10反動の下げ(ユキヤ視点)




 俺の一世一代の告白から二日が経った。



 玉砕後の首尾は、あまり良くない。



 フラれてからの “カナエと少し距離を取る”という新方針も、なぜかカナエの方から距離を詰めて来たために不発に終わっている。



「今日なんか、一緒に昼飯食う約束までしちゃってるしな……」



 なんかもうグダグダで、自分の不甲斐なさにガッカリするレベル。



 こんな体たらくじゃ、俺の告白=お断りのイメージを払拭できないし、いずれするつもりのリベンジ(再告白)にも影響が出るかもしれない。



「まぁ、リベンジの前にカナエとソウタがくっ付くか……」



 自嘲的な笑いがもれて死にたくなる。



 脳内には、カナエとソウタが結ばれて、それを俺が引きつった作り笑いで祝福するという絶望的な想像が渦巻いた。



 昨日、カナエの恋が成就してほしいなんて殊勝なことを思った所為かもしれない。今頃になって、ふとした瞬間にそんな想像が浮かぶようになってしまっている。



 おかげで昨晩も寝不足で、先ほどの朝練ではこともあろうか女子マネージャーから注意を受ける始末。



『ちょっとあんた!女子マネは選手より朝早く来て準備してんのよ!そっちも責任持ってちゃんとしなさいよ!』



 相撲取りのような女子マネの鬼の形相が思い出される。



 どうしてあんなに怖いのか……かわいくて優しい俺の幼馴染、カナエの爪の垢でも飲ませてやりたくなるビジュアルとアクションだった。



 しかもあの女子マネ、なんで毎回毎回コーチを差し置いて選手に直接檄を飛ばすのか……と理不尽に思う部分は多々あるが、最終的には集中力を欠いた自分が悪い。



 俺は朝から重くなった心身を引きずって、教室までを移動する。



「ユキくんっ――」



 ちょうど校舎の階段を上がり切り、教室のある階にたどり着いたところでいきなり声を掛けられた。反射的に両肩が跳ね上がる。学校で俺のことを“ユキくん”なんて呼ぶ女子は、一人しかいない。



「ぉ、おはっ、よぉー……っ!」



 絞り出すように挨拶をしてきたのは、俺を振った俺の想い人、カナエだった。



 カナエはどこか硬い表情でこちらを見上げていて、胸の前で合わせられた手にはなぜかタオルが握られている。



「おは、よう?」



 予期せぬカナエの登場に、俺は面食らいながらも挨拶を返す。



 というか、昨日に引き続き今日も、カナエが登校する時間には早過ぎるし、また一人で来たんだろうか? それに、タオル持って階段前にいるって、どんな状況だ?



「あー、えっと……そ、それじゃあ――」



 いろいろと疑問は尽きないが、とりあえず逃げの一手、戦略的撤退を決める。



 努めて顔を合わせないようにカナエの横を通り過ぎる瞬間、カナエから「ぁ……」という切な気な声がして、俺は不覚にもドキドキ――。



 高鳴る胸を押さえつつ教室に入って、自分の席でホッと一息、肩の力を抜く。



 朝からスゴイ大勝負をした気分だった。それこそ、サッカーの試合で対戦相手のエース級と一対一で対峙したときよりも緊張した。



「ちょっと露骨すぎたか……?」



 挨拶もそこそこにさっさと逃げ出してしまった自分の言動を顧みて、俺が自席で首を捻っていると――。



「あの、ユキくん……」



 再び、遠慮がちに声が掛けられた。



「うっ、カナエ……ど、どうした?」



 愛想笑いを浮かべているであろう自分の口元や目尻が、ピクピクと引きつるのを感じる。



 対し、カナエはどこか思い詰めたような表情で、たどたどしく言葉を紡いだ。



「えっとね……今日は、顔とか、洗いに行かないの……?」



 その言葉に、思わず眉尻が下がる。



 え、なんだ? 俺の清潔感、または、顔の造形に対する遠回しなクレームなのか――いやいや、カナエに限ってそんな邪悪な意図はないはず……。



 などと考えたところで、昨日とは打って変わって、自分がカナエの言動に対してかなりネガティブになっていることに気が付く。



「そ、そうだな、ちょっと顔洗ってくるわ。それじゃ――」



 しかし、真意はどうであれ、今の俺にはまさに渡りに船な言葉、ここは乗っかっておこう。



 俺はカナエが何かを言い出す前に、素早く席を立って教室を出た。振り返らずに、そそくさと手洗い場に向かう。



 少々強引かとは思ったが、こうでもしないとカナエから距離を取ることなんてできやしない。何せ、これまではカナエとの距離を縮めることばかりに必死で、逆なんて考えたこともなかった。



「マジで顔でも洗うか」



 思うように行かないフラれてからの新方針、カナエの不可解な態度と距離感、連日の寝不足にネガティブな妄想……問題が山積しており、少しだけクールダウンしたいところだ。



 俺は手洗い場で何度か顔をすすぎ、濡れた顔を拭くためにハンカチを取り出そうとしたところで、はっと気が付く。



 そういえば、昨日も同じようなシチュエーションがあったじゃないか――。



「ゆ、ユキくん……」



 三度掛けられるその声に、俺は濡れた顔でそちらを振り向いた。



 そこには、タオルを差し出すカナエの姿。



「これ……よかったら、使って……?」



 そう言って、タオルを差し出すカナエの手は微かに震えていて、それがなんとも健気でかわいそうなほど……。



 俺は激しく迷った。



 え、どうしよう、突っぱねるべきか? いや、そこまでやると距離を置くというより単に感じ悪いだけか? というか、カナエはどういうつもりで?



「あ、あの……た、タオル……っ」



 いつまでも沈黙している俺に、カナエの言葉尻がいよいよ頼りなく揺れ始める。



 それに焦った俺は、まるで追い詰められるように口を滑らせていた。



「あ、いや、そんな悪いって、昨日も借りちゃったしさ、俺ハンカチ持ってるし、それに万が一にもソウタに誤解とかされたらまずいだろ」



 最後の余計な一言は、完全に俺の卑屈さから出た台詞だ。



「え……ソウタくん、って……」



 カナエが、呆然と目を見開く。



 俺はとても見てられず、僅かに顔を反らしつつ答えた。



「あ~……ほら!一昨日の放課後に、カナエはソウタのことを――って言ってただろ? だから、俺が幼馴染だからってあんまり親切にしてくれちゃうとソウタに変な誤解されんじゃないかって話。万が一にもそんなことでカナエがソウタとギクシャクしたら嫌じゃないか」



 言い訳がましい言葉がもっともらしく口をついて溢れ出す。



「俺、カナエのこと応援してるからさ……」



 ここまで言うつもりはなかった。これじゃあ、身を引くと言っているようなものなのに、気が付いたら口にしていて、止められなかった。



 あぁ、マジで終わった……。



 カナエに気を遣わせたくないだとか、カナエの恋が成就してほしいだとか、なんか器のデカイっぽいこと考えて……でも結局は、ネガティブな想像に卑屈になって、好きな子からの親切を退けて、自分の小ささを思い知っただけだった。



 俺の前では、俯いたカナエがプルプルと震えている。怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらにせよ、俺は今、マジで消えて無くなりたい……。



 そうして、俺がある意味フラれたとき以上の絶望感に打ちひしがれていると――。



「じっ――じゃあっ! わたし、がっ、拭いてあげるっ……ねっ!!」



 突如、カナエが俯かせていた顔をガバっと跳ね上げ震え声でそう捲し立てると、手に持っていたタオルを俺の顔に押し当ててゴシゴシやり始めた。



「んぶぉっ、ぢょぼっ……っ!?」



 思いのほか強い力で顔をゴシゴシやられて返事も侭ならない。しかし俺はいやしくも振り解くことなくそれを受け入れる。



 そして、カナエによるどこかやけくそ気味なご奉仕によって、俺の顔の皮膚が十分に熱くなり始めた頃、やっとタオルが外された。



 対面するカナエは、目の端に珠の雫さえ浮かべて悲し気な表情。



「っ……ほっぺ、赤くなってる……痛かったよね、ごめん……っ」



 消え入りそうな囁きと、カナエの小さな手が俺の頬に添えられる。



 そんな衝撃的なサービスに緊張の最高潮に達した俺は、人語を失ってみっともなく喘ぐのみ。



 カナエはそんな人外となり果てた俺にクルリと背を向け去って行く。去り際に、意味深な言葉を残して――。



「わ、わたしっ……責任、取るからっ……!」



 カナエの言葉は、俺にとっては思考すら縛り付ける絶対的な力を持っていた。



 ああ、もう――めくるめく妄想が、止まらない。



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