018 爪跡、道の途中で

 ゴトン、ゴトンと規則正しい音と共に、ゆったりとした景色が流れていく。

「ルーネル君、どう?」

 どこまで続くんだろう。その言葉がくすぐるのは好奇心か、はたまた恐怖心か。地平線まで見える草原を、行きよりも高い目線で眺めているルーネルは、ふとくぐもった声をかけられる。

「すげぇ! こんな高いとは思わなかった!」

 涼し気な軽装姿でぼんやりとしていた彼は、いかにも好奇心に溢れた大声を出す。するとティーカは軽く前かがみになり、灰色に手を伸ばし、鱗一枚をそっと撫でてやる。ふと進行方向に視線をやったルーネルだったが、そこには悠々と歩調を乱さず、じっと睨みつけてくる深紅が一つ。

 威厳のあるそれに射貫かれ、観光気分も吹き飛んでしまったらしい彼は、口をぽかんと開けぱなしに。間抜けな姿を顧みることなく、驚かせないであげて、と竜の主はおかしそうに笑う。

「この子、神経質だから、大きい声に驚いたのよ。安全だって、分かってはいると思うけれど」

 固まっている子供の前でひらひらと手を振る主を認めると、ゲンドは再び前方を見据え、興味なさそうに道の先を見つめなおす。

 森の集落を出発して二日目の透き通った空の昼。ゲンドの背中に乗ってみる、というティーカの提案に、すっかり調子を取り戻した新人冒険者たちは、もちろんと頷いた。驚かせるといけないから一人ずつね、という条件のもと、ルーネルは広大な景色に入り浸っていた。

 ティーカの跨っている鞍は、ゆうに二人は座れる余裕がある。救助した人を乗ることこそあるが、多くの場合は乗りながら口にできるものなどを乗せているのだという。おかげでルーネルはティーカに密着しすぎることなく、のんびりとした時間を過ごしていた。

 しかしいくら眺めても、いくら過ごしても草原ばかり。変わり映えのしない景色に次第に飽きてしまったらしい少年は、それとなく視線を下げ、ゲンドの体躯を観察し始める。

 一枚一枚、大きな大きな鱗をまとうそれは、茂みに身を隠すようなトカゲをそのまま大きくしたようなもの、のように見えるが、上から見てみると、そういうわけでもないらしい。

 指や足は横ではなく前方を向いているし、人間でいう肘は後ろ方向に曲がる。細長い身体の横方向でせかせかと動くはずの四肢は地面に対して垂直。後ろを振り返ることもできる長い首は、馬に近いものを思わせる。伝説にはコウモリのような翼を持つなどとあるが、彼はその限りではないらしい。

「なぁ、なんであんたは、鎧なんか着てんだ?」

 ふと口を衝くのは、その一言。

 頭のてっぺんから、指先、つま先まで、鈍く光る灰色。誰が見てもその答えを求めることだろう。

 くすりと笑ったティーカは、急げ急げとビクターが繰り返している道のりの途中、ゆったりとした時間に身をゆだね、大した事じゃないわ、と。

「肌がね、弱いの。夕日でもあっという間に肌が焼けちゃって、ただれちゃう」

 はばかることなく口にして、ルーネルは数秒の沈黙の後、謝罪する。

「構わないわ。古傷だらけの顔を見られて、化け物なんて言われたこともあるし、引くくらいぼろぼろだから」

 よくよく鎧を見てみれば、いずれの部位も歪んでいて、相当使い込まれているのだろうと予想される。

「子供のときからの夢でね、いろんなところに行きたいって、冒険者になりたがってた。親を何回も困らせて、治らないけれど、これならって、鎧を買ってもらって」

 懐かしい、とどこか冷たく締めくくる。もう一度、ルーネルが謝るが、

「何回も言わせないで。いいのよ。この身体を呪ってはいるけれど、それで今が変わることなんて、ないんだから」

 返事が聞こえないまま、ゲンドに揺られること数分。はたとティーカは振り返る。ぼんやりと遠くを、地平線をじっと見つめていた少年の顔には、軽く影が差していた。彼の膝にティーカは触れると、

「ルーネル君、そろそろ、交代の時間」

 とわずかな休憩を提案した。


 弓を背負ったままのアイレはのんびり、のんびりと景色を眺めていた。ただの移動時間であるにも関わらず、荷物を預けることもせずにゲンドの背中に揺られている。いわく、魔物の姿を見つけたら、即座に威嚇射撃を行えるように、とのことだった。

 しかし、ゆっくりと流れるばかりの雲。さざなみ立てているばかりの草原。魔物らしい姿なぞ影どころか霧さえもない。

 ぐらり、ぐらりと竜の歩みが作り出す不安定な足場であるにも関わらず、時間の経過と共に上半身の揺れが小さくなっていく。それでも大きな身体の揺れは完全に殺すことはできず、結局揺らされるばかり。

 そんなことに暇を費やしていると、ティーカが背中越しに彼女へ声をかけた。

「アイレちゃん、ハイン君たちとは、長いの?」

 何気ない問いかけに、

「はい、幼馴染です。三人一緒に訓練して、正式に討伐隊に入って、すぐに討都トウトから出て……」

 あっという間だったな、と眺望しながら。

「王都に到着して、ギルトに登録。魔王の情報を集めるために、初めての依頼をするぞってなって、半月も経ってないのに、手がかりも得られた」

 笑みを深くするアイレに、よかったわね、と彼女もまた穏やかに。それから他愛もない話に花を咲かせ、のらりくらりと地平線に見えてきた王都に向かって竜車が駆けていく。だがそれを認めているのはゲンドのみで、主に向けて知らせるようなこともしない。

 あれはこれはという会話の最中、おーい、と横やりが入った。視線を下方にやれば速度を上げてきているクーオとその愛馬がいる。いつの間にか幅の広くなった道で並走する彼は、会話を中断したティーカにあちらを、正面に見える王都から右手に広がる草原を見るよう叫んだ。

 返事をした彼女に従い、その場に居合わせたアイレもそちらを見やる。

 国の中枢である王都へと伸びる大量の道。道と道を埋めるのは、青々と茂り、背を伸ばす雑草の群れ。あちこちに点在していた部族を取り込み、部族が村に、待ちに、そして国に。かつて我がもの顔で駆けていたのだろう馬の姿は、すでに影すらもない広大な平野。

 青年の示した先には、大量の何かが転がっている。

「なにあれ……」

 まだ勢いの衰えない太陽の方角と重なるため、手で光を遮りながらよくよく目を凝らしてみるアイレだが、それよりも早くそれが何であるかを認めたティーカが見てはだめ、とその手を掴んだ。

 息を飲んだ。

 陽の光に隠される前に、何がそこにあるのかを悟ったのだろうアイレが目を見開き、見えていないにも関わらず、少しずつ流れていく方角に釘付けとなる。

 それは人間が身に着ける、鎧だった。鎧ひとつだけがそこにあるだけなら、ただの捨てられたもののひとつであり、そのようにははならないことだろう。

 それを着たまま、倒れている人の群れ。遠く、遠くにあるものにも関わらず、ほのかな腐臭が鼻を衝く。

 十や二十ではない。もっと、もっと多くの人々が、鈍重な装備を身にまとい、燃やされることも、埋められるでもなく、野ざらしになっている。ある者は茶色く汚れ、ある者は首をはねられ、あるいは、上下を分断され。

「クーオ! タイミング悪い!」

 とっさにティーカが眼下の彼を叱責するが、さっき気づいたんだよ、と眉間に皺を寄せる。

「その子を乗せたまま王都に入るつもりだったんだろうが、どの道時間の問題だろうが! 文句言ってる暇があったら、ケアしてやれ!」

 彼の進言に、手近な荷物から革袋を取り出す。ふたを開いて、ゆっくり飲んで、と差し出せば、震える手がゆっくりと口に運ぶ。

「大丈夫。私たちが守ってあげるから」

 一口飲み干したアイレはその後、王都に入るまで、ずっとうつむいたままであった。

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