第160話 海的地雷原

 地獄の暴走人魚、ラナ・バッフォルは素晴らしく良い気分に浸っていた。ジモルを妄信する自分と同じ価値観を有する人間(男)に、生まれて初めて出会う事ができたのだ。自然と鼻歌が出るし、破顔も止まりそうにない。高揚する感情は海を渡る速度にも乗り、いつもの二割増しのスピードに達しようとしていた。


「この世は価値の分からない愚か者ばかり。そう思っていましたが、分かる者には分かってくれるのですね。自らの程度を認識している点も、なかなかにポイントが高い。同志達に祝福あれ、ジモルには更なる祝福あれ――― っと? そう言えば、最初に耳にした会話は実に愚かしい内容だった筈ですが、アレは一体誰のものだったのでしょうか?」


 通常であればラナは進路を変えず、何らかの邪魔が入ろうとも、その場でカウンターを返すだけで事は終わる。敵の首を飛ばす正確無比な斬撃などが、正にそれである。しかし今回、ラナはわざわざ進路から外れ、自らの手で船団を沈めに行った。その原因はもちろん、敬愛するジモルを罵るかのような言葉を耳にしたから、である。


「私自らの手でなぶり殺しにしたかったのですが、結局どれが犯人なのかは分かりませんでしたね。わざわざ船を沈めて一人一人に確認したのに、誰も言葉を発してくれませんでしたし…… あっ、そうか。人間は水中で喋る事ができないんでした。ああ、これは私のミスですね。反省しなくては……」


 その反省は海賊達を溺死させてしまった事についてなのか、それとも犯人をなぶり殺しにする事ができなかった事についてなのか。どちらにせよ、ラナは溺死させた者達の中に犯人が含まれていたと、そう判断したようだ。


「心残りはありますが、今はそれ以上に良い気分です。ジモルが居るであろう目的地もそろそろでしょうし、今日は良い日になりそうですね。と言うよりも、私とジモルが十数年ぶりに再会するのですから、これはもう記念日に制定すべきでは? 全世界統一記念日、ジモル再会の日…… 名前は迷うところですが、真面目に検討する必要がありそうですね。再会の後にジモルに相談し、共に考えるのも手でしょうか? フフフフフフフ」


 猛スピードのまま妄想を膨らますラナは、この時前方不注意の状態であった。進む先に浮遊するのは、複数の真っ黒な球体。それら球体からは太い針のような角が生えており、味方によっては大きなウニに見えるかもしれない。ラナはその存在に気付く事なく、そのままそれらと正面衝突してしまう。


「あら―――」


 彼女の言葉を搔き消したのは、球体が引き起こした大爆発であった。小柄な彼女の体を軽々と覆い尽くす、苛烈さ極まる攻撃だ。その正体は機雷であり、対人魚の迎撃の為にウィル達がこのルートに設置したものである。本来はこの時代にあるべきものではなく、それ以前に対生物に使うものでもない。こんなものを間近で受けて生き残る生物など、サイズ感の異なる何らかの巨大生物くらいなものだろう。


「……あら、随分と刺激的な歓迎ですね。不本意ながら、少しだけ痛いと感じてしまいました」


 ラナは当然のように生き残っていた。顔面から爆発に突っ込んでしまったのか、顔の大部分の皮膚が破け、肉が剥き出しになっている。体中も焦げ付いており、結果としては相当のダメージを負っているように見受けられた。だが、それでも彼女が意に介している様子はなく――― いや、少しは介したのか、飛んでいる鳥にフンを落とされてしまった。その程度の不快感を示し、海水でよごれを洗い流していた。すると、どうした事だろうか。徐々にではあるが彼女の皮膚が再生を始め、他の部位についても同様の現象が起こり始める。


「ジモルほどではありませんが、私の関心を僅かにでも向けさせるとは、大したウニですね。 ……ウニ? これ、ウニなのでしょうか? それにしては、やけに金属質のような…… まあ、良いです。良い気分に浸っていたのは私の罪ですから。と言いますか、ウニどころか海が漆黒に染まっていた事にさえ、気付いていませんでした。何なんです、この海?」


 ラナは今更ながらに周囲の環境と向き合ったようだ。彼女としては珍しく、怪訝な表情を浮かべている。


「……西の彼方より、多数の声が聞こえますね。ええ、なかなかの数のようです。人の声以上に畜生のものが多い。誰にも知られていない、無人島か何かがあるのでしょうか? ……ッ! なるほど、全てを理解しました。つまり、ジモルはそこに居るのですね!? そこに囚われていると、そういう事ですね!? おのれ、野蛮人共めぇ……!」


 ラナは全てを理解した、気になっていた。そう、すっかりその気になってしまったのだ。最早彼女の頭に金属ウニや漆黒の海についての考える余裕はなく、ジモルジモルジモルで満たされてしまっている。先ほどまであった良い気分も、丸っと吹き飛んでしまったようだ。


「こうなっては細かい事を気にしている暇はありません。何があろうと一刻も早く、ジモルを救出しなくては! あと少しだけ待っていてください、愛しのジモル……! この私がきっと救い出してみせますから……!」


 愛しき伴侶の為に悪を斬らん。改めて自身の目的を定めたラナは、眼前の漆黒の海も、そこに無数に浮かぶ機雷もおかまいなしに前進を再開した。それがどんな罠であろうと、そこにどんな意図があろうと、全く無視での突貫である。となれば、当然機雷との接触のたびに爆発が発生するもの。時には誘爆し、更なる不運に見舞われる事にもなるだろう。


「ああ、何て綺麗な花火なんでしょうか。赤があれば青があり、色とりどりの炎が私を出迎えてくれる。この鮮やかな光はジモルの下へと私を誘う、運命の道標だったのですね。光が私を照らし、焼けつくような痛みが私を激励してくれています! 速く、もっと速く走れ! その先にジモルが居るぞとッ! ジモルジモルジモルジモルジモルジモジモジモ―――」


 どういう訳なのか、機雷の攻撃を受けるごとに、ラナの泳ぐ速度は更なるスピードアップを果たしていく。最初の爆発が収まる前に次の爆発へ、そのまた次へと機雷による攻撃をハシゴ。肉体の再生能力を有する彼女であれば、ある程度の無茶は通ったかもしれないが、流石にこれはやり過ぎであった。その証拠に美しかった彼女の容姿は、現在言葉にするのも憚られるものと化しており――― だが、やはり彼女は止まらなかった。今の彼女の血に染まった目には、これら爆発でさえ祝福の声に聞こえているのだ。むしろ、進んで爆発に巻き込まれているようにさえ感じられる。


「あなた方の後押し、確かに受け取りました!」


 無理を通し黒き海を進み続けたラナが、遂に機雷地帯を突破する。ダメージを幾重にも受けた彼女の体も、これで漸く再生に集中する事ができるだろう。


「撃て、欠片の慈悲もかけてやるな」

「撃て、慈悲深く彼女の物語に幕を」


 尤も、相手がそれを許すかどうかは、全く別の話である。別々の方向から飛来した二つの砲弾は、彼女の下へと綺麗に吸い込まれていった。片や無慈悲に、片や慈悲深く。

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