嬉しいわ、と微笑む母は続ける。

「……次の、魔王がきたとき、行きたいの」

 いつもよりも豪華な食事にはしゃいでいたことが、無性に恥ずかしくなる。ごめんね、と呟くと、母はスープを一口。

「お父さんがいなくなってから、ずっと考えてたの。曲がりなりにも愛していたお父さんを殺した魔王を、許せなくて」

 父が、魔王を討ちとったらしい。素晴らしいことなのだと、分かっている。飾っている剣が亡骸の胸に深々と刺さっていて、その近くには横たわる父が息絶えており、せめて、英雄の剣だけは持ち帰ろうという配慮のもと、ここに帰されたのだという。

「ルーだって、魔王が憎いでしょう? お父さんが帰ってきたら、遊びたがってたじゃない」

 まるで関係のない話に、どうして、と尋ねても、

「いい、ルー? これは内緒の話なんだけど」

 優しい微笑みは絶えず、最低限の明かりが照らしている。

「アイレちゃんや、ハイン君のお母さんも、お父さんが亡くなったんだって」

 知ってる、と野菜の欠片を頬張る。

「今日のお昼、お話したんだけどね……無理だったの」

 いつの間にかスプーンが置かれ、軽く指を揉んでいた。

「魔王を打ち倒した討伐隊として逝けたなら、いいじゃないって」

 あかぎれを起こしている傷口を広げるようにもてあそぶ。

「笑って言うの……お母さんには、耐えられなかったの」

 じっと編み物を見つめているような、痛みなど感じていないらしい穏やかな視線にルーネルは、

「母さんが行くことないだろ! 魔王のことは許せねぇけど、けど、母さんが……!」

 ドン、と机に拳を落とし、立ち上がる。食器が一瞬だけ踊り、波紋がスープに浮かぶ。

「どうして、ルーネル? じゃあ、ルーネルも、みんな死なないといけなかったって、言うの……?」

 潤む瞳から堰を切って流れ出す涙に、言葉に喘ぐルーネルは、何も口にすることができなかった。

 幼いながらも、仇敵を殺す必要があると理解はしていて、一方で、誰もが生きていられればいいのにと、理想郷があればいいのにと、ぼやいていた。幼馴染たちは薄っぺらな望みにそれがいいと笑ってくれたが、もう帰ってこない父のために、また現れる魔王を倒さないといけない。

 理想を口にしたとしても、積みあがっていく犠牲者。

「もし、もし、次の魔王が現れた時、きっと、ルーは、行くんでしょう?」

 いくらでも刈り取られていく、隊員たち。

「……嫌なの。大事な人が、私を遺して逝っちゃうのは。もう、嫌なの……」

 母の父は、幼い頃に亡くなったらしい。母も、同じ隊に入って、帰らぬ人に。

 親友もそうだったという。訓練を重ねていたというのに運悪く、魔物の餌食に。

 兄弟も、訓練していた同期も、お隣さんも、食糧を分けてくれる人も。

 いつの間にか見なくなっていて、討伐隊に参加していたと、後になって聞く。

 母自身は、行く必要があると分かっていても、どうにもふんぎりがつかず、立ち止まっていた。何十という訃報を聞いて、もうこれ以上、耐えられないのだと。

 ぽつりぽつり。しゃっくりと涙を共に話す母に、ルーネルは黙ったままだった。

 気が付くと布団の中で眠っていて、おはよう、といつもと変わらぬ母が微笑んでくれる。畑へと出かけるために服を着替えていても、昨日のような泣き言は、一切耳にすることはなかった。


 それから数年後、魔王が再び顕現するというお告げがあった。

 父の形見を壁から外し、満を持して装備に身を包んだ母は、帰ってくるから、という言葉と共に、ルーネルだけがいる家を後にした。第百八十四次討伐隊が討都トウトを後にする。

 もちろん、誰も帰ることはなかった。

 そして百八十五次討伐隊が魔王の根城へと向かったところ、魔王は姿を消していたのだという。この事実を知ったのは、ルーネルが討伐隊へと参加し、魔王の行方を追わなければならないという命令を、王直々に下されたときだった。

 父を追った母の命を、奪った魔王を倒す。

 いや、何度も、何度も、皆を殺し続けた魔王をこの世から消す。

 少年一人の胸の内で、決意は熱を持って燃え続けている。


 一通りの話を聞き終えて、アイレとハインは落ち込んでいる様子だった。ビクターとクーオはといえば、ただの復讐か、と一蹴する。

 彼らは来た道を戻り、三人組の泊まっていた宿の前に戻ってきた。

「おまえたちは、そこまでは考えておらんのか?」

 同じ立場にいたにも関わらず、彼に協力しなかった二人投げかけられる質問に、復讐まっしぐらか、とクーオが茶化す。

「そりゃ、父も殺されて、仲間を殺されて、憎いは、憎いです」

 ハインの言葉に迷いというものはない。

「けど、魔王は倒さなきゃいけない。それが私たちの、使命なんですよ」

 同時に、アイレも。

 二人はただ、魔王は、魔物は、敵であると教えられて生きてきた。それは疑う余地もなく真であり、覆ることはない。それらを討つための尖兵であることさえも、己の役割だとしている。

 真直ぐに見上げてくる二対の視線を受けながら、肩をすくめた青年は隣の老人に報酬をせびりつつ、

「おまえら、いっつもそれだな。なんも考えず、魔物、魔物。おまえらよか、ルーネルのほうが、よっぽど、俺は好きだね」

 そう口にすると、首を傾げる二人。

「まっすぐでな。ま、手のかからないのは助かるけどな」

 二人は合点がいかないようで、視線を合わせる。一方、数枚の硬貨を受け取ったクーオはビクターに礼を言ってその場から立ち去る。

 何かあればまた連絡しよう、とビクターもまた歩き出す。取り残された二人は宿に入るほかなかった。

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