第71話 ジェーン

 昨日までとは別物となった拠点内を歩く。別に道を整備した訳でも、小洒落たモニュメントがある訳でもない。ただ住宅を設置しただけなのだが、不思議と港街の一角らしく目に映るのは、配置の仕方に匠が携わってくれたおかげだろう。


 昨日、高額な費用とはまた別の意味で苦労したのが、この建造物の配置であった。俺にはダンジョンマスターとしての能力はあるものの、街の並びを決める事に関しては、当然ながら何の能力もない。これは船の時もそうだったが、ずぶの素人に任せても厳しいというのはお察しの通りだろう。建物を購入し十分な敷地を確保した後になって、俺はそんな当たり前の事を思い出した。苦し紛れに自分のセンスで並べても、住宅を等間隔で配置していく事しか思いつかない。それはそれですっきりした街並みになるだろうが、本当に他に何もない状態だと逆にすっきりし過ぎている。これは一体どうしたものかと、俺は悩みに悩んだ。


『あ、ああああ、あの……』


 と、そんな時に声を掛けてくれたのが、グレゴールさんの娘さんであるジェーンだった。入江の難破船で交渉をしていた際、俺は彼女の姿を目にした覚えがなかったのだが、実は物陰から俺達の様子を窺っていたらしい。話をしてみたいという好奇心は人並み以上にあったが、どうも彼女は極度の照れ屋なようで、なかなか歩み出る勇気が出なかったそうなのだ。


 そんなジェーンが話しかけてくれたきっかけとなったのが、拠点マップを広げ頭を悩ませている俺の姿だった。世界各国の街の造形に詳しかった彼女は、そんな俺を見るに見かねたのか、おそるおそるではあるが街並みについてアドバイスをしてくれたのだ。


「それでこれから会いに行くのが、そのジェーンって娘なのね……」

「そういう事。歳は確か、俺と同じ十八だった筈だ。人見知りなところもあるけど、アークの事を話したら快く了解してくれたんだ。向こうも今頃、大丈夫かなって緊張してるかもな~。はははっ」

「ウィル、笑い事じゃないから! 私、とっても真面目だから!」

「なら普通に歩いてくれ。俺もそろそろ腕が疲れてきた」


 俺はアークと並んで、というかアークを少し引きずるような形で街中を歩いていた。色々と察して頂いているんだろう。すれ違う人すれ違う人、アークが余計に怖がらないよう、皆若干離れた距離から挨拶をしてくれる。俺は普通に挨拶し、アークはその度に俺の陰に隠れるのを繰り返すばかり。こいつはなかなか手強いですぜ。


 俺達の目的地は当然、グレゴールさんの一家に割り当てられた家だ。昨夜の約束通り、アークの苦手意識を解消する為、俺が仲介役となってジェーンに会わせる。万が一にアークが錯乱して暴れたとしても、その攻撃はジェーンには当たらず、俺にしか届かない。安全に配慮した万全の備え、という訳だ。 ……万全? 俺には当たるけど本当に万全かな、これ?


「ふわっ…… にしても、眠いな……」

「何よ、昨日は十分早い時間に寝たじゃない? 私としては物足りないけど、いっつも朝の早いウィルなら、むしろ寝てる方でしょ?」

「そ、そうだな。うん、そうだった……」

「?」


 ベッドに入った途端に眠ったアークは、そりゃ知らないだろう。俺は昨夜、一睡もする事なく朝を迎えたのだ。誰にも言えない事だから、あの状況で不動を貫いた俺を自分で褒めてやりたい。頑張った、頑張ったぞウィル! 眠いけど……!


 少し時を遡ろう。今朝、俺がいつも起床する一時間くらい前の時間になって、最初に起き出したのはクリスだった。起床後、うーんと腕を伸ばしたクリスはその直後にそっとベッドを離れ、深夜に部屋を訪れた時と同様、物音を一切立てず静かに部屋を去って行った。メイドとしての矜持なのか、退室前に一礼をしっかりと行うクリス。流石だと言いたいところであるが、俺のベッドに入り込んだ経緯が不可解過ぎて、素直に称賛はできなかった。昨夜の事について深く尋ねて良いものなのかも分からず、この件は現在保留中。とりあえず今のところ言えるのは、今朝のクリスは頗る調子が良さそうだった、という事だけだ。信じ難い事ではあるが、マジで疲労は回復しているらしい。


「っと、ここだここだ。アーク、心の準備は?」


 三人家族用に建造した、比較的大きな家の前に到着する。ここがグレゴールさんのお宅である。


「ちょ、ちょっと待って。もっかい覚悟を決めるから…… スゥ、ハァ~~~」


 そう言って、アークが大きな深呼吸を三度ほど繰り返す。


「……よっし、いけるわ!」

「了解。じゃ、扉を叩くぞ」


 ───トントン。


「は、はいっ。あい、開いています、よ……!」


 家の扉を軽くノックすると、中から笛のように澄んだ、ただし若干、いやかなり緊張した様子の声が聞こえてきた。これはアークと良い勝負になるかもしれない。俺はそっと心の中で察してしまう。


「お邪魔します。ほら、アークも」

「おおおじゃおじゃ、おお邪魔、してあげるわ!」


 お前は何様だとツッコミを入れ、緊張のあまり呂律の回っていないアークを家へと入れる事に成功。まずは第一段階突破というところか。


 改めて家の中に視線を移す。玄関から入ってすぐに居間、という構造の家になっているので、本日の歓談場所はもう目の前だ。三人が掛けられる席が用意されており、ジェーンの小柄な姿は既にそこにあった。


 グレゴールさんの髪色は茶色なのだが、ジェーンの髪は奥さん譲りの爽やかな水色だ。クルクルっと毛先のみが巻き毛になっていて、何と言うか髪だけを取ってもお嬢様感がある。衣服は煌びやかかつ上等な品で、船が難破した際に身に着けていたものらしい。


 グレゴールさん曰く、ジェーンは街一番の美少女だったそうだ。グレゴールさんが言うと父親としてかなり贔屓しているように感じられるが、そうなんだと自然と納得してしまうだけの、儚げな美しさをジェーンは持っていた。彼女がそこでただ黙って佇んでいるだけで、雅な空気がこの場を支配してしまう。


「どどどど、どうぞごゆっくりしてくださささ……!」


 ……そう、静かに座って黙ってさえいれば。ジェーンは椅子の背もたれの後ろに隠れながら、俺達をオロオロと出迎えてくれた。うん、快く出迎えてくれているのかな? それとも怖がっているのかな? どちらを優先しているのか、正直判断が難しいところだ。


 ともあれ、俺達は席へと着く。アークとジェーンが向かい合う形で座り、仲介役の俺がその間に位置する席順だ。


「ほほ、本日はお日柄もよく大変なお洗濯日和ででで……!」

「ガァルルゥ……!」


 背もたれに隠れパニくるジェーン、同じく背もたれに唸りながら隠れるアーク。だから君ら、まずは着席しろと。幽霊と闘技場チャンプが背もたれを盾にしているこんな光景、傍から見たら何をしているのか全く分からないぞ。


「えーっと…… そういえばジェーン、今日はグレゴールさん達は留守なのかな? さっきから姿が見えないけど?」

「え、ええ、そうなんです、ウィル様。お父様もお母様も、自分達がいると余計に混乱させるからと……」

「……ウィル様ぁ? 何て呼び方をさせてるのよ、ウィル。貴方、そんな趣味があったの?」

「そこに噛みつくの!?」


 助け船を出したつもりが、今度は俺が砲撃の的になってしまった。しかも俺に向けての砲撃は、やけに冷徹で正確である。


「いいい、いえいえ、そうではないののです……! わわ私、基本的に人をお呼びする時は様付けをするのが、くく、癖になっておりまして…… その、アーク様とお呼びしても?」

「ま、まあ構わないわ。ウィルだけ様付けにされるのも癪だし、百歩譲ってあげる!」

「ああ、あり、ありがとうございます! 私の事は気軽にジェーンと呼び捨てて頂ければ光栄の至りの存ずるところででで……!」


 会話自体は不器用にもほどがあるレベルだが、ちゃんとキャッチボールはできている。第二段階も思いの外早くに突破。これは改善の兆しが見えてきたぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る