ep4 伸びる魔手
026 再来、いずこより
軽く身なりを整えつつ、アーバルトは城の廊下を歩いていた。その後ろには、この場にはふさわしくない身なりの男がついて回っているが、当人は気にしている様子はない。
目深にフード付きの外套をまとう男。ちらちらと覗く服の内側からは、時折カチャ、と金物がぶつかる音がする。アーバルトが外出するときに連れている傭兵であった。あくまでもお互いの身を守る手段として、連れているのだ。
特にこれといった言葉を交わすでもなく、歩いて行く。
ふと、貴族が視線を上げる。廊下の向こう側から、右手を軽く上げている者の姿があった。鎧を身に付けてはいないものの、鍛えられた身体と胸についている飾りから、騎士の一人であることが分かる。
「アーバルト様、お疲れ様です」
声をかけられた彼は軽く応じると、騎士はくるりと方向転換し隣に並ぶ。うろんげに何事かと尋ねれば、昨日の戦闘についてだという。
内容自体は、アーバルトが今朝方耳にした内容そのものだったが、現場に居合わせていた騎士はもう一人の存在をほのめかした。当然先刻のこともあり、貴族は興味を示し名前を尋ねると、コーエと名乗っていました、と答える。
黒い霧について聞きたい、と騎士長が彼女を詰所へと連れ帰ったのだが、たまたま居合わせた貴族、カルンが投獄するよう命じたというのだ。もちろん抗議はしたが、余計な混乱の種に違いないと抵抗も空しく、従わざるを得なかったという。このことは他言無用だと命令されたが、胸騒ぎがするので、伝える相手を探していたのだという。
しばらく黙りこくったアーバルトは、以上ですと締めくくった騎士に礼を告げ、別れる。立ち止まることなく、貴族たちの集まる部屋へと向かう。
この世のものとは思えない声は、民の視線を釘付けにする。
ちょうど大通りの真ん中、そこにいるのは、二人。片や、声を上げたのであろう女性で、彼女もまた、目の前の光景に釘付けになっていた。もう一方は、地面にうつ伏せで倒れる男だ。片腕を中ほどで失い、背の真ん中には黒い何かが突き刺さり、とめどなく溢れる血が、あたりに独特の臭いを放ち始めていた。
見知らぬ男を殺したのは、子供くらいの体格をした、前かがみになっている何かだった。黒い塊で、もやのようなものを放つそれは、ズッと得物を引き抜いた。
目を見開き固まっていた女性の首に、ヒュッと黒が走る。だが薄皮一枚で助かった女性はわき目もふらず走り出す。すると近くにいた数人の騎士が国民に避難を促し、敵を取り囲んだ。
「なんだこいつは!」
一人が問いかけるも、誰もが口をつぐむばかり。相手の射程の外でじっと、様子をうかがう。それは顔らしい部分を動かし、きょろきょろとあたりを見渡している。
膠着が一分と続いたときのことである。ぐえ、と彼らにとって聞き覚えのある声が、陣の一角から聞こえる。他の騎士がちらりと見やれば、そこにいた騎士が、犠牲者と同様に崩れ落ちる姿と、佇んでいる同じような影があった。
騎士の一人がその名を叫び、笑っているように見える新たな影に向かって突進する。剣を振り下ろすも、緩慢な動作である敵に防がれるわけでもなく、しかし斬撃は命中することはない。
どこからか現れた黒は、腕から伸びている槌のようなものを振り下ろす。あるべき手応えに虚を突かれた騎士の脳天へ、音もなく。
ところが攻勢に出ていた黒い塊は、たちまち形を失っていく。ふわりとほどけるように、胸部まわりから消えていき、槌が騎士に命中する前に消えてしまった。
「ルー!」
とどめを免れた騎士が見上げたのは、皮の鎧に身を包んだ少年であった。彼の鋭い指示と共に、ほつれた円陣から中に入り込んだのは、およそ同じものを身に着けた別の少年だ。
そちらは足で血を踏みつけようとも、滑ることなく影に一撃を加えた。腹部に剣をしっかりと突き刺したにも関わらず、大きな舌打ちをした彼は空いている手を伸ばして魔物の頭部に拳をつっこむと、そのままぶんと、何かを天へと放り投げる。
騎士たちが目でそれを追う先には、きらりと光を反射する。
「アイレ!」
それは黒光りする、煙を吐き出す石。すぐに輝きが見えなくなってしまうが、一筋の光がそれを貫き、粉々に砕け散る。
パキンという音の後、ぱらぱらと落ちてくる石の破片に、呆然と中空を見上げる騎士たち。足元でぴくりとも動かない男を一瞥した少年はわずかに眉をしかめた。
「……助かった。ありがとう」
同じような表情を浮かべているもう一人の少年に礼を言いつつ、死を免れた騎士は倒れる仲間に声をかける。殴られたらしい脇腹を押さえてはいるものの、まだ生きてはいた。
近くにいた一人の騎士が駆け寄り、二人で負傷者に肩を貸して立ち上がる。顔を上げた先、長髪の少年の背後には弓矢を握る狩人らしい少女がいて、騎士たちと少年たちの様子を眺めていた。
急いで怪我人の手当てをしなければ。だが、それで終わりではなかった。
真昼の眩しい空の下、逃げまどう人々を追いかけるようにして、黒いものがゆらりゆらりと蠢いている。見渡すだけでも十はいる。明らかに動揺を見せる騎士たちだが、少年たち二人は無言で合流し、頷いたかと思うと一つの道を指さした。
その方向には敵こそいるものの、たったの二体しかいなかった。加えて、それらには対峙している人物がおり、その向こう側には国民だろう小さな後ろ姿が見えている。だがそれもつかの間、敵の姿は霧散する。
すると二人、妙剣の青年と短剣の老人が騎士たちに気づき、こちらへ来るよう腕を振る。少年たちが早く行くよう急かして、騎士三人はそちらへと歩き出した。
その姿を尻目に、ぽかんとしていた他の騎士たち。突然現れた少年たちの素早い行為に、呆気に取られていたが、諸刃の剣を握る少年がじろりと睨みつける。
「おい、魔物、片付けるぞ!」
にやりと笑みを浮かべる彼は言い終わるか否か、走り出す。当然、その場にいた全員の視線が追いかければ、あっという間に黒のもとへと肉薄し剣で薙ぐ。まるで滝を斬るように黒は両断されたものの、それは何事もないように短い剣らしいものを振り上げる。
だが上半身の霧が揺らぐ。続けて少年は膝のあたりに攻撃をしかけると、耳障りの言い音と共に黒い姿は搔き消えてしまう。
「やつらは、魔物です。黒い身体のどこかにある核を壊せば、倒すことができます」
やりましょう、と彼のすることを眺めていたもう一人が持っていた剣をさらに握りしめ、歩き出す。もちろん向かう先は彼らに気づき、歩いてきたらしい魔物だ。彼もまた、先と同じように一度、二度と攻撃を透かし、三度目で仕留める。
するとどうだろう、わずかにだが騎士たちの面が上向く。小さな少年が次の獲物へと駆け寄るのに負けじと、彼らもまた得体の知れない敵へ、ガシャガシャと重い鎧をまといながら、立ち向かい始めた。
二対一で接敵した彼らは少年たちほどではないものの、一体、一体と黒い何かを霧散させていく。あまりの緩慢な動きに油断する騎士がいたものの、危険が及ぶとなれば矢が凶器を弾き、剣が妨げた。
まるで訓練をしているかのような戦いであったが、確実に指揮は高揚していた。十ほどいると思われていたが、倒しても、消しても、彼らが視線を移す度に影は視界に割り込んでくる。
倒せ、倒せ。魔物を、倒せ。
騎士たちの口から、そんな言葉が漏れ始めていた。
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