023 奮闘、影の群れへ
「爆破、放て!」
先頭に立っていた騎士の一人が野太い声で命令すると、横に並んでいた者たちが持っていた小さいものを、立ち込める黒い霧に向かって放り投げる。きれいな弧を描いた十ほどのそれらが霧に飲み込まれて間もなく、ドン、ドンと轟音に近い破裂音が中から聞こえ始める。
破裂音に合わせ、大きくうねっていた霧は静寂を取り戻したかと思えば、ゆらり、ゆらりと形を持ち始める。武器をもつ背の低い、何十という小人となった。その頭部らしい部分に現れる口らしい裂け目が、にたりに歪む。
「かかれ! 王都に近づけさせるなぁ!」
低くも通る号令に呼応して、騎士たちも声を上げ指揮を高揚させていく。
お互いの邪魔にならぬよう散開した騎士たちは黒い塊へ得物を振り下ろしていく。だが揺らめく相手にそれが通用するはずがなく、先の戦いの教訓もあってか、被害を抑えつつも防戦に持ち込む。
脚を、肩を、首さえを落とそうとも、手応えはない。しかし相手の攻撃は味方を傷つけ、捨て身のようにも見える一撃をしかけてくるばかり。ならば爆薬を用いればどうかという上司の提案も、結果、効果は薄い。
「負け戦、か!」
ぽつぽつと聞こえる悲鳴の中、号令を出していた騎士が吐き捨てながら、得体のしれない敵の緩慢な斬撃をいなしつづける。背後から音もなく襲ってくる太刀筋を辛くもかわしつつ振り返った彼は、敵の背後の向こう側に、戦場から離脱する霧の塊を認めた。
「後方に敵影! だが、この場を抑える!」
しかし彼は、騎士たちにそう命令する。わずかに遅れて悲鳴が木霊すものの、生き残っている者たちはみな、それに従った。
眼前の霧が一薙ぎ。対する騎士は叩きつけるよう剣を振り下ろせば、金属音を立てて黒刃は地面へ。ふんと息巻きながらさらに踏みつけると中ほどで脅威は折れ、次は踵を返したかと思えば背後の霧へと斬撃をしかける。防ごうとしたらしい敵の身体を刀身は通り過ぎる。同時にパキという手応えと共に、ふわりとその姿をかき消した。
一瞬目を見張る騎士は、しかしそうしている暇などない。また振り返り、迫ってくる攻撃を防ぐ。ゆらめく、掴みどころのない姿は、また笑っている。
再び彼は目を大きく開く。
敵の背後、王都へと進軍していた霧が道半ばで、形を持った群れとなっていた。うごめく塊の真ん中から、色濃く霧が立ち上っている。よくよく見てみれば、初めに見た時よりも小さくなっているようにも。
だが一軍の将である騎士は口を結んで、剣を引いた後に斬り上げる。何の感触も得られず、舌打ちをするしかない。
ぼんやりと立っている魔物の胸部に手を突っ込み、引き抜いたルーネルは握っていたものを宙に放り、背後にいる彼女の名前を叫ぶ。すると地面へと引かれる直前に煌めくものが、魔物の核が、矢じり貫かれ砕け散った。
先に草原へと出た騎士たちと対峙した瘴気はすぐに実体を持ち、争い始めた。それから間もなく、新たな瘴気が発生し、王都へと流れ始めた。
それを認めたルーネルたちは武器をとり、戦闘を開始した。
いるもの、あるもの、肉持たぬ存在から、唯一の臓を奪い去っては、砕いていく。時には踏みつけ、穿ち、斬り、ひとつ、またひとつと霧散していく。ルーネルとハインがアイレを背に、弓を引く時間を与えてやる。彼女は常に周囲を警戒して、彼らが防ぎきれないだろう攻撃を、寸分と違わぬ射線で防いでやる。
お互いがお互いを守りながら、魔物を片付けていく。
「これで最後!」
掛け声と共に二本の剣が交差し、黒い肉体を十字に斬ったかと思うと、残った拳大の核が割れて、草むらに散る。小さな音と共に落ちた石は、とどめと言わんばかりに近づいてきたアイレに踏みつけられ、パキキと悲鳴を上げる。
「行けるか? おまえら」
一息つきつつ、周囲に瘴気が見当たらないことを確かめるルーネルはじっと、いまだ闘争を続けている魔物の群れをにんまりと睨みつける。
「装備があれば、どうにでもなるな」
息は上がっているものの、まだまだと言わんばかりのハインの一方で、
「ルー、私に任せすぎ。矢が残り少ないんだけど」
軽く視線を険しくしながら、右手で矢筒をカラカラと揺するアイレ。しかしここまで来て引くという選択肢は彼らには用意されておらず、促されるまでもなく少年二人を戦闘に、次の群れへと立ち向かう。
一人、また一人と倒れ、次第に追い詰められていく騎士たち。
「手伝う!」
そんな彼らの耳朶に届いたのは、まだまだ若さの目立つはつらつとした声だ。防ぐことしかできていなかった騎士たちを、一人、また一人と一撃、あるいはもう一撃で助けていく。己にかかる重圧がふわりと軽くなった時、そこに現れるのは、二人の少年。一方はきらきらと輝く朱色の瞳が目立ち、他方は長い髪を揺らしている。
騎士の一人に釘付けになっている霧は容赦なく払い、不意を衝くようにして現れた黒には殴りかかり倒していく。破裂するように、あるいは、ふわりふわりと立ち上っていく闇を、呆然と見上げる騎士たちの中には、安堵の息をつくものもいた。
やがて霧は、その姿を現さなくなった。それらは王都から若干遠ざかり、少年たちの加わった騎士たちの様子をじっと、うかがい始める。もちろん二人と、遅れてきた少女一人はかなり小さくなった霧の前に立ちはだかり、騎士たちに手を出させまいと立ちはだかる。
「……さっさと来いよ!」
まだやり足りない、と背の低い方が両手で剣を握って叫ぶ。高い方は相手を睨みつけ、少女は矢を弓につがえ、ぎりぎりと引き絞っている。穏やかな風が心地よく彼らを撫でた。
「骨のあるやつも、いるんだねぇ」
しかし押し流されることなくもやもやと揺れる霧を含め、その場の全員が貫いていた沈黙が突如破られた。
「ああ、ユーラに殺されかけてたやつか」
気づかなかった、とおかしそうにくつくつと笑いの混ざるその声は瘴気から発せられていた。かと思えば明らかに、再び何かを形作ろうと蠢いている。
光を通さぬ帳から、ぬっと上半身を起こすようにして現れたのは顔以外を覆い隠している、いかにもやせ細った背の高い男だ。唯一見える灰の瞳をもつ顔は、頬骨は浮き出ているし、目元も濃い隈が見受けられる。瘴気を織ったかのようなフードつきのローブで、額からその下全てを覆い隠している。
「どーも、カルトンだ。よろしく」
にやりともしない、どこからか現れたか分からない人物に、騎士たちは息を飲む。
「おお怖い、怖い。魔王様が進軍しろっていうから来ただけなのに、手厚い歓迎だ。これは、敵と認識してくれた、っていうことでいいんだろうか?」
ヒュッと矢が鋭く彼の眉間を射貫く。黒い穴だけが空いて、するすると霧によって埋められる。
「そういうこと、なんだねぇ。俺らは
わずかに目尻を下げた男は続ける。
「おっと、失礼。今回の侵攻は、失敗だ。引かせてもらおうと思うんだが、見逃してくれるかい?」
まずはルーネル、そしてアイレ、ハインと眺めたカルトンに、
「ざけんな! ここで戦えよ!」
もちろん彼らはそんなことを望みはしない。
「……いいや、引かせてもらおう。不利なのはこちらのようだから」
頭を振ると同時に、瘴気がゆらゆらと遠ざかり始める。待ちやがれ、と叫ぶ
足止めにもならないそれは胸を射貫くと、風も吹いていないにも関わらず、ぶわりとローブが舞い上がった。そこにはカルトンの肉体なんてものはなく、瘴気よりも、夜よりも暗いものをたたえていた。
敵を見据えていたルーネルとハインが、音もなく闇から飛んできたものを剣で薙ぐ。明らかな狙いを持つ伸びてくるそれらを二回、三回と払った時、それが妙な手応えを彼らに残し、ぼとりと地面に落ちた。
いつもならば聞こえないはずの音に、はっと足を止めたルーネルはそれを見た。
鞭のように伸びていたものから霧は消えていた。ふわりと黒は消えて、蒼白とした、見覚えのある形になっていた。
二の腕から先、切断したかのような人の手が、草原にぽつんと、落ちていた。
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