002 戦闘、背中を任せて
風も吹かないしんとした森の真ん中、どこまでも続く道の真ん中、馬を失った荷台を囲む男たちと、その内側から対峙する三人がいた。
人質である御者の命をにぎる男がひとつ、号令をかけると、ルーネルの眼前に下っ端と思われる者たちが割り込み、武器を構える。
「抵抗するやつは殺せ!」
耳にキンと響く一声を合図に、少年の一番近くにいた男が動いた。
一歩踏み込む山賊はおたけびと共に持ち上げた斧を振り下ろす。茶の短髪をいただく脳天を狙っていた重そうな刃は宙を裂き、ガツンと地面へと突き刺さる。そこにルーネルの剣が振るわれるものの、後退しながら得物を引き抜いた男の腕をかすめるだけだった。
斧を持った男の呼吸が乱れた。
「よし、俺はおまえを倒す!」
にやりとした少年は最奥にたたずむリーダーらしい男に朱色に輝く視線をやった後、大きく宣言しつつ踏み込んだ。
不意の言葉と共に放たれた斬撃。防ごうととっさに持ち上げられた斧が、刃近くの柄からまっ二つに切られる。それを見届けるまでもなく、すかさず小さな体はくるりと反転したかと思うと斧使いの脇腹にまわし蹴りを叩き込む。ミシッ、という鈍い音と共に軽く地面から浮いた体は苦悶に歪んだのもつかの間、崩れ落ちる。
「チッ……数でかかれ馬鹿どもが!」
いきどおりを見せるリーダーの一喝に、残りの山賊が少年めがけて駆け出す。
一方の幼い戦士、ルーエルは、目をらんらんと輝かせながらも、怒りをもって敵を望んでいた。
荷台という舞台から降りたハインは、リーダーらしい男の一声と共に向かってくる残りの山賊を眺め、そっちは何人だ、と背中合わせのアイレに尋ねた。台の上で軽く身を乗り出している彼女はとうに弦を引いており、澄んだ青っぽい目で狙いを定めている。
ギリギリとうなる弓が緊張を失えば、空裂く音を置いて矢が直線を描く。一息の間もなく山賊の一人へとたどり着いたかと思えば、持っていたナイフに命中。矢とナイフがカランと音を立てて地面へと吸い込まれると、きょとんと彼の目が手のひらへ。
「残り三人! 馬車の後ろは分かんないけれど」
肩につく程度の灰髪を揺らしながら、どうしてもできてしまう死角を見やりつつ腰にある矢筒から次の矢を取り出す。弓に対して強気に近づいてきた山賊の前に、ハインは割り込むようなことはしない。代わりに相手取るのは、こちらもまた距離を詰め始めた四人の山賊だ。
「こっちは四! やばそうだったら教えろよ」
もちろん、と口にしながら次の矢が放たれ、また山賊のカランと武装が外れる。返事を待たずして紅の瞳は距離を取ろうとする長槍持ちに立ち向かう。
射程に入ったことを認めた賊は少年を狙ってしかける。決して遅くはない攻撃だが、カンという音と共に狙いが逸らされ、前傾姿勢であるハインの耳をかするだけだ。剣の背で中心をずらされたのだ。
一歩、二歩と迫る相手に、男は空を突いた槍を思い切り振るおうとする。一筋の希望にすがるその行動は、しかし叶うことはない。先に懐に潜り込んだハインは速度を緩めず、タックルをぶちかます。
手放された槍が地面へ落ちるよりも先に、息を詰まらせた男の身体が地面に転がった。赤みの強い茶の長髪をなびかせながら背筋を伸ばす少年はまた、次に襲い来る敵を暗い茶の瞳で望む。
三方からバラバラのタイミングで間合いを詰めてきている。同程度の体格の二人は剣、一人はナイフだ。
まずは剣の一人が、少年の背後にいち早くたどり着く。そして薄汚れた歯を晒しながら剣を閃かせた。
「ガキが調子に乗ってんじゃねぇ!」
大の大人が青筋を浮かばせながら、一文字に斬る。だがギャリ、と音が鳴るだけで、ハインの身体には届かない。わずかに持ち上げた剣の刃が、一薙ぎを受け止めていた。
「ちゃんと手入れしてたら、行けてたかもな!」
片や、長年放置されていたのであろう剣が錆がぱらぱらと落としていく。片や、おろしたてのような輝きをもつ剣は、錆びある刃を食らいながら、主を守る。
さらに激昂する男は空いている左手を握りしめる。ハインは得物を思い切り振りぬき、もろくなっている剣を真っ二つにした後、屈む。そしてこちらも柄をぐっと握りしめたかと思うと、ひらりとジャンプして山賊のこめかみを柄で殴りつけ、巨大な拳は空をきる。
重い響きと共に白目を剥き、崩れ落ちる男を認めながら着地したハインが振り返ると、もう眼前に敵は迫っていた。一方は剣を上から振り下ろそうと、もう一方は勢いを殺さずに少年を狙っている。
とっさに向けられたナイフを受け止めようと剣を引き寄せ、下腹部あたりに高さを合わせる。それはすなわち、上空に輝く剣に斬られるということを意味する。
歯ぎしりと、ナイフがぶつかる音。
決死の攻撃が防がれたことで頬がこわばる。それと同時に硬いもの同士がぶつかったような音。わずかに動きを止めたハインはにやりと笑いを浮かべると剣を引いて体術をしかける。
力が行き場を失いナイフを持ったままバランスを崩した男の外腿めがけて足払い。続けて、両手で輪を作りながら唖然としているもう一方にアッパーを決めた。目を丸くしてひっくり返っている山賊たちのすぐ隣には、折れた錆び剣と、剣、ナイフと矢が転がっている。
ふぅと息をついた少年は片刃剣を腰の鞘におさめ、足元に転がる凶器をブーツで蹴りあげる。倒れている山賊たちの手の届かない場所にすべっていったことを確認してから、助かったよ、と少年は御者の席に陣取るアイレへと向き直り、歩き出す。
荷台を挟んだ反対側に、立っている者は既にいなかった。いずれも武器を取りこぼし、かつ足を負傷してうずくまっていた。アイレもまだ弓に矢をつがえており、彼らが動けば即座に射貫くつもりであるらしい。
そんな彼女の空を思わせる瞳は、こちらでもあちらでもない、あらぬの方を望んでいた。隣に立ったハインももう一度ぐるりと見渡してから彼女にならう。
最後の一人が崩れ落ち、あとは人質を解放せぬ者だけが、三人と向かい合っていた。
最後の一人の背中に蹴りを叩きこんだルーネルは、息を荒げながら楽しそうに微笑んでいた。ドサとやけに重い音を背に、動こうとしない男の方へ静かに向く。そして、さっさと解放しろよ、と静かに、なおえくぼを深くする。
対する山賊のリーダーの視線は大きく揺れながら、地面に伸びている仲間の姿を全てなめると御者の首にそえられた剣もまた大きく震え、赤い筋がつっと走る。
「な、なにガキ三人ぽっちにやられてんだテメェら! こいつがいる限り、そいつらに勝ち目はねぇんだ!」
一喝する。だが木々の間をすり抜けるばかりで、立ち上がる者もいない。しんとする森の道の真ん中で、唯一答えたのは、ルーネル。
「ワルモンのおっさん、ほら、そいつを解放しろって。誰も、おっさんを殺さねぇから」
左手を差し出したルーネルは、しかし剣を納めることはしない。ただ男が逃がすまいとしている人質の解放を待った。風もないうすら寒い影にいる男はうつむいた。
しかしそれもつかの間、うるせぇ、うるせぇと奮い立たせるように叫びながら面を上げた男にしびれを切らしたか、とうとう少年は歩を進める。
一歩分の距離がつめられると、弓が軋む。
鞘が揺れ、長髪が揺れる。
差し出された手が下ろされる。
御者の瞳が、笑みを映す。
冷たい、冷たい刃が、振り上げられる。
また、一歩、近づいた。
剣がとどくようになるまで、あと二歩のところ。
そこで目を剥いた人質は、地面に顔面を打ち付け、わずかに遅れてザクザクザクという足音が生まれる。
山賊が御者の背中を蹴った後、踵を返して走り出したのだ。バタバタと道を外れ、ガサガサと茂みに紛れ、どんどんと遠ざかっていく。断続的に聞こえていたことから、不意打ちを試みようとしている様子ではない。
大丈夫か、とルーネルがうめく人質に尋ねれば、どうにか、と暗くも短い返事。
「なら、よかった。こういうのは初めてでさ」
御者はゆっくりと身体を仰向けにして、鼻血の流れる顔で恩人を見上げる。先ほどとは異なる、少年らしい笑顔がそこにはあった。いかにも未知を知らぬ初心者の冒険者を思わせる彼に、青年は礼を言う。
「おう。お互いにな。あいつらのおかげで今は安全だし、少し休めよ。こっからは歩きになるんだろ?」
少年が顎でさす方には、荷台を背に武器を握るアイレとハインの姿。白い歯が眩しく光らせるルーネルに、その通りです、とため息をついた彼は一人で起き上がろうとする。そのときだった。
「動くなガキィ!」
葉を揺らさんほどの鋭利な叫びが響き、その場にいる全員が振り返る。彼らのもとに初めて姿を現した、乗り込んできていた山賊の姿が荷台の中からふらふらと歩いてきていた。だがその影は彼一つだけではない。
夫婦の片割れではない、片腕で初老の男性が共にいる。細い胸部を片腕で拘束し、ぎらぎらと輝くナイフを首元にあてて。
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