第163話 異形の怪物

 人魚ラナは三つのスキルを有している。一つはこれまでの道中、戦闘中にも度々使用していた『可聴域』。これについての説明は不要だろう。『旅鴉』の報告から、この力についてはウィルやジークも、ある程度の予想をつけていた。その耳の良さを逆に利用した、バルバロの釣り発言が成功したのも、正にその成果と言えるだろう。


 問題は残る二つのスキルについて…… なのだが、これらのスキルについても推察できる点があった。それこそがラナの地上における、異常なまでの鈍足っぷりである。元々が人魚であるラナに、人間の脚を発現させる為のスキル。鈍足はその代償なのではないか? というのが、ウィル達の出した答えだった。そして、この予想もまた見事的中。『両足の代償』という彼女の両脚を偽装する為だけの力は、地上での足の速さを代償として発動するものだったのだ。尤も、海戦の真っ只中である今戦いにおいて、このスキルの出番は恐らくないだろうが。


 では、最後の三つ目のスキルは? 十中八九、その異様な戦闘力に関係するものである。バルバロ曰く、かつての彼女は人魚という特殊な種族の者ではあったにしても、ここまで厄介な存在ではなかったそうだ。戦闘力は並みの男程度もなく、今現在手にしている大剣を振るえるほどの腕力もなかった。あれから十年という歳月が経過したとはいえ、そこから現在の凶悪な強さを手にするなんて事は、まずあり得ない。故に、戦闘力関係のスキルなのである。


 ただ、具体的にどういった能力なのか、そこまで突き止めるには至らなかった。斬撃を飛ばせるほど、剣術が上達する? 生物としてあり得ない規格にまで、身体能力が強化される? 不気味なくらいに頑丈となり、再生能力も付与される? ……候補は幾らでも挙げられるが、そのどれもがラナに当て嵌まっていたが為に、能力の範囲が絞り切れないのだ。ひょっとすれば、まだ見せていない力もあるのでは? と、そんな事まで考えてしまえる。故にこの点に関しては、臨機応変に対応するしかなかった。 ……そして今、臨機応変に対応すべき時が来てしまう。


「ジモ■を■■■■ルを返■ジ■ル■返せ■モル■返■」


 所々に聞き取れない言語が入り混じった、憤怒に塗れた言葉。それが聞こえたかと思えば、海面が大きく膨れ上がり――― やがて、その中より異形の怪物が現れる。


 海より出でたその怪物は、人魚と言うよりも骨ばった老婆のような見た目をしていた。海水で濡れた長髪に僅かなラナの名残が見受けられるが、全身が骨に皮を張り付けたかのように細く、肌が毒々しい紫色に染まってしまっている。しかも、それでいてデカい。海から飛び出した上半身の部分だけでも、ダンジョン船の帆の高さを軽く上回っている。どういう訳なのか、それまで手にしていた大剣のサイズまで巨大化しており、より一層禍々しさも増していた。


「おいおい、何だそりゃあ? 巨大化は予定にないってぇの、化け物が!」

「そう? バルバロも前に似たような事をしてなかったっけ?」

「さながら海の巨人、いや、巨人型の不死者と言うべきか。さて、あれで鈍重であれば救いはあるが、これ如何に」

「んー、あのサイズで斬撃を飛ばされたら、流石に殴り返せねぇよなぁ? どうすっかなぁ~……」

「こ、怖いけど的は大きくなった! あれなら絶対外さない!」

「姐さん、取り合えず撃つよ!? 撃って撃って、あのデカブツを削ってやる!」


 怪物に対する感想は様々だ。だが、それでも基本方針に変わりはない。敵がデカくなったのなら、デカくなったなりの戦い方をすれば良い。それだけだ。


 ―――ダァンダァンダァン!


 この状況下での接近戦は危険、そう判断した各々は船を出発させ、常に最速を保つ事とした。そして、ラナとの距離を取っての砲撃に集中する。爆炎弾、爆氷弾を連続で叩き込み、巨人化したラナに着実なダメージを与えていく。


「まあ、こんなお利口な手で倒せたら、世話はないか」


 砲撃は全弾命中していた。比較的脆いと思われる顔面に、生物としての弱点である首や心臓に、大剣を手放させる目的で指にと、トマとブルローネが如何なく狙撃能力を発揮させたのだ。確かに、ダメージは通っている。砲弾が爆発すればラナの肌が弾け、僅かではあるが内部の肉や骨を剥き出しにさせる程度の事はできている。が、どうしても致命傷には至っていない。サイズ感がおかしいのもあるが、それ以上に再生能力が以前の比ではなくなっているのだ。彼女の長い髪より海水が大量に滴り、それが傷口に流れた瞬間に塞がってしまう。


「あの海藻みたいな髪、海から水を吸い上げているのか? そこで常に肌を海水で湿らせて、回復薬代わりに使っている…… ブルローネ!」

「姐さん、駄目だ! 髪の方も砲撃してみたけど、爆発で千切ったそばから再生しやがる!」

「ちょっと、海藻とか言わないでよ! 余計にお腹が減るじゃないの!」


 砲撃の直撃が決定打にならない。恐らく、このまま攻撃を続けてもラナを倒し切るには至らないだろう。再生力が無限とは限らないが、恐らくはそれよりも早くに弾切れに起こす。同時にその考えに至ったバルバロとゴブイチは、そうならない為の策を講じる為、次なる策に行動を移行させる。が、今回はラナが一手早かったようで。


「■ね■ね■ね■ね■ね■ね■ね■ね」


 呪いの言葉と共にラナを中心にして解き放たれたのは、横殴りの特大斬撃・・・・・・・・であった。この海域全てを、それこそ水平線の向こうまで巻き込むのではないかと、そう錯覚してしまうほどの圧倒的サイズ感、殺気、圧力――― だが、そんなものに気圧されている場合ではない。斬撃はどちらの船も射程に収めており、このままでは一撃の下に粉砕されてしまうだろう。だが、だが、海と面する事を生業とする船に、この斬撃に対する逃げ場なんてものはない。そんな事は自明の理であった。


「ねねね、姐さん、このままじゃ……!」

「ワカメご飯、前にクリスに作ってもらったけど、美味しかったのよね~。また食べたいわ~」

「てめぇら、船のどっかに黙って掴まっとけ! 無駄に喋ってると、舌を噛むよ・・・・・!」

「……ッ!」


 バルバロの言葉に従い、船員ら全員が近くにあった何かしらにしがみ付く。また時同じくして、ゴブイチもバルバロと同様の命令を下していた。そして次の瞬間、二隻のダンジョン船が宙に飛び上がる・・・・・・・


「うわわわわわわッ!? ここ、これはぁぁぁ!?」


 狼狽するブルローネ。それもその筈、自明の理を覆して船がジャンプをしたのだから、驚くのも無理はない。だが、そのお陰で斬撃は船の真下を通り過ぎ、何とかやり過ごす事に成功。海への着地も不思議と衝撃が少なく、船がこの跳躍でダメージを負っている様子もなかった。


「ちっちゃいの――― いや、リンが魔法で水を操って、船を真上に打ち上げてくれたんだよ。しかし、ククッ! 本当に船を浮かばせるとは、大したもんだ! 子供の成長速度ってのは、侮れないねぇ! おう、ゴブイチの船も無事のようだ!」

「う、海に潜るのはしょっちゅうだけど、海の上を飛んだのは初めての経験だよ……」

「なら、その経験に感謝しときな。でもって、船を走らすよ。全速後退!」

「えっ? 姐さん、退くのかい?」

「この場はね。このまま攻撃を続けても、火力不足が否めない。あいつを倒し切るには、更なる火力が必要だ……!」

「火力…… あっ、ワカメチャーハンとかもアリなんじゃ!? 今度クリスに作ってもらいましょう!」

「……アーク、取り合えずアンタは、たらふく海水でも飲んどけ」

「何でよッ!?」

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