025 聖都、その存在を

 にわかには信じられんな、とアーバルトは眉をひそめる。

「魔物、とかいうものが実際に現れた。それは信じるとして」

 訴えかけるような三対の眼差しと、退屈そうな青年のことなど気に留めず、親友の落ち着いた佇まいを睨んでいる。

「まず、討都トウトなんていう地名を聞いたことがない。隣国から紛れたほらふきではないだろうな、ビクター?」

 そこでビクターは、まったくもってその通りだ、と笑みを浮かべる。出入り口に佇む使用人に、地図を持ってくるよう指示したアーバルトは、そうだろう、と。当然、話題のルーネルたちはビクターを同時に見つめる。だが気にも留めない老人は話を進める。

聖都セトロアに害をなすと判断したら、牢に放り込めばいい。だがこいつらは、魔物のやつらにめっぽう強い。そこらの騎士よりも、よっぽどな」

 具体的には、と眉を動かすアーバルト。

 だがここで、初めて交渉人の言葉が濁り、楽しそうだった瞳が泳げば、どうした、とさらに詰められる。

「……おまえの目を疑ってるわけじゃない。だが、一人で三人を組み伏せる程度なら、傭兵に五万といるだろう」

 どうなんだ、と分厚い皮で覆われた手を顎に添える。

 実際、騎士には貴族出身の者が多い。そして血気盛んな冒険者ギルドへの所属者や傭兵には、騎士と互角、あるいはそれ以上の実力を備えている者も少なからず存在する。もちろん騎士への採用がないわけではないが、その多くは安定した報酬よりも、いまだ燻る好奇心が勝り、断ってしまうことが圧倒的に多い。

 そのような猛者は青年以上、初老未満ばかり。このような少年たちが同等の強さを持っているなど、にわかに信じられることではないだろう。加えて、そのような者が王都に入れば、なんらかの形で為政者の耳に入るはずなのだ。

 言葉に詰まるビクターはこれまで、彼らの具体的な実力を目にしたことがなかったのだ。ふぅと息をつき椅子にもたれたアーバルトを見計らったかのように響くノック音に、彼は入るように促した。

「俺たちは昨日、魔物を全滅させた!」

 沈黙が、立ち上がったルーネルによって破られた。

「昨日の、昼間だ! 騎士のやつらが苦戦してたやつを、俺らが倒したんだ!」

 突然の叫び声に立ちすくむ使用人、そして固まるアーバルト。

「おまえらは何も聞いてねぇのかよ! 俺たちがやったって!」

 ぎらぎらと鮮やかな赤い瞳で見下ろしながら、奥歯を強く噛みしめる。落ち着け、と骨っぽい指が肩に伸びるが、そんなものは彼の眼中にはない。

「魔物相手にろくに戦えねぇくせして、何いばってんだこの野郎!」

 隣に座るハインもなだめようと腰を上げる。及び腰になりつつも近づいてきた使用人からアーバルトは地図を預かると、なおも続ける功績の話に耳を貸さず、テーブルに広げた。

「聞いてんのか、この野郎!」

 動じない貴族に怒鳴ると、動じない彼はじろりと鋭い眼光を向ける。

「そうか、そうか。昨日の件は、報告を受けている。少年二人、少女一人が加わって、被害を最小限に追い払ってくれた、とな。礼を言おう」

 人差し指を下に向け、座るよう指示を受け、ようやくルーネルは腰を下ろす。しかしその目は相変わらずである。

「それを耳に挟んだのは、今朝のことだ。悪く思わんでくれ。よもや、そんなやつをこいつが連れてくる、なんぞ露にも思わなんだ」

 笑いもせずくいと顎で指されたビクターは姿勢を正しながら、なんだと、と目を丸くする。

「こいつ、没落貴族でな。再建も目指さず、冒険者ギルドなんぞに入りよった。それで、貴族を巻き込もうとするたびにこちらに連絡をよこしてくるようなやつだ」

 地図の端に数個のおもりを乗せて、次いで指が乗せられる。

「それも、人手が足りないだの、個人に融資をしてくれだの、そんな話ばかりだ。信用はできるが、あまりにも、人が良すぎるんでな」

 やれやれ、と首を横に振る男は、ここが王都であることを告げた。

「へぇ、このビクターさんが?」

 反応するのは押し黙っていた二人だ。クーオが目を丸くして、アイレはちらりと話題の人へと視線を向ける。初老は柔らかく話題を逸らそうとするものの、親友は方角の説明をしつつ話を続ける。

「価格の高騰した薬草を集めるため、騎士の応援を要請する。移民が賊と化したらそれを単身、駆逐しようとする。ガキが盗みを働けば日雇いのギルドに紹介する。ギルドの新人教育制度を始めたのも、そいつだ。国としては、優秀な人材が一人でも増えるのは、いいことではあるんだがな」

 アーバルトがにやりとすると、大したことはしとらん、とビクターは腕を組む。いつの間にか増えた二対の視線に気が付くと、さっさと答えてやれ、と地図を顎で指した。だがルーネルもクーオも動こうとはしない。そこでアイレは平面をのぞき込むと、数回首をひねる。そして王都付近のことを尋ねながら、指を紙の上に滑らせていく。

 途中、魔王の根城は、とルーネルが尋ねるものの、後でな、とアーバルトは首を振る。最終的に、うろうろとしていた彼女が示した場所は、討都から遥か遠く、何もない地点である。

「……おまえら、本当にそこから来たのか?」

 正しくは、地図の上でも不鮮明に描かれた地点。国境の線を阻むようにくるりと描かれた、円の中には木を現す記号がぽつぽつとあるばかりで、文字は一切書かれていない。

 アイレはそこから、紆余曲折あって王都まで到着したと伝えた。途中、誰かと会ったか、と尋ねられると、誰とも、と首を振る。

 そもそも、その周辺には町も村もありはしない。ただ人の手が加えられていない大地が、いや正しくは、瓦礫と化した遺跡群がある。もはや人が住めるような場所でもないが、歴史の調査のために残そう、と数代前の国王が言い出したらしい。調査が行われた記録は少なからず文書として残っているが、目を見張るような発見があった、という報告はない。

「……だが、わしらが知らんのも事実か」

 静かに見下ろす二人の初老。仮に討都トウトが実在し、交流があるというならば、誰かがやってきたという噂が流れているはずだが、そういったものはない。

 二人とクーオが悩むようなしぐさをしていると、アーバルトの後ろに控えていた使用人が声をかける。

「ビクター、そろそろ時間だ。魔物と、そいつらの件は承知した」

 次の予定だ、と付け足して大儀そうにそうに立ち上がった彼は、どこかげんなりとした顔で外へと向かう。ともすればハインが声をかけて、コーエの行方について尋ねるも、知らない名だと首を振るばかりだった。


 話を終えた四人は案内されるがままアーバルトの屋敷を後にした。

 魔物の存在、三柱トリアッド石柱オベリスク。そういった話を共有できただけでも上出来だと結論付けたビクターは、彼らを連れてギルドへと戻ろうとしていた。

「なんか、腹減ったな」

 陽も高くなる頃だ。道脇に、ちょうど軽食の店が。すかさずクーオが待つように言って、そこへと駆け出す。一人だと持てないでしょう、とハインが後を追いかける。

「なんで、こんなに静かなんだろうな」

 右手首に触れるルーネルの呟きに、

「外は平和だから、魔王のことは秘匿しろって、王様は命令したんじゃないかな?」

 アイレは人数分の商品を持って戻ってくる二人を眺める。

「ほんとに、そうなのか?」

 分からないけれど。ハインから差し出されたものを受け取る彼女は、まず一口。ルーネルも同様に受け取って、うまいと口にする。

 ゆっくりとした王都の時間を、五人は歩いて行く。人の目など気にせず、おいしいおいしいと指についた脂さえもおいしくいただき終えた、そのときである。

 大きな悲鳴が、びりびりと王都に木霊した。

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