第157話 ハルパの過ち

 大公国ハルパ、キアスプーン大陸中央部に位置する彼の国は、神皇国ラヴァーズに次ぐ国土面積を誇り、大陸における第二の強国として知られている。そして、神皇国ラヴァーズと軋轢がある事でも有名であった。と言うのも、十数年前にラヴァーズが台頭する以前までは、キアスプーン大陸における覇権国はハルパであったのだ。最も聡明な者をトップの大公を据え、潤沢な人材と豊富な資源を武器に手堅く立ち回り続ける。そういった長い年月の積み重ねが実を結び、大陸最強の地位にまで成長していった歴史こそが、ハルパの誇りだった。


 だからこそと言うべきなのか、建国から十数年ほどの新興国ラヴァーズに大陸の覇権を握られるなんて事は、ハルパの反感を買う行為に他ならなかった。またそれだけならまだしも、ハルパの優秀な人材がラヴァーズ教団に入信し、ヘッドハントをされる形であちら側に登用される事も珍しくなく…… 挙句の果てには、その時代の大公がラヴァーズの聖女に入れ込んでしまうという事態に陥る事もあり、ハルパはその長い歴史と同じく、ラヴァーズに対する憎しみも積み重ねてしまった。結果、ハルパに残された者達は今もラヴァーズを憎悪しており、険悪な関係が続いているのである。


 そんな状況下でよく分からぬ女に領土を素通りさせ、一切手を出すなと言われても、はいそうですかと素直に従う筈がないだろう。むしろ、ラヴァーズの何らかの策略なのではないかと、そう疑ってしまうのが自然な流れだ。そして、こうなってしまったハルパは意固地だった。ジークがハルパの友好国経由で注意喚起の話を流しても、それさえも疑いにかかってしまう。その方針は最後の最後まで変わる事なく、最終的に大公が下した判断は―――


『例の女はラヴァーズの宣教師に決まっている! 適当な理由を付けて、我が領土内で怪し気な工作活動をするつもりなのだ! 絶対に通さず! これが我の決定である!』


 ―――予想通りのものになってしまった。これまでのラヴァーズの敵対国と同じく、警告を無視するどころか、その警告こそがラヴァーズの罠だと勘ぐってしまったのである。


「彼の女は絶対に通さず! 大公の言葉を思い出せ! ラヴァーズへの怒りを思い出せ!」 


 以前よりも力が衰えたとはいえ、ハルパは今も尚まごうことなき強国だ。兵の数が多いだけではない。武力と魔法を高い次元で調和させ、その戦闘法を一般兵士レベルに叩き込んでいる。質と量、その両方を極めんとするハルパが本気になれば、ラヴァーズの最大戦力である宣教師にも対抗し得るのだ。相手は宣教師一人、されど慢心はせず。交戦の用意は万全――― の、筈だった。


「こ、国境の砦が突破されました! 備えていた第七騎士団と兵達は全滅! 宣教師の女は無傷のままです!」

「第三、第四騎士団が大軍を率いて交戦しましたが、半刻も持たずに敗走! 如何なる武器も魔法も効果は認められず!」

「進路方向に設置した罠、山間部からの落石、弓などの遠距離からの攻撃も駄目です! 罠はそのまま踏み潰され、どこから攻撃を行っても、次の瞬間には首が飛ばされてしまいます……!」

「進路上にあるグリド大森林を火をつけ、焼死させる策ですが…… 効果、見られず…… むしろ、こちらの被害が甚大です……」

「ガ、ガルストン武公爵が討たれました…… 共に向かった狭間の勇者と紅の賢者も、武公爵と同じく……」

「大金を用意した上、闇夜の牙に暗殺を依頼しましたが、凝った自殺に付き合う事はできないと言われ、その……」

「貴族達が動こうとしません。残る通過地点に重要拠点はなく、ならば大人しく通せば良いと、そのように考えを改める者が多いようで……」

「馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁッ!?」


 連日舞い込む悲報を受け、ハルパの首脳陣の有り様は阿鼻叫喚としか言えない状態に至っていた。考え付く限りの防衛策をいくら講じても、たった一人の女を止める事ができない。鉄壁の砦も、膨大な兵力も、精強な騎士団も、残酷な罠も、領土を対価にしてまで行った策も、最強の英雄も、裏世界に生きる者達も――― 誰が何をしても止められない。今も尚、女は無傷のまま悠々と歩き続けている。悪夢が現実に舞い降りた、最早そう称するしかなかった。


「……宮廷魔導士を全員集めよ。いや、国内に居る魔導士全てを集めるのだ」

「た、大公、一体何をさせるおつもりで……?」

「フッ、貴族共の言を聞くに、奴が向かっている進路、その先に重要拠点はもう何もないのだろう? ならば、もう奴ごと全てを洗い流してしまえば良い」

「ま、まさか……」

「そう、大洪水を引き起こすのだ。あの化け物がどんなに強靭であったとしても、母なる海の眷属たる激流には逆らえまい。奴を殺せずとも、早々に我が国から追放する事ができる。他国があの怪物の進行に屈服し敗北する中、我が国だけは力づくで叩き出したと、面目を保つ事にも繋がるだろう。今は亡きクロスベリアに匹敵する魔法の力を有する我々であれば、それも可能であろう?」

「……国中からとなると、相当の時間を要します。それでもよろしいでしょうか?」

「幸いにもあの怪物は鈍足だ。しかし、急がせよ。一分一秒でも彼奴がこの地に留まるのは、我が国にとって屈辱以外の何ものでもないのだ」


 それからハルパは大公の命を現実のものとする為、全ての力をそこに注いだ。宮廷魔導士が総がかりで描いた巨大魔法陣、その内部に集まったのは、ハルパ全土から集められた熟練の魔導士三百名あまり。魔法陣により魔力の強化が行われ、その上で全員が一つの魔法の完成を目指し、詠唱を続けていく。そして、その時はやってくる。


「おお、何とも見事なものだ! 流石は我が国の魔導士である!」


 怪物の進路上をなぞるようにして放出される、魔法によって生み出された大洪水。目標としていた怪物だけでなく、そこにあった自然や村々をも巻き込み、その全てを押し流していく様子は、恐ろしいとしか言いようがない。ましてや、そこはハルパの領土なのだ。しかし、大公は歓喜した。これであの怪物を排除できる。ラヴァーズ何するものぞと、ハルパの底力に酔いしれていたのだ。


 ……しかし、大公の脳に分泌されていたドーパミンの働きは、ここで止まってしまう。何か、何かとんでもなく嫌な予感が、脳裏をよぎったのだ。


「ああ、そこに居らっしゃったのですか。遠くから目障りな悪意を飛ばしていたの、貴女ですね?」

「は? あっ―――」


 嫌な予感がしたその次の瞬間、ハルパの女大公・・・は自らの城ごと左右に両断され、絶命した。どこからともなく現れた巨大な斬撃は、その一撃のみで大国の中枢を屠ったのだ。


「……悲しい、ええ、悲しい事です。貴方は私からジモルを奪い取ろうとしていたんですよね? ジモルがあまりに魅力的だから、力づくで別れさせようとしていたんですよね? 何て心無い方なんでしょうか。界における害でしかない、悲しいお方……」


 彼の怪物は泣いていた。絶えず流れ込む激流の中で静かに佇みながら、この世界の不幸を憂いていた。最早地に足は全くついていない状態の筈なのだが、なぜかその場所から微動だにしない。


「……あら? いつの間にか、恵みの水が流れていますね? やだ、全く気が付きませんでした。お恥ずかしい…… ですが、これは僥倖。水の流れがあるのであれば、ジモルの元へ急げます。ああ、神様は良き行いをする者を、ちゃんとご覧になってくださっているのですね。心から感謝致します、これからも害虫は駆除します……」


 大剣を宙に放り投げ、両手を組んで祈りを捧げた後、落ちて来た大剣をキャッチ。その後、彼女の姿は水の中へと消えて行った。かくして、彼の怪物はハルパの去ったのである。大きな爪痕のみを残して。

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