029 石柱、いずこにと

 静寂に満ちていた空間がざわめき始めて間もなく、密室に冷たい空気が流れ込む。すると内側から大儀そうに出てくる多くの貴族たち。世間話に興じながら最後の方に出てきた一人の肩が、廊下に出てきた直後に叩かれた。

 くるりと振り返った灰の瞳が捉えたのは、どう見ても貴族には見えない、外套にほぼ全身を包んだ、おそらく男であった。

 彼は軽くうつむきながら自身の背後を指さしており、そこにはアーバルトが佇んでいる。すると世間話相手の貴族に断りを入れてから、杯の瞳の貴族は触れられた箇所を払いながら、傭兵と共に疲れの見える男のもとへ。

「これはこれは、アーバルト様。本日もよい発言をされておりましたなぁ」

 笑みを深くする痩せこけた貴族を、カルンと呼ぶと、アーバルトは傭兵を挟みながら尋ねる。

「先日、王都周囲に現れた霧についてお尋ねしたいのですが……先の議会で、あなたは隣国の兵器の一種では、とおっしゃられておりましたな?」

 ええ、と朗らかに笑うカルン。

「それはそれは、この聖都セトロアを脅かす一大事ですな。いち早く手を打ちたいところですが、生存者は、いないとか?」

 先の議会の彼の報告を復唱すると、はい、と眉尻を下げる。

「何か、有効な対抗手段が見つかればよいですな? 無駄に犠牲を出すのは、国益に関わりますからな」

 お互いに大きく頷くと、二人は別々の方向へと歩き出した。もちろん傭兵も契約主の後に従う。

「顔はずっと見かけていたが……」

 ぽつりと呟くと、牢へ行くぞ、とアーバルトは足を早めた。


 陽の光の届かない空間に、身じろぎの音が一つ。

「……懐かしいの見たな」

 声が、音が反響する。倒れていたルーネルは後頭部を軽く押さえながらゆっくりと立ち上がると、身体の具合を確かめながら鎧についていた土を払い、ぐるりとあたりを見渡した。

 彼は王都を駆け回っていると、橋の下に一体の魔物を発見する。これはしめたと勇んで飛び降り奇襲を仕掛けたものの、敵はするすると逃げるように闇へと姿を溶かした。

 下の通路、すなわち王都の地下であり、汚れた水の流れる下水路。鼻を衝く臭気に足踏みしたものの、魔王を倒すという使命感にそそのかされて暗闇を進んだ。明かりになるものもないため、目をゆっくりと慣らしながら、不意打ちをしかけてこないかと警戒しながら歩いていると、開いている重厚な扉を発見する。

 風の流れがあることを確かめくぐった直後、背後から奇襲をかけられ気絶していたのだった。

「……なんで殺さなかったんだ……」

 おかしな敵も、その気配もないことを確かめると、全身をぺたぺたと触り、盗られたものもないと呟くと、目を凝らして背後にある扉に近づく。取っ手もなければ、閂もないそれは固く閉ざされており、そのおかげか、下水道の臭気はここまで漂ってくることはなかった。

 押してみても、手を添えてずらそうとしても、軋むばかりでぴくりとも動かない。仕方ないと少年は剣を抜き放つと、石でできた壁に沿うように慎重に足を進める。

 淀んだ空気。瘴気とはまた違う、まとわりつくかびの臭気。顔をしかめつつ肌着を襟から引っ張り出して口元を覆う。繰り返し着込んでいたために別の臭いが鼻を衝くも、ルーネルは気にせず空いている手で口元に押し当てた。時折見つける松明をかかげるための飾りを視界の隅に認めながら、なおも進んでいく。

 誰がいるばすもない、水路から逸れたらしい暗い通路。明かりがあればもう少し早く周囲の状況に気を配れることだろうが、ないものを言っても仕方ない。道が続いていること、目の前に壁がないこと、紛れる魔物がいないこと。利かない視界を休むことなく動かすものの、警戒は徒労に終わってしまった。

 やがて角を曲がった通路の先に、ぼんやりと陽を思わせる光が見えた。ようやくこの通路の全貌が明らかになるものの、天井に蜘蛛の巣が張っていたり、崩れ落ちた痕があるばかりだ。

 覆い隠し結んでいた口元をわずかに緩め、警戒は続けつつ歩調を早めればあっという間に光源へとたどり着く。

 そこには白く輝く、天井に触れそうな石の柱があった。

 彼の背丈の三倍はあるだろう、壊した直後の魔物の核を思わせる、濁った石。どうにか反対側が輪郭としてぼんやりと見えるが、そこに瘴気の色はない。

「……石柱オベリスク……?」

 駆け回るのが容易なほど、やけに広い円筒状の部屋の真ん中で、石、そのものが光っている。

 松明が一つも、手入れされた様子のない、今にも崩れそうな壁や天井から落ちてきたのだろう石の転がるだけのだだっ広い空間。足元に注意を払いながら巨石に近づくと、ひんやりとした空気が荒れた肌に触れる。

 改めて周囲を見渡す。魔物の気配はなく、石の放つ白い光で満ちている。

 ルーネルは剣を握りしめ、振り下ろす。ガッと音が鳴ると、ぶつけた部分の濁りが増す。だが壊れる気配は毛頭ない。二回三回と繰り返しても、当然結果は変わらない。ダメだ、と首を振ると、少年は剣を握りなおし、

「見つけただけでも十分だ」

 とにらみを利かせ、力強く呟いた。

 一歩引いて、剣を抜いたまま来た道の反対側へとまわる。そこにはどこかへと続く道がまた、続いている。

 と、少年のものではない足音が鳴る。今から脚を踏み入れようとしていた方向からで、まだまだ遠い。だがちょっとずつ大きくなっている。それが何者か確かめるまでもなく、ルーネルは静かに来た道に戻り角を一つ曲がった。

 壁に背中をぴたりと張り付けながら、そろそろと覗き込む。

 だがすでに音は途絶えており、彼は訝しむ。輝く石柱オベリスクは変わらず輝き続けているが、反対側から表す姿はいつまで経っても、ない。

「別の道に……?」

 目を閉じて、耳を澄ます。静寂が漂っている。

 緊張を解いて眉間に皺を作りつつ、再び石柱オベリスクのもとへ。進むべき唯一の道を覗き込む。人影もなければ、鼠一匹いやしない。何だったんだ、と呟いたルーネルは次の瞬間、天井が視界を埋め尽くし、背中を地面を打ち付ける。

 息を詰まらせた彼は石の天井を見上げていると認識すると同時に、背中に得も言われぬ感触を覚える。硬くも、柔らかさのある冷たいものだ。

「おう、あのときの子供が、なんでこんなとこにいるんだ?」

 石柱オベリスクを背後に、灰色の瞳をした、痩せている外套をまとう男、カルトンが興味深そうに覗き込んでいた。

「お仲間はどうした? まぁ、一人だけなのは好都合だ。魔王様のために、片付けておくのが、いいだろうなぁ」

 はだけた外套の内側には黒い霧が水のように蠢いていて、同時にルーネルの頭の上には肩より上のない二の腕らしい黒いものがある。とっさに跳ね起きて魔物から距離を取るものの、その手には剣はない。

「あ、魔王様は殺すな、とか、言ってたか?」

 石柱オベリスクの足元に少年の相棒は転がっていた。カルトンは一本腕を伸ばして剣を拾い上げたかと思うと、そんなことを口にする。返せよ、と睨みつけるルーネルだが、それは無理だなあ、とあざ笑う。

「でも多少の犠牲は仕方ない、とか言ってたな。じゃ、おまえもそれってことで」

 もう一本の腕がカルトンの胸から生えると、なぜか人差し指を立てて地面を示す。丸腰のまま足元に視線を移せば、いつの間にか足首程度まで瘴気が立ち込め始めていた。カルトンから距離を取ろうと後ろに下がるものの、状況に変化はない。

「いやー、刺激する程度に襲撃しろとか、意味分からない指示があったわけだし、一人くらい……」

 魔物が不気味に笑うと突如、少年の足首を何かが掴む。強く握られている黒にまみれた手を一瞥することなく、剣をぶらつかせながらゆっくりと近づく敵を睨み、

「……てめぇは、三柱トリアッドか?」

 そう尋ねれば、はてと目を丸くした後、改めて表情を歪め、

「ああ、その通り、この石柱オベリスクを守ってる、カルトンだ」

 音もなく移動すると、ルーネルの頭上に剣を振り下ろした。

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