26火花散る(ユキヤ視点)




『悪いけど、僕はこっちの高校に卒業までいることにしたから。そっちの狭いセカイよりも、こっちの広いセカイの方が僕に合っているって気付いたんだ。まぁ正月や長期休みにはそっちに帰ってやるし、大学はそっちの学校も受験してやるよ』



 そんなメールを最後にソウタからの返信がなくなって、俺はすぐに妹さんに話を聞きに行った。



「すみませんユキヤさん、実はいろいろありまして……しかもまったく懲りてないので強制送還で……」



 妹さんは、永住だけはまぬがれたみたいですが……と呟く。



 強制送還とか永住とか、なんの話だ?



「いえ、こちらの話です――えっと、兄さんは新しい環境に身を置いた方が良いという結論が家族会議で出まして……ダイエットも必要ですし……」



 なぜかうんざりとした様子の妹さん。



「一応、家庭の事情と本人の進路の問題ということで、今はそっとしておいてあげてください。ユキヤさんとカナエさんにはこれ以上ご迷惑をお掛けしないようにワタシが責任を持ちますので……」



 迷惑を掛けられた覚えはないけれど、家庭の事情や本人の進路ということならば、それ以上はなにも言えない。



 まぁ、しばらくすれば連絡もできるみたいだし、定期的に帰っても来るらしい。才能のあるソウタなら、本当に海外の方が合ってるのかもしれない。



 だから俺は、『帰るときは連絡くれよ』とだけメールした。



 そして、その日の学校の帰り道。



 俺はカナエと手を繋いで歩いている。



 こんなの数週間前には考えられなかったことで、この道を落ち込みながら帰ったときの俺に、今の状況を教えてやりたいくらいだ。



 そんな嬉しくて誇らしい気持ち――のはずなのに、俺の胸中はどういうわけかスッキリとしない。



「ん……ユキくん、ちょっとこっち向いて?」



 手を引かれるままに身体ごとカナエの方を向くと、正面から抱き付かれた。



「よしよし……ユキくんは、ソウタくんがいなくなっちゃって寂しいんだね……」



 カナエが両腕を精いっぱいに伸ばして、俺の背中をさすってくれる。



「そう、かな……でも、それならカナエだって……」



 でも、カナエは困ったように笑った。



「うーん……ふふ、全然寂しくないって言ったら嘘だけど、そこは男の子と女の子の違いなのかもしれないねぇ」



 なんだかカナエが大人っぽくって頼もしい。それにこんな気遣いをされると、本当に甘えたくなってしまうじゃないか……。



「ユキくん、ちょっとだけ屈んでくれる?」



 それはいつかも聞いた台詞で、俺は言われるがままに屈んだ。



 すると、カナエの小さな手が伸びてきて、俺の顔をはさむように添えられた。



「じっとしててね……?」



 そう囁いて、真正面からゆっくりと顔を寄せてきたカナエに――俺は口の代わりに、瞼を見開くことになった。



 唇に触れるやわらかすぎる感触に、脳がしびれて身体の芯が熱くなる。



 でも、カナエの顔はすぐに離れてしまい……。



「へへ、えへへ……ちょっとでも、ユキくんの寂しさをうめられたら、うれしいなっ……!」



 そんな健気なことを言いながら、カナエは真っ赤な顔ではにかんだ。



 もう寂しさを埋めるどころか、そこにカナエ印の巨大な塔が建設されたイメージ。



 俺は心の中で謝った。すまんソウタ。お前への悲しみは、完全に彼女とのファーストキスの記憶で埋め立てられた。埋め立てられた上に、タワーが建った。



 きっとこの先何年たっても、今日この日の記憶はカナエとのキスのことしか思い出せないと思う。



「ふふっ、でも、これで本当にキスしちゃった、あの写真のうわさが、本当になっちゃったっ……ぅへへへ」



 カナエが、にへら~と顔をとろけさせる。



「あ、ああっ、確かにあの写真ってそういう話になってたよな」



 俺も熱くなった頭で、急に迷宮入り宣言がなされた出所不明のふーふー写真のことを思い出す。



「うん、あの写真で、わたしとユキくんはキスしたことになってて……それはそれで嬉しかったんだけど……でも、実際にはしてないから、そこはなんだかずっと損してる気分で……」



 その口振りから察するに、実際にキスしていないのを損だと感じてくれたらしい。



 自分が求められているようで、自尊心がくすぐられる。



 もはや事の発端となったソウタと写真の犯人たちに、感謝さえしたい気持ちだ。



 そして、そうしたカナエの献身によって、より仲良くなってしまった俺たちは、今やぴったりと寄り添い合うスタイルでまた歩きはじめる。



 すると、今度はカナエがこちらをうかがうように言った。



「あの、ユキくん……わたしもね、寂しいっていうか不安に思うことがあって……こ、この辺りも、なにかと物騒だよねぇっ……?」



 なにやら不自然すぎるカナエの態度。そして、カナエがこういう状態のときは、大抵なにか頼み事や相談事があるときと相場は決まっている。なんだろう?なんでも言ってほしい。



「ああ、確かにそうかもしれないナ」



 我ながら白々しいけど、カナエの話に乗っかった。



「そ、そうだよね!危なくって、こわいんだよっ……!」



「まったくだ、危険が危ないよな」



 ちょっとふざけながらも、話の続きを促していく。



「だ、だからねっ!よかったらわたしの家でっ、今日からいっしょに暮してほしいのっ!」



 ああ――なるほど、その話だったか。



 きっと事前情報がなければ、俺は目を点にしたあとにメチャクチャ慌てふためいていたことだろう。



 カナエも言葉が足りないことに気が付いたのか、あわあわ言って焦りはじめた。



「あ、ちがっ――そうじゃなくって!いっしょに暮してほしいのは本当なんだけどっ、それはずっとじゃなくてっ、あっ、でもっ、わたしはユキくんとずっといっしょに暮らしたくってっ!だから、えっと……あれ?」



 一生懸命に説明しようと頑張っていたカナエだったが、途中で迷子になったみたいに首をかしげている。



 カナエのあどけない仕草に胸がぐっと来てしまい、口元のにやけを押さえるのも大変だ。



「あー……もしかして、カナエのおじさんとおばさんが留守の間、俺がちょくちょくカナエの家でお世話になるっていう話か?」



「え――な、なんでぇ……?」



 カナエがおどおど聞いてくる。



「いやそれがさ、カナエの家から俺の家にも、その話があったみたいなんだよ」



 それは、一週間前のこと――。



「おい、ちびすけ。お前しばらくカナエちゃんの家に出入りさせてもらえ」



「カナエちゃんのご両親がしばらく留守にするから、カナエちゃん一人で心配なんですって、だからあんたが様子見に行ったり、場合によってはお泊りさせてもらいなさい。あんたでも番犬か盾ぐらいにはなるでしょう?」



 突如、両親からそんなお達しが下された。



 いやいや、自分で言うのもなんだけど、心配なのに危険物(俺)持ち込むってどういうことよ?



 俺は照れとヘタレから、倫理観だの常識だのと騒ぎ立てた。



 しかし、うちの親父にそんな言い訳が通用するわけもなく――。



「うるせぇ!もう両家では話が付いてんだよ!ガタガタ抜かすな!行け!」



 凄む身長二メートル越えのスキンヘッド。もはや刑務所か動物園の檻の中にいるべき存在だと思う。



 普段ならそれでも反発するところだが、本当に取り下げられたら困る卑しくもスケベ心満載の俺は、それ以降は断固として口を噤み、文句一つ言わずに了解をした次第――。



 そう、俺は一週間前には事情を把握していたのだ。



 だから、俺の方もまた、カナエに言い出す機会をうかがっていた。まぁ、結局はカナエに先んじられてしまったわけだが……。



「うぅ……お母さん、そんなこと一言もいってなかったのにぃ!」



 カナエは恨めしそうに言いながら、俺の胸元にぐりぐりと顔を押し付けてくる。



 こそばゆい感覚とカナエの良いにおいに、自然とイケナイ気持ちがムクムクしてきてしまう。



「ま、まぁ、いくら俺とカナエが付き合ってても、当然親同士で話をするよな」



 でも、その上で家にお邪魔しても良いと言ってくれているのだから、やっぱりその信頼は裏切らないようにしたい。



「じゃあ、早速だけど、今日の夕飯をいっしょに食べないか? 俺の家からなにかおかずを持って行くからさ。空いた皿も俺が帰るときに回収すれば面倒もないだろ」



 いきなりのお泊りではなくまずは食事からという俺の平和的な提案に、カナエは大きく首をかしげる。



「え、帰るって、なに言ってるの?」



 俺にくっ付きながら、不思議そうにこちらを見上げてくるカナエ。



「今からこのままユキくんのお家に行って、着替えとか必要なものを取って来るんだよね?わたしにも運ぶの手伝わせて?」



 一瞬の沈黙と、見詰め合う俺とカナエ。



 ちょっとだけ、火花が散った気がした。



 ふぅ……どうやら話し合いが必要のようだな。



 俺は最愛の彼女に、思春期男子の危険性についてを説きはじめた――。



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