014 三柱、賊と共に

「来いよ」

 軽く構えるゼガンの低い一言に乗ったのはルーネル。ザッザッザッと距離を詰め、身体に見合った剣を大きく振りかぶる。頭は片手で握ったままの槍を突きだし、柄でルーネルの攻撃を軽々と受け止めると、それを断ち切ろうとせんばかりに引こうとしない少年を三白眼でまじまじと見つめ、

「おめぇがハインか、ルーネルか」

 後者だよ、と鋭く睨んでいる胸くらいの背しかない相手に、ゼガンは静かに槍を大きく振るい、彼を剣ごと押しのける。そして短い悲鳴と共にバランスを崩した体躯に向け、穂先が振り下ろされる。地面へと引かれていく身体であっても、鳩尾へ吸い込まれていくそれを、目を見開いて追うことしかできないルーネルは歯を食いしばる。

 だが小さな身体はグシャと背中を打ち付けるばかりで、ゼガンの槍は大きく狙いが逸れて少年の脇の地面に突き刺さる。

「……いい腕してんじゃねぇか」

 拳と穂先のちょうど真ん中あたり、羽根のついた矢が深々と刺ささりビィンと揺れている。眉をしかめながらゆっくりと地面から引き抜き、アイレの方を一瞥すると、既に次の矢がつがえられ、弓が引き絞られている。狙いは緩慢な動作のゼガンに向いているが、同時に、ユーラに立ち向かうハインの姿を捉えている。

 舐めやがって。吐き捨てながらもう一度、とどめを刺そう槍を持ち上げるが、素早く身体を起こすルーネルは、再び臨戦態勢に入っていた。

 不気味に、隙間だらけの歯を見せつけ笑ったゼガン。ワルモンめ、と間合いを測り続けるルーネル。

「はは、ワルモンなぁ……ギルドにいるから正義ってのか!」

 素早く繰り出された穂先を辛くもよけ、小さな身体はまた距離を詰める。そして初撃よりも一歩少なく相手の懐に潜り込むと、巨体の腹に向けて左手の拳を突きだした。だがびくともしなかった巨体は右手を伸ばすが、手をかばいながら距離をとっていく子供を捉えることはなかった。

「おめぇに勝ち目は、ねぇ。勝ちたかったら戦え。生きたければ殺せ」

 だてに山賊の頭をしているわけではないのだろう。森の中で動きやすい服装ながら、その下には鎧を身に着けている。加えて体勢を崩しつつも放たれる一突きは、ルーネルの頭を真直ぐに狙っていた。だが手応えがないと知るや、次はしっかりと踏み込み逃げる彼を追う。

「馬鹿か! 殺したら死んじまうだろうが!」

 至極当然のことを口走りつつ、相手の攻撃に当たるまいと身体をひねる。

「殺して奪わなきゃな、生きていけねぇんだよ! てめぇみたいな甘っちょろいガキがここにいるんじゃねぇ!」

 不愉快極まりないと言わんばかりの視線がルーネルの背後、アイレの姿を捉える。先ほどまでゼガンに向けられていた矢は、彼女を囲むようにして姿を現した魔物たちの対応に追われていた。その背後には集落の装いをした男がおり、正確に獣を射貫く狩人の死角を補っていた。

「なんで人間同士でそんなことしてんだよ! 魔王が、魔物がいるんだぞ!」

 矢は気にしなくていい。ゼガンの集中がルーネルに戻ろうとしたとき、ゴッという音と共に大きい衝撃が巨体を襲う。不意の一撃に揺れる視界に一歩下がれば、次の攻撃が鼻先をかすめ、おくれてパラパラと土が顔面にまとわりつく。二度の蹴りを見舞った少年は、槍を強く握る男から距離をとる。

 先ほどまで槍の届くか届かない位置で逃げまどっていたにも関わらず、攻撃を緩んだ一瞬に距離を詰め、丸出しの側頭部に蹴りを食らわせたのだ。

「魔王だ? 魔物だ? んなもんに現ぬかしてんじゃねぇ!」

 口に入る土を唾ごと吐き捨て、槍を大きく薙ぐ。

「今日を生き延びるか、明日死ぬかの俺たちに、選択肢はねぇんだよ!」

 怒りに任せて振るわれた剛腕から伸びる軌跡がヒョウと空を裂く。少年の首に命中したかのように思えたが、彼は左手で穂先近くの柄を捉え、ギッと皮と木が擦れる音。ゼガンがはっとして得物をぐいと引くが、柄が軋むばかりでびくともしない。

 舌打ち。大男は槍を手放したかと思えば、大きく喉を震わせながら駆け出してルーネルに向かって拳を振り下ろす。


 振り下ろされた黒い鞭が、片刃剣の面に受け止められた。

「ずいぶんと、よく動きますね……ギルドの人よりも、手応えがあるのは、なぜでしょうか?」

 眼前に迫る、深い笑みをたたえる顔。二本角をいただく白い、白いそれに、黙れとハイン。

「魔王の配下に答える義理はない!」

 残念です、と眉を寄せると、ずるりと下げられた鞭はするするとユーラの身体、もはや脚はなく、黒いもやばかりの漂うばかりの空間に吸い込まれて消える。だが鞭は一本や二本ではなく、次々と伸び、今か今かと敵の様子をうかがう。

 ハインも防戦一方ではない。次の鞭が振るわれる隙を衝いてユーラの腕を切り落とすように剣を落とすが、生還した男の情報通り、魔物同様、空を斬るばかりだ。

「魔王様から、聞いていますよ」

 そこにいるのに、避けようともしないユーラ。当たるはずもないと分かっているからことできる芸当で、ゆっくりとおかしそうに距離をとる。

「我らの主を殺すため、地の果てまで追い、脚を失っても、這いずってまで抵抗を貫こうとするような、愚か者たちだ、と」

 ピシリと鞭が地面を打つ。同時に飛んでくる二本の鞭。

「だからなんだ! 人々を虐殺して世界征服を目論むようなやつらを、みすみす見逃せとでも!?」

 高速で迫る攻撃を思い切り剣で払えば、途中でぶつりと斬られた先端は勢い余って茂みへと突っ込む。残された根本側は、ハインへと命中こそするものの、ぶつかったところからたちまち形を失い、砂のように崩れ落ちていく。

「ええ、まったくもって、その通りです。しかし、そういった目的があるのは、こちらとて、同じこと」

 使い物にならなくなった分だけ、新たに得物を増えすユーラ。化け物め、と佇まいを直して、少年が魔物に挑む。

 ついてもいない血を払い、ハインは駆ける。

 黒い霧に足を踏み入れ、次はもう片腕に一撃。ダメージを与えられず、同時に囲まれている変わらない戦況に薙ぎを加えところで、ユーラも、人の形をさらに崩す。ハインの視界を奪わんばかりの黒いものがあたりを埋め尽くす。とっさに左手でそれを防ごうとするが、流体であるそれは抵抗空しく全てを黒で塗りつぶす。

 無駄だと知ると改めて構え、下がることは選ばなかったハインは闇雲に剣を振るう。どこだ、と叫んだとしても、ヒュッ、ヒュッという空振りをあざ笑うかのように喉が鳴る。ともすれば、ザクッという音と共にハインの動きが止まったかと思うと、視線が惑う。

 だが歯を食いしばりつつ見下ろしてみても、あるのは黒い霧ばかり。なおも悔しそうに奥歯をかみしめ走り出したハインは後ろから迫ってくる落ち葉を踏みしめるような音を認め、速度を上げる。もつれる脚を抱えたまま数秒、長く走り抜けられるはずがなく、何かにつまづいて派手に転がる。

 だが運よく視界が晴れたことを認め、ハインは最低限の受け身をとりつつも振り返り、来た道を望む。そこにはもはやユーラと名乗る人物の影など面影もなく、静かに沈殿する黒い、夜よりも深い色の霧が漂うばかりだ。

 そこから勢いよく伸びてくるのは一本や二本ではない、数多の、触手のような黒い棘。

 目前に迫っている凶器は、右脚の脛をさらに負傷してしまっている彼に次の行動を逡巡する猶予も与えてはくれない。だがなおも強い意思を持った視線は、暗中にいるはずのユーラだったものを注がれ続ける。

 彼の名が叫ばれる。棘の一つが飛んできた矢に弾かれ、矢と共に失速して彼の足元に突き刺さる。

 途端に、ふわりと霧散する黒い棘。棘だけではなく、その柄も。

 痛みに散る意識を右腕に集中させ、どうにか身を守ろうと構える。

「……!」

 無意識に強く閉じられる瞼。間もなくやってくる痛みに耐え忍ぼうと、全身に力が込められる。脛当ての隙間から流れる血が、じわり、じわりと肌着を濡らしていった。

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