015 乱入、誅する者
しゅるりしゅるりと黒い霧から伸びる何十本という棘が、先ほど逃してしまった獲物に狙いを定め、ヒュンと飛び出した。
「ハイン!」
とっさに弓を弾き絞り、棘の軌道上に矢を放つ。それは棘の一つに木の矢が命中し地面に叩き落とすが、所詮は一撃、他の攻撃の手が緩むはずがない。うずくまり、防御の姿勢をとっているハインを守ろうとしている彼のために次の矢を取り出そうと、アイレは矢筒に手を伸ばす。
指が矢の一本に触れた時、彼女の視界がぐわんと上向く。遅れて危ない、という一言と共に、アイレの視界を、牙剥くシルエットが覆う。
もう一度、彼の名が呼ばれる。
眼前を掠める、飛びかかってきたのだろう魔物から、割り込むようにしてアイレを守った男の姿を認めながらしりもちをついたアイレは、顔色一つ変えず、素早くハインの姿を捉える。
ぶわりと舞い上がる黒い棘の残滓の中、ハインは体勢を変えず耐えていた。だが攻撃の気配が止んだことに気づいてか、ゆっくりと顔を上げてユーラを、否、先ほどまでいなかった人の背中を見つめた。
「よう、ルーキーたち。一体、何が起こってるんだ?」
新たに飛ばされる数本を棘を、妙剣一振りで全て弾いたクーオ。先日、出立したときよりもいくらか汚れた身なりの青年のより背後には、一切の攻撃が届いていない。
「ようやく、骨がある者が、来ましたか?」
黒い霧が流れ、編まれ、角を持つ人の上半身を作りだされる。にっこりと笑みをたたえるユーラの姿に、目を丸くするクーオ。
「おぉ、いいねーちゃんがいるじゃないか。で、あんたが山賊の頭か?」
にやつく青年に、首を横に振りつつ、ついと指を右腕の人差し指で、安堵している様子のアイレの方を指した。彼女を挟んで反対側では、重たい拳を振り回すゼガンと、剣を握りながらも脚と左手拳だけで対応しているルーネルの姿がある。
クーオが感嘆の声を上げるが、それもつかの間、ガッと、矢が近くの幹に突き刺さる。アイレが放ったらしいそれは、ユーラの頭を、間違いなく射貫いていた。その射殺さんばかりの視線と、改めて向き直る魔物に、クーオがなるほど、と頷く。
「山賊どもの、協力者ってとこか。おっさんも、ティーカもいないのが気になるが、仕事だ。さっさと片付けるとするか」
下がってろよ、と続けた先輩に、ハインは軽く眉間にしわを寄せた後、ゆっくりと立ち上がり、よろよろとユーラから離れていく。後輩を隠すように妙剣を軽く振るい、どっしりと構えたクーオ。不気味な体のまま動かないユーラに対し、彼は二度、背後に跳んだ。
かと思えばカンッカンッと刃が黒棘を弾く。
「さっさと離脱しろ! そっちにゃ誰もいない!」
叱責に、足を引きずるハインのスピードが上がり、あっという間に茂みに逃げおおせた。間違いなく彼を狙っていた攻撃をいなされ、あら残念、と首を傾げた女性は、首を絶つ刃を受ける。
「優しい方、なんですね。その強さ故、なのでしょうか?」
一瞬のうちに肉薄したクーオの攻撃も、例に漏れず撥ねることは叶わない。空振りを認め、素早く身を引いたクーオのいた場所に、ズドンと黒い何かが振り下ろされる。するとさらに警戒したか、青年はさらに一歩下がる。
それは黒く、太い剣。彼女の右肘から伸びており、地面に突き刺さっていた。鋼のような輝きもなければ、石のような滑らかさもない。ただ、ただ薄く、細長い黒い塊だ。
「へぇ、なるほど。ルーキーたちが出ないといけないほど、追い詰められちまうわけだ。合流できたのは、不幸中の、幸い、か」
重さを感じさせず霧の塊が持ち上がる。切っ先が地面に触れるだろうと思われたそれは、しかしみるみるうちにもとの形に変化する。強くユーラを睨みつけるものの、黒い霧からできている魔物がやることは変わらない。
黒剣を横に大きく薙ぐと、クーオに向かって刃が伸びる。
ハインが逃げたおおせたことを認め、どうしましょうか、とアイレは尋ねた。
「どちらを先に片付けるにしても、この魔物を先にどうにかするべきじゃないかな?」
背中越しに応じる男に、それは分かってます、と返す。
ゼガンの一撃を矢で逸らして以降、二人は森を縫うようにして現れた五頭の魔物に囲まれていた。じぃと見つめ続ける獣たちは、威嚇の体勢をとるわけでも、唸り声を上げるわけでもなく、ただただ、対峙し続けていた。
ところで、と男。
「……どうしてあのとき、ゼガンを仕留めなかったんだい?」
獣にさえも聞かせまいとする、ささやくような問いに少女は、ひそひそと単純な話だと口にする。続けて述べられる理由に、深く眉を寄せた男はさらに問う。
「ユーラを狙えば、あの魔物が飛びかかってくるようだけど、どうだろう? この予想は当たっているかい?」
多分ね、とどっちつかずの返事をするや否や、彼女たちのことなど意に介していないらしいユーラに向けて、再び矢を放つ。すると二人の真横にいた魔物が飛び出し、まっすぐアイレに向かって突進する。すると男が間に割り込み、腕に食いつかせる。
「何してるんですか!」
矢の行先を確認することなく、はっと振り返るアイレが叫ぶと同時に、ぎりぎりと牙を立てる魔物に男が殴りかかる。獣の脳天に命中するも、何の感触もなく飲み込まれたことに目を見張ったが、彼は探りを入れるように手を動かした。間もなく、黒い石と共に腕は引き抜かれ、獣の姿がふわりと霧散する。石を容赦なく地面に叩きつけ、靴底によって砕けかれる。
次の獣がアイレへと襲い掛かる。背後をとられたにも関わらず、ナイフを取り出し、くるりと振り返った勢いのまま、大きい脇腹に手応えなく突き刺す。同時に獣の側頭部に肘打ちが命中し、見た目よりも軽いらしい体躯は吹き飛び、地面にぶつかればどろりと溶けて、再び立ち上がる。
だが足裏をおそるおそる確認していた男がすぐさまその獣のもとへと駆け出し、再び黒霧の根源に、鋭い一撃を見舞うのだった。
一切の遠慮なく打ち出された拳を辛くも屈んで避けたルーネルは、ゼガンの腹に向けて蹴りを放つ。先ほどから大ぶりな一撃を避け、繰り返し打撃を与えてこそいるものの、堪える様子もなく次の攻撃をしかけてくる。
らちが明かない。上がる息の中呟けば、
「……一応、元兵士、だからな」
紅潮しているにも関わらず、静かに答えたゼガンは、さらに打ち込んできた蹴りを絡めとり、持ち上げて後方へとぶん投げる。悲鳴と共に小さな身体は茂み一つを越えて、空中で一回転すると受け身をとり着地する。
「なんで人を守るやつが、山賊やってんだよ!」
叫ぶ子供に茂みを挟んで佇む男は、隣の国で兵士をしていたが冤罪でここに流れてきたのだという。その腕を山賊に買われ、気が付けば頭に。隣国から流れてきた者を受け入れているうち、今のような大所帯となってしまったのだという。
「人を守る? 何言ってやがる。俺は、俺の守れるものを守ってるだけなんだよ。それの、何が悪いってんだ!」
茂みを乗り越え、ザクザクザクと再び駆けてくるゼガン。いい加減にしろよ、と怒りを露わにしたルーネルもまた、タッタッタッと立ち向かう。
「魔王が、魔物がいるんだよ! このままじゃ、みんな死んじまうんだぞ!」
もう、男は雄たけびに喉を震わせるばかりで何も答えない。
ふざけてるわけじゃねぇんだ。すがるようなたった一言もかき消され、少年は剣を握りしめ、振り上げた。
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