016 決着、ユーラとゼガン

 斬る、というよりも、振り回す、と表現した方がふさわしい雑な軌跡をかいくぐり、クーオは人型の胸部を薙ぎ払うように剣を振るった。手入れの行き届いた剣の描く弧が、木漏れ日を受けてきらりと美しい跡を残す。

 やはり空を裂くばかりで手応えはない。舌打ちと共に身を引いたクーオに向けて、ユーラは手首を捻って思い切り薙ぐ。それでもゆっくりとした一撃は、左手が添えられた剣に防がれる。

 黒剣が青年の耳元でミシとささやく。魔物は刃を引いてくるりと身をひねると、反対側からの一撃。狙いの甘かった攻撃を弾くとクーオは妙剣を、力の行き場を誤った黒剣に向けて真上から振り下ろす。わずかにひびの入っていた箇所にめがけて、まっすぐ。

 ガチンと刀身どうしがぶつかり、まずは黒い切っ先が地面に着地する。勢いの止まらぬ妙剣の力をそのまま全身に受け、ひびにしたがってパキンと音を立てて折れてしまう。

 まくろな断面にユーラが軽く目を細めると、その背後には何十という棘が漂っていた。青年が顔をあげると同時にそれらは射出されるも、彼にそれは届かない。ユーラともども薙ぎ払われた攻撃は彼女の指揮を離れ、朽ちていくばかり。

 そのとき、人型の頬の皮膚が、木の皮のようにペリと剥がれた。内側からのぞく黒が、彼女が人ではないこと示し、皮膚の欠片は中空に溶けていく。

「……まさか」

 大きな目が、魂を吸い込まんとしているかのようにさらに大きく見開かれ、小さく呟く。どうした、と挑発的に青年が尋ねるものの、彼に向けられるのは、再び刀身を取り戻した黒剣の切っ先だ。同時に、彼女の姿がまた、霧へと近づく。

 ユーラの荒い太刀筋をかいくぐり、クーオがあらゆる攻撃を防ぐ。しかけようが、いなされる。なけなしの不意打ちも、戦いの達人には通用しない。人の形を失っていこうが、目の前の敵を倒そうとあらゆる手を尽くす。

 やがて、彼女の動きがぴたりと止まった。いつの間にか長くなっていた乱れ髪が、もはや闇と口しかたたえるもののない顔だった場所を不気味に隠す。

「……ふふ、核を、人間に預ける、なんて、するものではない、ですね」

 ゆるゆると視線を動かしたユーラの先には、獣の魔物を全てしとめたらしい、男とアイレの姿がある。

「これで、あなたたちは、ゼル様に近づきました」

 クーオの方へと向き直ると、微笑む口元さえも消えかけており、一層不気味さを増す。

石柱オベリスク、の守護者は、ここで退場しましょう。ふふ……運がよかったですね。あの子供を見捨てていれば、どうなっていたことやら……」

 唯一残っていた魔物は、笑みをひときわ大きくしたかと思うと、人を象った霧もみるみるうちに消える。あっという間のことに言葉を失うクーオたちのことなど気にも留めず、雲の塊のようになると、ふわりとかき消えた。本当に彼女がそこにいたのか、疑いたくなるほど、跡形もなく消えてしまった。

 やったのか、と汗だらけの男が震える声で口にする。

「そう……ぽいな。どうにかなって良かった」

 険しい視線のクーオの回答を得て、大きく息をつく。弓矢を握っていたアイレも、二回、三回とあたりを見渡すと、ようやく緊張を解く。

 まだ傾いていない陽のもと、訪れた静けさに三人は押し黙るばかりだった。


 カラン、と地面に剣が落ち、低い草にカサリと静かに溺れた。

「なぁ、ルーネル? てめぇ、この期におよんで、まだキレイゴトぬかすか?」

 じっと、ゼガンの睨みつける先には、同様に睨み返してくるルーネルがいる。

 首元を片手で掴まれ、少年は宙に浮いていた。喘ぎつつも抵抗の意思はあるのか、剛腕をどうにかしようと両手で掴んでいるが、ぴくりともしない。自由な足はどうかといえば、がむしゃらに振り回されているばかりで相手をひるませるだけの威力はない。

「所詮は、ガキか」

 濁りのある目の間に、深い皺。

「少し腕が立つくらいで、デカイ顔してよぉ」

 明らかな不快は、じっと少年に向けられる。

「冒険者? ああ、よかったな。初仕事は、おんぶにだっこ。まだやり直しが利くって、信じてる」

 少年を振り回すようにして投げ飛ばすと、少年は宙に浮き、かと思えば地面に叩きつけられる。息を詰まらせた少年は、ヒュウヒュウと喉を鳴らしたかと思うと、続けて激しく咳き込んだ。

「魔王、魔物? そうだ。俺は、罪人を虐殺して、貴族のガキを誘拐を手引きした、立派な魔王、だ。これでいいんだろう?」

 足元の剣を拾い上げたゼガンが歩を進め、立ち上がれないながらもなお、自身を見上げてくる眼差しを見下ろす。

「クソみたいなお情けを、かけてんじゃねぇ!」

 そこには眩しいばかりの輝きが見えるものの、敵意はない。剣を両手で握り、振りかぶる。

「と……さ……」

 野太い雄たけび声と共に振り下ろされる切っ先に、とうとう少年の両目もぎゅっと閉じられる。その命が絶たれるのが、一秒先か、二秒先のことなのか。遠くなっていく音の中で、じっと、いつまでも身を固くする他、彼にできることはなかった。

 だが、次にルーネルの耳に届くのは、ドサ、という、低く重い音だった。

「ルーネル君、大丈夫?」

 次いで、カチャカチャという音と共に揺さぶれる体。小刻みに震えていた身体の目が、おそるおそる開かれる。

「怪我は、ない? 生きてる?」

 彼の視界に映ったのは、黒く汚れたズボンの裾と、膝立ちになって覗き込んでいる、全身を鎧に包む先輩の姿だった。

 彼女の名を口にしつつ、震えを抑えながらルーネルはどうにか手を借りつつ座り込む。口の中に入り込んだ土を吐き捨てると、身体はふらりと揺れる。

「よかった、間に合って。ごめんなさい、私たちの仕事だったのに」

 ひとつ頷くティーカは腰を上げると、大男の亡骸の背中を踏みつけながら刺さっていた槍を引き抜く。ズッと嫌な音と共に赤黒く汚れた穂先が現れ、つっと赤を垂らす。とっさに視線を逸らした少年は、ゆっくりと身体の剥きを変えた。

 それを咎めるでもなく、騎士は一度、二度と穂先を上下に振るって汚れを払い、腰につけていた布でふき取る。槍を背負いつつあたりをざっと眺めると、亡骸の握っていた剣を回収する。

「ほら、ハイン君が待ってる。行きましょう?」

 優しく声をかけるティーカが手を差し伸べた。

 血の気の引いた顔が、ゆっくりとその手にすがり、立ち上がる。

 手早く作業を終えたティーカがルーネルを気遣ってか、その手を引く。

 冷たいひんやりとした硬い感触に引かれるまま、ゆっくりとルーネルは歩き出した。大丈夫、と繰り返し言葉をかけられながら。


  ティーカに連れられるままルーネルは、応急処置を終えていたハインに始まり、クーオたち、ビクターと合流する。

 互いの状況を確認しつつ、石柱オベリスクを壊さないと、とアイレが呟けば、クーオが思い当たる節があると言いつつ、集落へ戻ることを提案する。それでも先に壊しに行こう、と提案するが、大人二人に戻るべきだと、他二人の姿を顎で指す。ティーカにも同様に諭され。彼女は口を結びながら集落へと戻るのだった。無論、この会話に同行していた男が口を挟むことはない。

 同行していた自警団の一人を逃がすために、囮となったティーカは間もなく、魔物だと名乗るユーラと遭遇し、戦闘になった。何をしても攻撃が当たらず、捕まるのは時間の問題だったという。

 翌日、同様にして捕らえられたビクターと共に山賊のねぐらに拘束される。

 こういった状況に慣れていたティーカは拘束を解き、ビクターと共に脱出を図る。

 そしてねぐらから出ると、黒い靄のようなものがふわふわとどこかへと流れ出ているのを見つけ、辿っていくと負傷しているハインの姿を見つける。

 彼は魔物の核を壊せ、と必死の形相で繰り返し口にするため、応急処置の道具を手渡し、ビクターは来た道を戻り、ティーカはルーネルたちのもとへと駆けつけたのだという。結果、ゼガンの背後に忍び寄り、一撃で仕留めた。

 一方のビクターは山賊のねぐらに戻り、賊どもを片付けつつ、どうにか霧の発生源である抱えるほど大きな石を見つけ出した。それを懐に忍ばせておいた爆薬を使用して破壊した結果、黒い霧は消え、時間差でユーラが消滅したのだ。

 クーオはといえば、囮となって逃げきった後、一晩を明かし派手に寝坊した。いざ集落に向けて移動を開始した途中、ハインとアイレたちの姿を見つけ、手助けに入ったのだという。

 そして、依頼の報告は、真っ先に集落の長に伝えられた。加えて、クーオの見つけた石柱オベリスクを壊すよう、ビクターは頼み込んだ。

 それくらいお安い御用だ。深い笑みと、人々の安堵の表情に見送られ、冒険者ギルド一向は陽の落ちていく道を、ドラゴンに荷台を引かせて立ち去るのだった。

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