chap2 聖都《セトロア》と魔界《アルダー》

ep1 帰還の途中

017 野宿、内を語って

 ぱちくりと目を開いたルーネルは、ゆっくりと上半身を起こすと、かけてあった毛布がずるりと落ちる。ぐるりとあたりを見渡せば自身とは異なる席で、しんと静まり返った荷台の中で、アイレもハインも同様に眠っていた。

 森での戦いを終えるなり、彼らは採集依頼よりも王都に戻ることを優先したビクターに従い、ろくに休みも挟むことなく行きに使った荷台を借りて集落を出発した。しかし、陽が落ちてみれば溜まっていた疲労は緊張の堰を切ってあふれ出してくるもので、ゲンドに跨っていたティーカが森を抜けたら休みましょう、と提案したのだった。

 ガタガタと揺れていた荷台が停まり、ようやく落ち着いて眠れると、他の者たちが外に出ていくのを尻目に、ルーネルは眠っていたのだった。

 ふと、グゥ、と腹の虫が鳴いた。

 昼に携帯食料を食べたきりということに気づいたらしい彼は立ち上がり、アイレの管理する荷物から食料をとろうとする。だが生憎、ハインの負傷した脚の下で台になっていた。すっかり寝入ってしまっている彼らに手を伸ばそうとするも、頭を一つ振る。冴えてしまった目で、ルーネルは外への垂れ幕に手をかけた。

 すっかり冷えてしまった夜風が、ふわりと車内に流れ込む。そこには夜空を背景に草原が波を立てており、ザワザワと微かな音を立てていた。

 その真ん中に、明かりが一つ。目を凝らすまでもなく、三人の人影がある。

 腹をさすりつつ、ルーネルは歩き出す。ふと視線を横にずらせば、荷台に背を向けるゲンドが静かに目を閉じていて、荷台を挟んだ反対側には一頭の逞しい馬が何事かと彼の方を見つめていた。

 少しばかり歩くと、ようやく起きたか、とビクターがにやりとする。口を尖らせ、悪いかよ、と返事をすると、

「誰もそんなこと、言ってないわ」

 とティーカが焚火にかけていた鍋から一人前、入っていたものをすくいルーネルに手渡す。それは肉の塊の浮かぶ、ほかほかと湯気を舞い上げるスープだった。続けてクーオが匙と、紙にくるまれていた固いパンを手渡す。

 二人に礼を言う前に、早う食え、とうなる腹に従い、どかりと座ったルーネルは食べ盛りさながら、ガツガツと平らげてしまう。

 やがて空になった器と紙を、隣に立っていたティーカが受け取る。それを皮袋に入っていた水で軽く洗い流すと水気を布でふき取り、ゲンドの脇腹に下げられていた荷物の中にしまわれる。

 満ちた腹をさする少年をよそに、別の容器を取り出したビクターはそこに飲み水を注ぐと、火にかけ始めた。

「それで、ルーネル。お前たちの目的はなんだ」

 皺をより深くしながら、のんびりとした様子で尋ねる。

「魔物は、いないのか……おまえは、先日、そう訊いてきたな?」

 軽くうつむいてからわずかに頷き、ビクターの隣にいるクーオとティーカの様子をうかがう。すべきことを終えたらしい二人は、ちょうど佇まいを直しているところだった。

「ああ、そんなものはおとぎ話だ。わしらは、そういうものだと生きてきた。なら、なぜおまえたちはそれが実在すると、知っていた?」

 わずかな間をおいて、説明したら協力してくれるのか、と迷いのないまっすぐな切り返し。だがビクターは一言、内容次第だ、と目を細める。

「仮にあの、魔王ゼル、とかいうやつが童話のように聖都セトロア支配を目的としているなら、協力しよう。だが、混乱を眺めてほくそ笑むようなただの愉快犯ならば、わしらの出る幕はないな」

 パキ、と焚火が上に伸びる。口を結んでいたルーネルは顔を上げ三人を見渡す。フツフツと沸いてきた水に笑みを浮かべつつ、ビクターはグローブをつけたままの手を取っ手に伸ばした。

「俺たちは、討都トウトから来た」

 いたって真剣な、火にも似た眼差しにクーオは軽く首を傾げる。コポコポと手元にあった小さなカップに湯を移して、互いの姿が大量の湯気に隠れる。身体にかからないように気を遣っているらしい老人は、続けなさい、と。

 ルーネルが言うには、討都トウトはいにしえから、繰り返し、蘇る魔王を倒してきた者たちの住まう都だ。

 魔王は魔界アルダーに満ちている黒い霧、瘴気を聖都セトロアに呼び込む。それらに核を与えて魔物を作り出し、そして世界の支配を企んでいる存在である。

「ほーぅ? なら、なんで俺たちは、そんなやばいやつらのことを知らないんだ? 今回のやつみたく、堂々と宣言してたら、嫌でも耳に入るだろ?」

 呆れた様子のクーオの問いに、今回は逃げ出したんだ、とルーネルは握りこぶしに力を込め、ふとビクターの差し出すカップに目を丸くして、受け取る。ほかほかと湯気をたたえる白湯は、顔を近づけるだけでもべったりと水滴を付着させる。

 討都トウトの王は代々、魔王の蘇りを予知することができる。何度も、何度も、顕現する度に討伐してきたのが、討都トウトに住む者たち。もちろんルーネルたちもそのうちの一人だ。王の予知を受け、今の魔王が討伐隊によって仕留められていれば、ルーネルたちはここにはいなかった。

 すなわち数年前、復活を予知した王の命令によって派遣された百八五次討伐隊が魔王の玉座へと向かうと、そこはすでにもぬけの空。そこから捜索の範囲を広げつつ、ルーネルたちの所属する百八十七次討伐隊が討都トウトを出たのだという。

「魔王……そいつは一体、どんな姿をしているの?」

 ティーカもまたカップを受け取っているが、口をつけようとせずに尋ねる。

「それが……分からないんだ。魔王は、毎回違う姿をとるって、習った。本当に、魔王がどこかにいるっていう情報しか、ないんだ」

 ぎゅっと強く握られる少年の拳。そう、と彼女。赤くなった舌を外気にさらすクーオがそれじゃあ、と喋りにくそうに続ける。

「魔王ってのと、おまえらが殺ろうとしないのは、なんか関係あんのか?」

 緊張感に欠ける彼だが、トーンの落とした言葉はいたって真剣そのものだ。こくりと頷いたルーネルは真直ぐビクターを見つめたかと思うと、

「敵は、魔王であって、人どうし、手を取り合って立ち向かうべきだから」

 白湯をうまそうにすすり彼に言い放つ。すると、それは結構な志、とカップに波打つ水面に視線を落とす。

「その思想は、殺されそうになった今でも、変わらんかね?」

 じろり。皺だらけの視線が鋭く向むけられ、しかし少年は黙って睨み返す。

「わしらは冒険者ギルドの、有象無象の集まり。討都トウトで教えられてきた思想を信じ続けるのもまた、自由」

 再び、熱さを感じさせぬ一口をあおる。

「だが、協力者や、信じて依頼を出してくれる者たちを、裏切るようなことは、決して、するんじゃないぞ、ルーキーども」

 ふぅと白い吐息が、天に昇ってふわりと消えた。ルーネルはただ黙して、もうもうと湯気の立つ白湯に口をつけた。一瞬だけ白い水面が触れて、ぴくりとする。だが次の一口は、冷め始めていた身体をじわりと温めた。


 ルーネルが荷台に戻ると、相変わらず眠っている百八十七次討伐隊の仲間がいる。

 自身の寝床に横になると、痛みに顔をしかめながら、ぎゅっと目を閉じる。

 魔王を、倒す。

 世界に平和をもたらし続けるために、討都トウトに課せられた使命。

「絶対に、殺す」

 ぽつりと呟いた彼に、どこからか心地よい風が吹きつける。

 揺れる垂れ幕の向こう、焚火へと歩く姿が、ひとつ。

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