第159話 壊滅は一瞬

 自称中堅どころの海賊、フックカトラスのグリスは慎重な男だった。フックを取り付けた奇妙な得物、誰得なダンスを何かと披露したがる悪癖ばかりが目立つが、彼の真の見所は危機的状況に対して、人一倍に敏感な点なのだ。そして現在、グリスは背中に冷たいものを感じていた。あの声を耳にしてから、鳥肌が止まらない。早く、早くこの海域から脱出しなければと、何かに訴えかけられているような、そんな気さえしていた。しかし、それはそれで何か不味い気がする。グリスは迷った。どう行動するべきかを。


 そして、彼が行動を起こす前に事は起こってしまう。最後方に控えていた他海賊船より、轟音が鳴り響いたのだ。船と海を断絶させる恐怖の音が、その場に居合わせてしまった者達全員へと、平等に届けられる。


「な、何事だぁぁぁ!? 思わず俺も足を止めちまったぞぉぉぉ!?」

「こんな時にもダンスしようとせんでください! って、ええっ!?」

「何々、どうしたどうした!?」

「せ、船団の最後尾についていた船が……!」


 大急ぎで甲板の後ろへ移動した手下が、愕然とした表情を浮かべる。手を結んだ海賊船の一隻が真ん中から両断され、その衝撃でなのか、空を舞い彼方へと投げ飛ばされていたのだ。中には今も船にしがみついている者の姿もあったが、空中にてあえなく海へと落下。その唐突かつ凄惨な光景に、一同は呆然と立ち尽くすしかない。


「……て、敵襲ッ!」

「どこからだ!? 警戒しろ!」

「敵船は!? 砲撃の音はしなかったぞ!?」

「アレが砲撃な訳ねぇだろ! 水中にやべぇモンスターか何かが居るんだよッ!」


 いや、意外と立ち直りは早かったようだ。どの海賊船の船員もキビキビと動き、周囲警戒に努めている。謎に包まれた敵の想定も、相当に正確なものであった。


「クラーケンか何かに、船底を突き上げられたのか!? やべぇな、それだと対処のしようがねぇぞ!」

「いやいや、大型船ではないにしても、船がぶっ飛んだんすよ!? どんだけ巨大なクラーケンすか!? つか、何かに斬られた感じじゃなかったっすか、あの断面!」

「えっ、クラーケンが剣を持ってたって事か? まさか…… 剣士型クラーケン!?」

「多分違うけど、現状からして頭から否定できねぇからツッコミ辛い……! ど、どっちにしたって、この海域は危険すよ! さっさと抜け出しましょ―――」


 ―――ズガァァァァン!


「「ヒィィィィッ!?」」


 手下の言葉を遮るように、再び轟音が奏でられた。


「またやられたぞ!? 今度はダラスんとこの船だ!」

「ふ、船ごと水中に引きずり込まれた……? おいおい、この海域はどうなっていやがんだ!?」

「ま、まさか、これが幽霊船の呪い、なのか……!?」

「クソッ! こんなのやってられっか! おい、急いで逃げるぞ! 面舵一杯―――」


 舵を切ってUターンしようとしていた一隻であったが、今度はその船が海中に沈められる。如何に周囲を警戒しようと、その魔の手は何の前触れもなくやって来るようだ。幽霊船を打倒しようと意気込んでいた屈強な海賊達も、こうなってしまえば最早尻尾を巻いて逃げるしかない。しかし、正体不明の敵はそれさえも許してくれないようで。


「おおお、おいおいおいおい、これってやべくね? これ、マジやばくね!?」

「やべぇっすよ! マジやべぇっす! 俺ら一番先頭っすけど、このままだとマジ時間の問題な訳で!」

「けけけけけ、けどけどよ! 何か逃げてもやば気だぞいぞいぞい!」


 船団の船は後部から順々に沈んでいる。が、この場を離れようと船団を抜け出した瞬間、順番に関係なくその船も沈んでいる事から、逃げたら逃げたで優先順位が繰り上がってしまうようだ。つまるところ、逃走は悪手なのである。


 その場に居残っても死の順番がいずれ巡る。逃走はイコール即沈没である為に論外。船を捨ててその身で逃げようにも、海のど真ん中で生き残れる筈がなく、そもそもこの悪夢の海に身を投じられる筈もなく――― 思考は巡れど答えは出ず。しかし、この間にも次から次へと新たな犠牲者が生まれ、最悪の現実は着々と迫っていた。


『……今、ジモルの事を馬鹿にしましたよね?』


 混乱の最中、グリスはふとある言葉を思い出す。それはこの怪異が起こる直前に聞こえて来た、あの謎の声だった。海賊としての実力はいまいち。だが、その上で長年この海で生き残ってきた彼の直感が、その言葉に強い関心を寄せて行く。ジモル? 馬鹿? なぜ俺らの会話のそこに反応した? なぜ、なぜ――― そして、閃く。


「お、おい! ジモルって凄い奴だよな!? 奴は俺の憧れだ!」

「はい!? せ、船長、この緊急時に何の話っすか!?」

「良いから俺に話を合わせろ! この場から生き残りたかったらな!」

「ッ! ……何か考えがあるんすね?」


 いつになく本気を感じさせるグリスの言葉に、手下の者達も覚悟を決めたようだ。いつもであれば笑い流す。だが、緊急こういった時のグリスに対する信頼は、相当に厚い。だからこそ、どんなふざけた行動も信じられる。


「あ、船長もそう思うっすか? ここだけの話、実は俺もジモルのファンなんすよ~」

「えっ、お前も!? 奇遇~、超奇遇~! なんつうの? 見た目の良さは言わずもがななんだけど、ふとした仕草から感じられる気品が堪らないって言うか? あんなのを見せられたら、女にモテるのも納得しちまうよな~」

「そうっすそうっす! 普通なら男として嫉妬しちまうところなんすけど、ジモルなら仕方ないっつうか、生物として圧倒的格上なんで、嫉妬するのもおこがましいっつうか!」

「やっぱー!? やっぱお前もそう思う~~~!?」


 グリスと手下はその後もジモルを褒め称え続けた。その間に他の船が両断され、投げ飛ばされ、或いは直接沈められている間も、必死に褒め続けた。遂には十三隻あった船団もグリスの船だけとなり、あれだけ騒がしかった周囲の轟音も鳴り止んでいる。今聞こえてくるのは、ジモルを勝算する声のみだ。そして―――


 ―――ズザザァ……


 海面より甲板に、ずぶ濡れの女が這い上がってきた。長い長い、恐ろしく長い髪の女だ。ゆっくりと、不気味に、殺意に満ちた圧迫感を放ちながら。その光景はホラー映画のハイライトシーンと言っても過言ではなく、兎にも角にも恐怖を駆り立てられる。船に乗っていた海賊達は、例外なく全員が涙目であった。


「……今、何と?」


 その女の声は、あの時の声と同じものだった。美声だが恐ろしい、耳にするだけで心と体が冷え込んでしまう。しかし、だからこそここが正念場。グリスらは今一度覚悟を決め、女を見据える。


「「ジモル、超かっけぇ!」」


 言った。言ってやった。グリスは勝利を確信する。


「……そちらの貴方、妙なフックを付けているようですが?」

「え゛ッ!?」


 が、カウンター。至極真っ当な指摘がグリスの動揺を誘う。


「あ、これっすか? いやあ、すんごいヘンテコなフックでしょ? うちの船長、本当は憧れのジモルの真似をしたいんですけど、自分が真似たらジモルに失礼極まるって事で、妥協でネロの真似をしてんすよ。まあ、ネロなら自分の身の丈に合ってるよね? それくらいは許されるよね? ってノリですはい」

「……そうなんですか?」

「そ、そうなんです、自分にはこれがお似合いかと……」

「……ですよね~♪」


 それまでの緊張感が嘘のように、何とも間の抜けた声がした。


「フフフ、あなた方は素晴らしい感性をお持ちのようですね。とても気に入りました。その調子でジモルの魅力を末代まで伝えていくのですよ? 神様はきっとご覧になられています、きっと天国へ逝けるでしょう。フフフ……」


 女は満足そうに何度も頷き、そのまま海へと帰って行った。ちゃぽんと、最後にそんな軽い水音だけを立てて。


「……お前さぁ」

「話を合わせろって言ったの、船長ですから。これでも感謝してんですよ、本当に……」


 自称中堅どころの海賊、フックカトラスのグリス。今日も今日とて危機を乗り切り、過酷な海の世界を生き延びる事に成功する。

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