003 援軍、意図せぬこと

 再び三人の前に現れた山賊は荷台から降りて、新たな人質どころか立っている戦士たちを射殺さんばかりの視線を放っていた。

「ざけんじゃねぇよ……! 金を稼ぎにきてるだけだってのに、邪魔すんな!」

 アイレの射線に人質を置き、自身は隠れながら唾を吐き散らし、叫ぶ。

「俺は、殺すつもりはねぇって、言ったよなぁ! 忠告を無視したてめぇらは、俺らに殺されてぇってことなんだよなぁ!」

 わめく賊たちを視界にとらえつつ、じりじりと下がるハインとアイレ。それでも武器は抜き構えたままであるが、彼らが興奮している山賊を抑え込む頃には、人質の首には致命傷がつけられることは目に見えている。当然、最も離れているのはルーネルや御者である。

「ほら、おまえらぁ、とっとと起きろ! そいつら取り押さえて、ずらかるぞ!」

 先ほどのリーダー格とは異なり、一声かけると一人、また一人と男が立ち上がる。ゆっくりと互いに目配せをした彼らは近くにあった武器を拾い上げ、ふらふらと戦士たちに近づき、武器をしまわせた。さらに御者の隣に並ぶように指示して、背中や喉元に得物をつきつける。その間も、狂ったように見える男はナイフに木漏れ日を当てながらにやにやとしている。

 あんたもワルモンだな、とルーネルがまた、笑う。否定しない男はペタペタと刃を老人の肌に張り付ける。

「あいつってさ、指示出す癖に誰も殺したことなかったんだよ」

 触れる度に冷たいのか、ぴくりと震える老人は、しかし口を一文字に結んで抵抗はしない。

「いっつも人質とって、身代金、身代金、みの、しろ、きん! いっつも成功してたから、お頭が目ぇつけて、どんどん調子に乗りやがった」

 たまたま襲った馬車に、必ず貴族が乗っていたにすぎないのによ、と吐き捨てる。器用に皺の寄った薄皮だけを裂きつつ、人質の震える横顔を舐めるように見つめる。

「あー、嫌だったね。折角、殺して、殺して、好きなだけ遊べると思って賊になったのに、なんだそりゃあ」

 目を丸くして、ハイン、アイレ、ルーネルと眺め、

「もうちっと派手に暴れてるとこに行けばよかったなぁ……もっと暴れて、歴史に名を刻む大悪党にでもなれたかもしれねぇのになぁ!」

 ついには、仰いで笑いだす。

 ぎゅっとナイフを握りしめて、まっすぐ、天に掲げて停止させる。とっさに、止めろ、と叫ぶのは長髪の青年だが、不気味に頬を釣り上げる下っ端が従う道理はない。それどころか、やっちまえ、見せしめだ、と口にし始めたのは、他でもない山賊たち。

 止めて、と紅一点が口にしようが、かき消されるばかり。

 そしてもう一人の少年は、下っ端と同等、いやそれ以上の殺気をはらんだ瞳を向けていた。

 ぎゅうと力が込められたかと思うと、とうとうナイフが老人めがけて振り下ろされる。

 馬車の荷台を前に、誰もがその風景を思い描いたのだろう。ある者は瞼をぎゅっと閉じ、ある者は結果を待たずして歓声を上げる。

「ワルモンが調子に乗るなぁ!」

 一人だけは、視線だけで射殺さんとする彼だけは、腹の底から大地を揺らす。

 だがいつまで経っても、彼らの想像が現実となることはなかった。

 それどころか、ぴたりと時間が止まってしまったかのように歓声はしぼみ、数多の視線がある一点にだけ注がれていた。今にも殺し、殺される関係にある当事者二人を除いて。

 ゴトリと重いものが地面に落ちた。次いで、カップを勢いよく零したときのような音。それが耳に届いたらしい下っ端の男は、きょとんと目を丸くする。老人の細くなった肉を断つ光景ではなく、視界にあるのは前腕半ばにのぞく赤と白、さらにあふれ出す紅色。むわりとむせ返る臭いがあたりに広がる。

 老人の衣服にぱたぱたと血が滴り落ちた。途端、ヒュッと喉を鳴らした彼は絶叫し、後方に倒れた。右の前腕に、突如現れた断面付近を左手で押さえながら、この世のものとは思えない悲鳴がほとばしる。痛みを主張する盗賊の仲間たちは、しかし彼のことなど眼中にはなかった。

 いつの間にか下っ端よりも二回りは大きい男が、荷台の隣、転げまわる男の頭上に立っていた。その手には、ぱたぱたと液体を垂らす、二本の剣が柄でつながったような武器がある。

「指揮官、ご無事ですか?」

 悲鳴の中、問いかけた男に短く返事をしたのは、先ほどまで命の危機にさらされていた老人だった。悠長に胸から腹の衣服に垂れてきている血に顔をしかめながら、片付けろ、と片手の裏を彼に見せ、枯れながらも張りのある声を放つ。

「どの道、掃討の対象だ。さっさと依頼をこなせるなら、その方がいいだろう?」

 一瞬の間の後、そりゃいい、と剣の血を払う男。バサと露わになる身体には、急所を守る鎧が垣間見える。それから肩を回すようなしぐさをしたかと思うと、剣を地面に突き立てる。ザッという音と共にしんとあたりが静寂に満ちる。

 動きを止めた下っ端の、首の薄皮一枚だけが犠牲となったためだ。

 血の気の引いた顔が、さらに青ざめる。ぎらぎらと光る刀身の先には、柄をつかむ男の顔。震える口から言葉を導こうとするが、それはただの吐息にしかならない。

「助けてって言ってるんだろうが、そりゃあ、無理だ。身代金の要求、物資略奪に加えて、殺人未遂。恨むなら、ギルドに助けを求めたやつを恨めよ」

 言い終わるその瞬間、剣が飛沫を上げながら弧を描いた。

 山賊たちの間に動揺が広がる中、痙攣をしている身体を跨ぎ、眉一つ動かさない男が老人の前に出る。まだのびている者に、人質になっている者、それを囲む者、と視線をめぐらせた直後、彼に近づいたのは、

「なんで殺した!」

 穏やかな火を思わせる瞳を持つ少年で、妙剣を握る前腕をつかむ。

「あのな、やらなきゃ指揮官も、おまえも殺されてたかもしれないんだぞ? それに、それは今ここで話すことじゃない」

 悠長な説明と共に漏れる大きなため息に割り込むようにして、ルー、と澄んだ少女の声が響く。男は見下ろしていた視線をすっと上げると、素早く小さな手を振り払いその身体を脇にどける。バランスを崩したルーネルの身体があった場所に二つの軌跡が交錯すると、不意打ちを狙っていたのであろう賊が片腕と片足を失って倒れた。

 まだ冷めやらぬ双眸の火は、冷たく斬りこんでいく姿を追う。

 だが残された山賊も見ているばかりではない。状況を理解できぬ間に二人も仲間を失った彼らは、いまだ手中にある人質を盾に、向かってくる敵に見せつける。ぴたりとあてられた刃に、顔がひきつるのはただ一人。この中で唯一、戦いに巻き込まれた御者だけだった。

 アイレは、しりもちをつく仲間の姿を追い、ハインは向かってくる男から視線を逸らさない。

 突然現れた男は歩く。人質のことなぞ気に留める様子もなく。賊たちの顎から大粒の汗が滴り落ちるが、震える手は彼らから奪う一刺しを踏み出せずにいた。それを知ってか知らずか、男はどんどん近づいてくる。

 止めろ、の大きな背中に向ける一言に、ふぅと息をついたのは助けられた老人だ。

「ギルドに身を置く以上、自身の身は自身で守りたまえよ、新入りども。無力化したところ、まではよかったがの」

 ガサと、人質近くの茂みが鳴った次の瞬間、はっと振り向いた山賊を初めとして、二人、三人と塊になって吹き飛ぶ。遅れてグェとカエルが潰されたような声がアイレたちの耳に届いた頃には、妙剣を携えた男は地面に得物を突き刺して、再びぐるぐると肩をまわしていた。

 グシャ、と遠くで音が鳴ろうと、彼は平然と、残りの伸びている山賊たちを見やった。

「遠回りご苦労さん、ティーカさん。今回も、頑張ろうぜ」

 終わりを悟ったか、荷台に足をかける老人を尻目に、軽口をたたく男の言葉。ハインたちは解放されたにも関わらず、背後をかえりみて、その場から動けずにいた。同時に、ルーネルも唖然と、茂みから飛び出し、山賊を一蹴したモノを見つめる。

 たとえるなら少年二人分の体高はある、巨大なトカゲ。だが幹を這い、虫を食らい、てけてけと逃げるそれとは違う。

 骨ばった足、大地を抉る太い爪。ゆらりと首を伸ばしながら、人の子に興味を示す真っ赤なぎょろ眼と、何本も生えている白い角と牙。黒っぽい灰色の鱗と甲殻でその身を覆うそれは、紛れもないドラゴンである。

「クーオ、この子たちの手当てはわたしがするから、残党はお願い」

 おう、と男の親指を立てた拳が向けるのは、ドラゴンの背中につけられた鞍にまたがる、頭から爪先まで全身を鎧や兜で覆っている人物。しっかりとした作りの外観の中には、女性がいるのだろうと推測された。

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