ep4 魔のもの、来たる

011 邂逅、見知らぬ介入者

 ばらばらな足音が繰り返し、日陰に身を隠していた落ち葉が踏みつけられる。まだ気温も上がり切らない、じめじめとした空気に包まれながら歩くのはビクターと他、弓と槍を携える自警団の二人だ。老体にも関わらず、二人よりもわずかに早く進む背中に、音を上げる一人。情けないのぅ、と目元の皺を深くするが、苛立つわけでもなく立ち止まる。

「前線から身を引いたわしに後れを取ってどうする、いっぱしのワカモンが。農作業も、少なからずしとるんだろうに」

 謝罪と共に、追いつく自警団たちに、いいや、と否定するビクターは頭をひとつ振る。はてと若者たちは隈のうすら浮かんだ目を丸くする。

「それがいいんだろうよ。国境に近いここが穏やかってことは、隣国とうまくやれてたってことだ。ピリピリするよか、笑える方がずっといい。だが、体力はあった方がいいがな」

 顔を上げ微笑む老人に、そうですねと大きく頷く青年たち。たった数歩を詰めた彼らの姿を改めて確認し、再び視界の悪い森を歩み始める。

 集落からだいぶ歩いた頃、ビクターは足を止める。何事かと老人の脇から、青年たちがはてと顔を覗かせ、隣に並ぶ。

 木々がまばらに生えているためか、日差しが照り付け始めた足元には雑草や茂みが青く背を伸ばしている。わずかに吹く、湿った空気に先っぽをわずかに揺らす。

「ほぅ、こんなとこに、これまたべっぴんさんがいたもんだ」

 うっそうと目を細める彼らの視線の先、ざわめき続ける緑の真ん中に、ゆらりと女性が立っていた。

「初めまして、下の、皆さん」

 真っ暗な瞳を歪ませ、にっこりと微笑んだ、短い黒髪をいただく肉付きのよい細面。身体もほっそりとしていて、お世辞にもいい服を着ているとは言えず、一般市民の身に着けるようなものだった。仮にそれだけならば、王都の路地を歩いていてもなんら違和感がないだろう。だが普通の出で立ちを異質なものにしているその額には、二本の角がある。

 眉の上付近から皮を破るようにして生えている、握れる程度の長さと太さの赤黒く輝く異質なもの。

「わたし、ユーラ、と申します。こんなところで、誰かに会えるとは、思いませんでした」

 まるで柔らかい物腰の彼女に、警戒を緩めない老人は分厚い外套の下に手を伸ばす。

「その前によう、お前さん、道に迷ったのかい? よければ、人のいる場所に案内してやるが……」

 懐の内側でチャキと小さく鳴らした老人の気遣いに、軽く首を振って、その必要はありません、と面のような顔が揺れる。

「警戒なさらずとも、ご安心ください。あなたたちを、襲おう、などとは考えておりませんので」

 自警団の二人もまた、ビクターにならい槍を、弓を握る。二人が明らかな緊張を帯びたことに瞳を大きくするが、それも一瞬。警戒するどころか笑みを深くし、歩き出す。

「あなたたちは、本日、山賊を倒すために、ここにいらっしゃいました」

 向かう先は、間合いに入れば首をかききらんとする老人とそのお供のもとではなく、ゆるく向きを変えて弧を描き始める。

「ですが、予定の時間まで、お待ちただきたく、参りました」

 弧をつなげ、円を描くユーラの暗い眼は彼らを見据え、ビクターたちはじっと見返す。

「ああ、別に、あやつらを見逃せ、と言っているわけでは、ありません。あれらを捕縛した暁には、どうぞ、処刑なり、尋問なり、好きにされてください」

 ふふふ、と張り付けたままの表情が一層不気味さを掻き立てる。気温も上がってくる中、この停滞にしびれを切らしたのは一方の自警団だった。

「ふざけるな! あいつらの味方するなら、てめぇも同罪だ!」

 憎しみを浮かべ、彼は槍を構え走り出す。待てと一喝する老人の言葉など知ったことではない。ザクザクザクと地面を蹴り、闇が見開かれた頃には、その眼前に穂先が間近に接近している。遅れてもう一人も持っていた弓を引いて狙いを定め始めた。

 ためらいなく、走った勢いのまま一番槍が女性の眉間を、角の間を貫く。勝利を確信して頬を緩めた槍使いは身体をひねって得物を薙ぐ。続けて、ユーラを射貫くのは誤射がないように放たれた矢だった。

「……襲おう、とは考えておりませんでしたのに」

 血の気の引いた槍持ちが体勢を整えようとしたとき、その頭上から響くのはまぎれもないユーラの声。だが先ほどの穏やかなものとは打って変わり、腹の底から響く低い、ねっとりとした囁きであった。


 集落の外で、今日もゴツ、ゴツと小気味いい音が繰り返し鳴っていた。

 歯が見えるほど笑っているルーネルが軽く跳んで体重をかけた一撃を振り降ろせば、かわせないと判断したのか、ハインは角度をつけた鞘で斬撃をいなす。見事に切っ先を地面にぶつけ、とっさに身を引こうとするが、その鳩尾にハインの鋭い左手拳が命中し、数秒こらえたものの、嗚咽と共にルーネルは後方に勢いよく倒れた。

 俺の勝ちだ、と片刃剣を手放して座り込むと、腰につけていた布でつっと垂れてくる汗の玉を拭う。一方、数回咳き込むルーネルは悪態づきながら剣を手放し、手元の土を握りしめる。

「二勝四敗……っくしょー」

 千切れ雲の流れる空を睨み、空気を吸い込んでは、ゆっくりと吐き出す。

「やっぱ体術絡めないと、変な感じするな。魔物相手だとどうなるか分からないが」

 ハインは後ろに手をつきながら足を伸ばして、どう思う、と尋ねる。

「いいんじゃね? 魔物に勝てれば、それでいいわけだし」

 頷くハイン。

 ぐったりとした二人の様子を遠目に、作業にいそしむのはアイレである。木材に腰かけ、馬屋の壁を背に、左手の手ごろな大きさの枝を、右手のナイフで削っている。余計な部分を切り落とし、先端を尖らせる。あとは弦をかませるくぼみを彫って、足元に立ててある空っぽの矢筒に入れる。スコンと乾いた音などよそに、次の枝が握られる。

 少年たちが再び立ち上がる頃には、いっぱいになった簡素な矢。矢じりや矢羽根のつけられたものよりも扱いづらさは上だが、調達の難しい環境では気休め程度にはなる。

「二人とも、そろそろ戻ってお昼にしない?」

 作業を終えたらしい少女は予備の矢筒を持って、道すがら声をかけてみるものの、既に次の模擬戦に熱中している二人の耳に届くはずがなかった。呆れた、と言わんばかりに肩をすくめ、二人を置いて長の家に歩いて行った。

 繰り返される重い音の中、次に痛恨の一撃を与えたのはルーネルだった。

 ルーネルの剣が薙ぐような軌跡を描いたとき、素早く屈んで避けたハイン。振りぬかれる剣を追いかけるようにして、片刃剣のある拳が相手の側頭部を狙う。だがお見通しといわんばかりに空いている片手をぶつけて逸らし、足元にいる相手の顔面に膝を叩き込む。

 こちらもまた嗚咽を漏らしながら倒れたハインに、にやりとしながら戦績を告げるルーネル。だが負け越しである事実を告げられて、今回は勝ったからいいんだって、と力説し始める。

 そうかよ、とハインが口にしたそのとき、ゴオォォゥ、と妙な地響きが響いた。

 休憩の体勢に入ろうとしていた二人は、とっさに身体を起こす。いまだにふらつくハインを尻目に、ルーネルは森の方を見やったが、二対の視線の行きつく先は、背後にいた灰白のドラゴンの方であった。

 首をもたげ、一噛みで人の身体を真っ二つにしてしまうだろうかみ合わせの悪い牙をむき出しにして、二人の方を望む。だが青をも思わせる灰の瞳は、どうやら少年たちのことなど眼中にはないらしい。なおも喉を震わせるゲンドを背に、臨戦態勢をとる。

 地響きの中、次第に大きくなっていく、落ち葉を踏みしめる、一対だけではないリズミカルな音。

「逃げろぉ! 早く逃げろ!」

 二人と一頭の前に躍り出たのは、今朝方、ビクターと共に出立したはずの男の一人で、森を抜けたと分かるや否や、乾ききった喉で叫び始める。何の武器も持たず、必死の形相で走り続ける男。逃げろ、逃げろ、と繰り返し警鐘を鳴らすが、二人の子供は身構えたまま、近づく、鳴り続ける不協和音に集中した。

 森の暗がりからぬっと姿を現したのは、二匹の獣だった。

 決して低くはない身長の少年たちの、腰くらいの高さはある、黒い山犬を思わせる出で立ち。だが光を取り込む身体は毛皮などに覆われておらず、滑らかな体表している。それらは目も、口の裂け目もなく黒で塗りつぶされており、威嚇をする様子もなく、少年たちの様子を静かに見つめていた。

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