021 王都、満ちる影
断続的に響くドラゴンの唸り声。低い、低い、ゴウ、と地響きを思わせるそれは、しかし一頭から発せられるものだ。ゲンドを除く者たちは、その声に共鳴することもなく、静かに眠り続けている。
彼が見守る中、ルーネルが魔物に斬りかかった。
人型をした魔物の首に短い刃が食い込むが、手応えに変化はない。にたりと口らしいものを頭部に形作った魔物は、懐に潜り込んだ相手を長物で相手するのは分が悪いと判断したのか、少年の頭部めがけて左手に作った拳を向けた。
だが勢いを全く殺さず魔物の背後へと駆けていたルーネルに、細い腕は音もなく空ぶるだけだ。
その先では二体の魔物相手に、防戦一方を強いられているクーオがいる。近づいてきた少年の姿を認めて素早く接近し、武器はないかと尋ねる。これしかないと短剣を見せた少年は、一瞬ばかり逡巡を見せたが、それを半ば押し付ける形で手渡した。
「いいのか? 俺が訊くのも変な話だけど」
願ってもない行動に、クーオは遠慮なく握りしめて具合を確かめる。
「あんた、丸腰だろ。俺には、まだこれがあるからよ」
にやりとする彼自身の胸元でぎゅっと握りしめられ、ググと鳴る右手。そりゃ頼もしいわ、と言い残して、クーオはよたよたと歩いてきている魔物のうち一体へと肉薄する。
待っていましたと言わんばかりに振るわれる、地面に触れるほど長くなった剣らしいものものを、クーオはよけることもせずに短剣を振り上げる。カチンと音を立てて黒い剣が上方向に弾かれて空ぶると、驚いている様子の魔物の胸部を思い切り薙ぐ。
するとコツ、という音と共に霧の塊は一瞬かき消え、その断面が見える。
満ちているばかりの、黒い霧。残っていた形もふわりと霧散して、空に溶けてしまう。
遅れて、コツ、と地面に落ちるのは、短剣に弾き出されたもの。拳で簡単に握れるくらいの大きさの、霧を噴き出す黒い石。夜でもきらりと光るそれの内側に、何かがうごめいている。
「それを壊せ!」
クーオの方など気にしていないルーネルが指示する前に、核を認めた青年は霧を噴き出し始める結晶めがけ、膝立ちになり刃を振り下ろす。霧に視界を奪われようとも、すでに研ぎ澄まされていた狙いは、核の芯を貫く。
噴き出していた霧が消えると、まっぷたつに割れた白い核が地面に転がっていた。
汗もかいていないクーオは一度だけ息をつく。しかし終わるか否か、身を反転して立ち上がり、もう一体の魔物と対峙する。緩慢な動きの相手は仲間の息絶える姿を眺めていたように見えるが、依然として様子に変化はない。
「こんなら楽勝か」
軽く頷きながら呟いた彼の視線が、闇に紛れかけている後輩へと向く。
一方のルーネルは両手に拳を握りつつ、相手に打撃を加えようとしていた。もちろんそれは全て魔物の身体に飲み込まれるものの、いずれも核を見つけるには至らないでいた。
魔物は距離を詰めてくるルーネルに対し、剣を短くしてがむしゃらにふりまわす。だが素直な刃の軌跡は容易く避けられる。
頭部、胴体のどこにも核がないことを知ると、次は武器を携えていない左の肩から手にかけてかきわけるようにして仕掛ける。すると黒いものが肌を撫でる感触を残すばかり。
「なら、そこか!」
宣言し、構えて、短剣を突きだされた短剣をかわす。同時に右肩に手を突っ込み、刃物の方へと動かす。ほくそ笑むルーネルが手首のあたりで手を引き抜けば、その魔物はたちまち形を失い夜に還る。
それでも諦めないといわんばかりに核から噴き出す瘴気に、終わりだ、と宣言した彼は地面に叩きつけ、踏みつける。砂利を踏んだような音が響き、足をどけると、そこに蠢く闇の姿は微塵もなかった。
それが見間違いでないことを再三確かめ、額をぬぐった少年が振り返ると、ちょうどクーオが二体目の魔物を片付けた頃だった。
尾を引いて、静寂を取り戻していく王都の一角の夜。
じっと警鐘を鳴らし続けていたドラゴンが、再び瞼を閉じた。
「あー……なんで俺がこんな目に」
握っていた短剣を返し、げんなりとした様子のクーオの一言に、こんなもんじゃねぇよ、とルーネルは軽く彼を睨んでから、ゲンドの姿を確かめた。
「ユーラのときも、今回も、やけに数は少なかった、魔王がここにいたなら、百や二百とかくるんだぜ?」
ドラゴンは先ほどのことどころか、彼らがやってきたことにさえ気づいていなかったかのように、眠りこけていた。
「そりゃ、怖ぇな。あんなやつが数で攻めてきたら……混乱するしかないなぁ」
ゲンドを一瞥した青年は、帰るぞ、と肩に手を置くと、少年は頷く。今度は青年が先行して、夜の王都に踏み出した。少年は、右手首を軽く握りながら。
そこから二人は他愛のない話をしながら、ルーネルは宿まで送られ、クーオと別れた。
まだ開いていた宿に入ると、そこには背筋を伸ばした一人の女性が、受付に用意されていた椅子に堂々と座っていた。少年は仲間の待つ部屋へと向かおうとしたが、突然立ち上がったコーエは足早にルーネルに近づくと、その頭を掴んだ。
「おい、ルーネル。報告をすっぽかして、連絡もせず出ていくとは、いい度胸だな?」
怒気をはらませつつ微笑む上官が、じっと彼のうなじを見つめている。
「おまえは以前から、そうだよなぁ。訓練以外は、どこか抜けている。おまえから聞く報告と言えば、模擬戦の戦績くらいだ」
わたしがそんなに嫌いか、と尋ねれば、
「そ、そういうわけじゃねぇって。ただ、座学が嫌いなんだよ」
もっともらしい、子供らしい答えと共に手を払うように振り返るルーネルは、見下ろしてくる金へ、反抗の色を滲ませる。
「報告は、座学じゃないぞ未熟者が。魔王を討ちたいという心意気は認めるが、そんなもんばかりで走っていても、これまでの隊と同じ目に遭うだけだぞ」
俺は負けねぇよ、と対峙して息巻くルーネルだが、コーエはじっと見下ろすばかりだ。
「その意気は見上げたものだ。だが、逃げ出した魔王がいつしかけてくるか分からん以上、どんな些細なことでも気にかけておく必要がある」
報告しろ、と続けて手に力を込める。だが動じることはなく、その手を引きはがして口を尖らせる。だが凛とした表情は、この数時間の出来事を聞き遂げるや否や、化粧も何もしていない瞼が、瞬きすら、呼吸すらも忘れたかのように停止する。
右腕を示しながら報告をしていたルーネルだったが、魔物、と二度口にしたとき、そうだ、と叫ぶ。
「そうだ、そうだよ! 王都ん中に魔物がいたんだ! 三体! ギルドの先輩に助けてもらってどうにかなったけど、やばいって!」
固まるコーエの前でやばいと繰り返す彼の突然の声に負けじと、お客さん、とぴしゃりと声を張り上げる。
びくりと跳ねた彼女の身体がそろそろと振り返り、少年はぽかんと口を開きながらそちらを見やる。騒ぐなら外でやれ、と出入口を指さす主人を認め、頭を下げた二人は足早にコーエの借りている部屋へと入ってしまう。
部屋に入るなりぽっと明かりをつけると、殺風景な景色が広がってた。王都に残る彼女も年頃な女性であるはずだが、借りている部屋を飾ることなど一切せず、ただ王都を中心に描いた地図をでかでかと壁に掲げているばかりだ。
「ルーネル、だから報告しろと言ったろう? さぁ、続けろ」
備え付けられている二つの椅子のうち一つを示した彼女は、首元の留め具を外しながらもう一方に座る。
「魔物は、三体。挟み撃ちされた」
たった数時間前の出来事を、覚えている限りの報告を、改めて始める。
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