第177話 いつまでも一緒に

 その日の天候はどんよりとした曇りだった。予報でも小雨が降る程度の事しか言っておらず、嵐が発生するだの災害に注意すべきだの、そういった情報は一切なかった筈だ。だが、その時に俺達が目にした光景は、不便なれど慣れ親しみ、煌びやかに見え始めていた村が、大洪水によって流されている――― そんな地獄のような光景だったんだ。


『な、あ…… ど、どうしたってんだ、急に!? こんな馬鹿みたいな水、一体どこから!?』

『……これ、自然災害じゃない』

『えっ?』

『私の源である神力、ううん、それに似ているけど…… 根本から、何かが違う……?』


 彼女のこの時の言葉を、この時の俺は上手く咀嚼できないでいた。けど、普通じゃ起こり得ない何かが起こったって事は、何となく察する事はできた。同時に、このままだと俺達も危ないと感じていた。俺達の居る神社は村よりも高い場所にあって、今のところは洪水による被害から逃れている。それでも絶対的に安全とは、とても思えなかったんだ。村の殆どを一瞬で流してしまった目の前の災厄は、見る見るうちにその水位を上げていたんだ。


 一瞬頭に家族の顔が思い浮かぶも、その事はあえて考えないようにした。今俺がすべき事、それは目の前の大切な人と一緒に生き残る事だ。俺は興奮状態にある脳を無理矢理に納得させ、それだけを考える事にした。一体どこが安全な場所なのか、全く見当なんてつかない。けれど、それでも何とかしなければと、ない頭を必死に動かしていた。


『逃げよう、安全なところに―――』


 そこまで言い掛けて、気が付いてしまう。この神社の精霊である彼女は、その境内から出る事ができないのだと。


『君だけでも逃げて。私は大丈夫、大丈夫だから』


 もちろん、彼女もその事には気付いていた。それを承知で俺の身を第一に考え、自分の事は構わずに逃げろとまで言ってくれた。けど、俺はその案を呑めなかった。彼女の言う通り、肉体を持たない精霊は洪水による直接的な被害を受ける事がないかもしれない。けど神社自体が物理的被害を受けたら、その精霊である彼女にどんな影響が起こるのかは全く予想がつかない。仮にそれで彼女が消えてしまったら――― それだけは、それだけは絶対に許容できなかった。しかし知識もない、力もない、成人もしていない俺にできる事は限られている。あの洪水から神社を護る? そんな事は不可能だ。だが、それでも何かは。俺は必死になって考えた。


『ッ…… 屋根、神社の屋根の上に行こう! 少しでも高いところに、一緒に!』


 導き出した答え、俺が彼女の為にできる唯一の事、それは今までと同じように、この境内の中に一緒に残る事であった。そこに居るだけで神力ってのが少しでも溜まるのなら、それによって彼女が選べる選択肢が少しでも増えるのなら、そうすべきだ。その上で境内で生き残る最善を目指すのだと、俺は覚悟を決めた。


『で、でも……!』

『そもそも神社を出て、どこが安全なのかも分からないんだ! なら、俺は君と一緒に居る事を選ぶッ!』

『ふえっ!?』

『つう事で、早速移動だ! 滑らないように注意! ……するのは、俺だけで良いのか』

『き、気を付けて! そ、それと、ありがと……』


 彼女の言葉をゆっくり聞き届けたいところだが、不幸にも悩んでいる時間はない。いつの間にか降り始めた豪雨の中、彼女を引き連れ高所を確保する。そうしている間にも水位をドンドン上がっていき、遂には神社の敷地内にまで水が入り始めていた。


『いや、流石にこれは異常だろ……』


 幸いにも神社の建物はしっかりしており、屋根に上っても安定していた。俺の重さで倒壊するような心配は、少なくともないだろう。しかし、そこから目にしてしまう。洪水から派生した水の竜巻がうねりを上げ、目の前に迫っている非情な光景を。


 竜巻は眼下の水面から幾つも生えていて、そのどれもが意思を持っているかのように、神社の方へと移動していた。突然の洪水も十二分に悪い冗談だったが、最早これは何らかの悪意が働いているようにしか思えない。竜巻が近づくごとに、境内にあった神社の名残りが巻き込まれていく。その光景が彼女を構成する要素を奪われているように思えて、胸がギュッと締め付けられる。


『ごめん。これ以上、俺にできる事は……』

『……ううん、一緒に居てくれただけでも嬉しかったよ』


 竜巻に飲み込まれるその瞬間、存在しない筈の彼女の手が俺の手を握った…… ような、気がした。実際のところはどうだったんだろうな。何せ直後に上下左右も分からない、呼吸もままならない状態になってしまったんだ。意識は数秒もしないうちに薄れ、徐々に手の温もりも冷水で感覚をなくしていく。


(私、私ね、貴方と一緒に死ぬのなら、何にも怖くないよ)


 それはいつしか聞いた、断片的な彼女の声だった。


(だから、■■■も怖がらないで。私、とっても嬉しかった。それに、きっとこれで終わりなんかじゃない。私が持つ神力を全部使って、何とか神様にお願いしてみる。私の一番大切な人に、どうか幸せな来世をって)


 そう、全てはこの場面に繋がっていたんだ。荒れ狂う水の中、この時に俺達は完全に一体化していた。そして次に聞こえて来たのが―――


『そっかぁー。それが貴方の最も大切なもの、なのね? 了解りょーかい、サービスしておくよ~。私は太っ腹だもんね~。これも善行の一つってね。だからさ、私の為に一生懸命頑張ってねぇ』


 ―――彼女の願いを聞き届けた、彼の邪神の声だった。これこそ俺達・・が神の駒として目を付けられ、異世界に転生した切っ掛けだ。俺はウィルとして、彼女はクリスとして転生し、自身についての記憶を失った状態ではあるが、共に生きていく事になったんだ。


『見た目は基本そのままで、種族の特徴を併せて~。男? うーん、男の方は…… まあ、適当で。あ、名前どうしよ? 要望があれば叶えてあげていたけど、もう遅いしな~。じゃ、今やってるゲームから抜いて、この卵嫌いなキャラので。もう一つの名前は、縁のあるものから選んで―――』


 邪神があまり知りたくなかった事実まで話し始めたので、この辺りで昔話は区切ろうと思う。


 ちなみにだが、俺達の死因となった不自然な洪水、異常な竜巻は前世の世界を管理していた神が、設定のミスをしたとかで起こったんだそうだ。いや、あのタイミングでそんな事ある? と、俺とクリスは邪神を怪しみに怪しんだが、これについては本当に本当なんだそうだ。それでも俺達が怪しむのを止めなかったの為、途中で邪神が『秩序の神』を呼んでまで釈明していた。ミスを犯した当の神は既に処分を下され、その事故で亡くなった村の皆も手厚い加護を受けて転生しているんだとか。


『こういった事を起こした際、上に申告して問題解決を図るのが正常なのですが、中にはミスを隠そうとする神も居ます。運営側として恥ずかしい事なのですが、今回の場合は後者でした。そういう意味で、今回の『創造』さん告発は功績とも呼べるかもしれません。はい、大変に珍しい事に』

『そこは素直に褒めてよくない!?』


 ……本当に本当に本当に、そういう事らしい。あれ? その場合って邪神に目を付けられた分、俺達は不遇な扱いなのでは? クリスの努力は一体? なんて考えもしたが、本来は同じタイミングで死んでしまったとしても、転生先の世界が同じという事はなく、元が夫婦であろうと行き先は別々になるんだそうだ。優遇されるのはあくまでも来世、死をなかった事にはできないって事だな。


 そういった処置が施される中、転生先の世界がセットで同じなのは俺達だけで、これも神の駒、そこに伴う秘宝という立場を利用した、裏技のようなものなんだとか。まあ、何だ、理由はともあれ、クリスと一緒に生きる事ができて、本当に良かったと思う。その点に関してだけは、邪神に感謝――― して良いのかなぁ……

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