012 衝突、不気味なものたち

 息を呑んだルーネルとハインは、どこを見ているのか分からない、生物というには無機質すぎる獣二匹を目の前にして、静かに構える。彼らの後ろの男はそそくさと走り去ろうとしていたものの、威嚇するドラゴンに面くらい、振り返って少年たちに加勢するような体勢となる。

「お、おまえら、ビクターと来たやつらだよな!?」

 そうだと答えるハインに、やめとけ、と男は叫ぶ。だが獣たちが彼らのやり取りなどを待つ道理はない。ほぼ同時に踏み出し、様子をうかがっている少年たちに襲い掛かる。

 ひきつった笑みのルーネルが素早く横に移動すれば、飛びかかることに失敗した獣は地面に着地するなり、先ほどまではなかったはずの口を大きく開きながら、方向転換して再び地面を蹴る。ハインは剣を持たない左前腕を、もう一方の近づく獣に示すようにすれば噛みつくわけでもなく、突進を彼に食らわせ足元に着地するに終わる。

 なおも鳴り響くドラゴンの威嚇に臆することなく、獣たちは次の手に出る。

 再び飛びついてきた獣は外れんばかりに真っ暗な口腔を晒し、振り向いたルーネルの首を狙う。剣を横に構え防御すると、止まれない獣は剣に食らいつく。ガリ、と音を立て刃に前脚をかけ、ぶらつく脚をばたつかせながら顎に力を込める。

 ハインの足を狙って距離を詰めた獣は、それを正面から迎え撃つように振り上げられる片刃剣を避けようともしない。間違いなく獣は鼻先から真っ二つになるだろう軌跡に、握る柄に力が込められる。

「そいつに攻撃は当たらねぇんだ!」

 ダメだ、ダメだと呟いていた背後の男が、ようやく別の言葉を口にする。その頃にはハインの剣は鼻、眉間、胴と獣の身体を通り抜け、空を斬っただけの感触だけを残すだけだった。その事実を目の当たりにしたハインの右脛に、くわりと剥かれた牙が食い込んだ。

 奥歯をかみしめ、上半身をわずかに揺らした彼は、即座に右足を振るい、獣を追い払う。すると牙を放し後ろに跳んだ黒い塊に、まだ敵意のあるらしいそれに、憎々し気な視線を向ける。

「ルー! 魔物だ!」

 長髪の少年の叫びに、眼前の獣と睨み合っているにも関わらず、ふと笑みを深くするもう一方。彼は獣ごと剣を押して得物を軽くする。だが特に重さに変化がなかったことに軽く首を傾げたルーネルだったが、次の瞬間には、体勢を整えていた獣に斬りかかる。

 かわす様子もない敵を間違いなく斬りつけるものの、やはりそれは何の感触もなくすり抜ける。自ら近づいてきた恰好の獲物の、がらあきの首にむけて再び牙が剥かれ、待っていましたと地面を蹴る。だが獣の顎が捉えたのは対となる上顎で、ガチンと閉じられた。握りしめられていた左手のアッパーが当たったのだ。

 結果、勢いを殺せぬまま少年に体当たりすることとなった獣。ルーネルはそれを受け止め、続けて腹部のあたりに剣を捨てた右手を突っ込む。あるべき毛皮などはやはりそこにはなく、黒い塊に手が飲み込まれる形となるものの、間もなく外に引き抜かれた。

 するとルーネルの懐にいたものは、たちまち形を失い、姿を消した。間違いなく彼の剣を食らい、ぶつかったりしたはずの個体は、ふわりと空気に溶けるようにして散ってしまった。

 一方のハインは飛びかかってきた獣に剣に食らいつかせ、放さぬ様子を確かめてから背中に左手を突き入れて、間もなく抜く。こちらもまた、文字通り霧散した。

 グルル、とドラゴンの威嚇が止むと、呆然と立ち尽くす男が、やったのか、と呟いた。ああ、と背筋を伸ばしつつあたりを見渡したルーネルはハインに近づき、握っていたものを足元に放る。地面に転がったのは、親指程度の大きさはあるだろう、あの体躯と同様の小さな黒い石。

 すると、どこからか湧き出た黒い霧が、もくもくと石の姿を覆い隠そうとする。完全に見えなくなる前に、ルーネルの靴裏に消える。小さな音と共に退けられると、そこには黒い霧も石も、なくなっていた。正確には、石の割れた無残な姿だけは残っていた。

 ハインが握っていたものも、黒い石。今度は地面に思い切り叩きつければ、霧が発生することもなくたちまち色を失い、ただの石になった。

「……なぁ、おっさん。何があったか教えろ」

 顔を上げるルーネルが告げると、唖然としていた男は軽く頷き、ひとまずハインの手当てをして待っている、と最寄りの家屋を指さして走り出す。

 ルーネルはハインの立ち姿を見て、改めて視線を下げる。鎧を着ることを面倒くさがっていたのが仇となり、想定していない戦闘での負傷。やっちまったな、と口を滑らせると、うるさい、と無意識に下がっていた頭部に、軽く拳が振り下ろされる。

 二人は剣を納めて、歩き出す。肩を貸そうかと提案するものの、ゆっくりとした歩調で、いらねぇ、と一蹴されるのだった。


 ハインの足首についた、抉られるような傷跡。消毒をして、包帯を巻く処置を手際よく終わらせた男に礼を言うのはルーネルで、当の負傷者は毅然とした態度で、いくらか遅れて礼を口にする。こちらこそ、と笑みを浮かべる男は続けて、ハインの口から続けられていた説明に顔をしかめる。

「魔物……あの黒いのをそう言うのか」

 応急処置道具をしまった男は立ち上がり、二人に向かい合う形で椅子に座る。

「正しくは、石を核としている、魔界の瘴気をまとった存在だ」

 魔界ねぇ、と首を傾げる男は真剣な眼差しのルーネルに、軽く頷いて見せる。

「……信じるよ。あんなことがあったんじゃ、そう言わざるを得ない」

 彼が言うには、ユーラと名乗る魔物と思しき女が現れたのだという。

 ティーカとクーオという優秀な指揮者がいないため、山賊の撃破を少数精鋭で行うこととなりビクターと共に前線に出た男は、森の中でそれと出会った。

 ユーラは先走ったもう一人の男から攻撃をしかけられるや否や、その細い腕から黒い泥のようなものを溢れさせ、男をやすやすと持ち上げた。それを助けようとしたビクターの指示に従い、自分は逃げてきたのだが、どこに潜んでいたのか分からないあの獣に追われていたのだという。命からがら矢やナイフなどを投げてみたものの、刺さりもしなかったという。

 そこでふと、思案にふけっていた男が目を丸くする。

「あのユーラも魔物だとして、なんであんなにも見た目が違うんだい」

 驚く様子もなく、軽い返事をするハイン。

「魔物ってのは、その身体にある核の石を壊されない限り、自在に形作ることができるんだ。しかし、会話ができるってのは、聞いたことがない」

 そうだっけか、と首を傾げるルーネルに応じるように、ガン、とテーブルが揺れる。いたら騒がれてただろ、とハインは不愉快を露わにする。

「さんっざん勉強したのに、寝てたのかよ。魔物の出現は討都トウトで記録されてて、そういう記録はないんだよ」

 ここらには魔物自体がいなかったみたいだが、と付け加えると、そうなんだよなぁ、と背もたれに勢いよくもたれかかるルーネル。ぽかんと視線を右往左往とさせる男は、すっかりと置いてけぼり。一言断って割り込んだ彼は、険悪な雰囲気が漂い始めていた二人に本題を切り出した。

「手遅れかもしれないけれど、ビクターさんたちを助け出す方法は、あるのかい?」

 山賊退治。ただそれだけの名目で集められたギルドの勇者たちは、ここにはいない。

 さらにやむを得ず出向いた指揮官も、突然現れた魔物という存在に遭遇し、姿を消した。

 残されたのは新人冒険者三人と、山賊に怯える集落の者たち。

「なんとかなる! 久しぶりの魔物退治だ!」

 間を置かず答えたのは、歯が見えるほど満面の笑みと共に席を立つルーネル。当たり前だ、とハインも澄ました顔で頷いた。

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