第70話 ピンチはチャンス、でもピンチはピンチ

 どうしてこうなったのか? 数分前の自分を徹底的に問い詰めてやりたい。俺はそんなできもしない事を考えながら、ベッドへ横になっていた。 ……アークと一緒に。


『……自分の部屋で寝なさいよ。流石にそれはまずいって』

『まずいどうこう以前に怖いのよ、私! 責任を取って仲を取り持ってくれるって言うのなら、それまで責任を持ってウィルが私を護るべきよ! ほら、愛用してたマイ枕も持って来てるから!』

『いやいや、そういう問題じゃ───』

『持って来てるからッ!』


 ずっと抱き締めていた少し大きめの枕を、俺に強調する為にずいっと前に押し出すアーク。そして涙目&端から俺の話を聞く様子が見られない。俺は黙ってアークの要求を聞き入れ、同時にベッドへと招き入れる事しかできなかった。


 とまあ、俺とアークはこのような会話を経て、今に至ってしまった訳だ。不覚、まったくもって不覚である。クリスの時もそうだったけどさ、健全な男子の俺がこの状況で無事に眠れると思ってるの? 無理だよ無理ゲーだよ、こんなの。冴え渡った俺の全身は、酷く周囲の変化に敏感な状態になっているんだ。呼吸音もそう、ほのかに香る匂いだってそう、温もりだってそうそうそうの、そう尽くしだ! いつもなら朝までぐっすり爽快な俺も、こればっかりはお手上げだよ!


 ……だけど、これはアークの幽霊恐怖症を少しでも和らげる為の応急処置。淫らな思いなんてして良い筈がなく、アークだって必死に耐えながらここにいるんだ。趣旨は違えど、踏ん張ってるのは俺だけじゃない。そう思えば、多少は気が楽になるってもんだろう。


「くぅ…… ふへぇ、今日は肉尽くしぃ…… すやぁ……」


 いや待て寝てるわこれ。しかも良い夢見てるわこれ。俺が勝手に葛藤している間に、アークさんはフライング気味に夢の中へと旅立っていたらしい。ねえ、そんだけ一瞬で眠れるのなら、俺のベッドで眠る必要なかったんじゃない? これから俺はどう寝れば良いのよ、ねえ?


「めぇしぃ……」


 また飯かーい! ハァ、よっぽど今日の飯が美味かったんだろうか…… ん、いや、もしかしてこれは飯ではなく─── 滅私!? 俺に我欲を捨て、無心になって眠れと!? 無意識なのに滅私の精神で臨めなんて適切なアドバイス、よく言えたもんだよアーク……! 分かった。俺、もう少し頑張ってみる……!


 ───無心になってまぶたを閉じ、ただただ眠ろうと努力する。アークのアドバイスから、一体どれだけの時間が流れただろうか? あくまで俺の体感時間でだが、おそらく一時間、いや二時間は経ったと思う。アークが寝ぼけて裏拳をかましてきたらどうしよう、なんて考えが頭を過った事もあったが、幸いにもアークの寝相は良く、俺が重症を負うような惨事は起こらなかった。


 だがしかし、俺は相変わらず寝られずにいた。と言うかさ、もう欠片も寝られる気がしないんだよ。途中からもう寝られなくて良いから、外の祭りに合流しようかと考えもしたけど、その時には宴の喧騒は消えてしまっていた。無心になろうと必死だったから、既にお開きになっていた事に気が付かなかったのだ。エーデルガイストの皆さんは紳士淑女なだけあって、幽霊でも夜はしっかりと眠るらしい。ぐっ、何ということだ……!


 ───ガチャ。


 心の中で苦悶していると、扉の開く音が微かに聞こえてきた。周りに気付かれないようにそっと開けたような、そんな感じの音だった。こんな時間に一体誰だろうか? いや、気のせいか? 横になったままうっすらと目を開けて、扉の方へ視線をやる。


「お部屋、お邪魔しまーす……(超小声)」


 こっそりと入室して来たのは、寝間着姿のクリスであった。俺が寝ているのを確認するように、おそるおそるといった様子で部屋の中を見回している。こんな時間に部屋を訪れるなんて、何か緊急の用件でもあるのかな? 俺は特に疑問に思わず、クリスに対応する為に起き上がろうとする。が、ここで俺の冴え渡った脳が、緊急の待ったをかけた。


 俺の部屋には今、どこに誰がいる? ああ、答えは簡単だ。隣にアークがいる。イコール、あらぬ誤解を招く恐れが大いにある! やべぇ、今日は誤解だらけだ! いかんいかん、これはいかん!


「マスターは…… 流石に寝てますよね?(超小声)」


 だ、だけどここからどうしろと? 硬直して起きるタイミングを逃してしまった今、今更起きるのは不自然過ぎる。起きたところで、この状況を凌ぐだけの言い訳を話す自信は微塵もない。つまり、狸寝入りを決め込んでクリスがアークを発見せず、そのまま部屋を出て行ってくれる事を祈るしか、道は─── ないっ! 頼むクリス、俺はもう熟睡しているんだ。緊急であったとしても、報告はどうか明日にしてくれぇ!


 バクバクとした心臓の大きな音が鳴り続ける。耳を澄ませばアークの寝息が聞こえてしまい、それが俺の心拍数上昇に拍車を掛ける。頼む、この祈りよクリスに届けっ! 神よ、今ばかりはっ!


「……えっ、何でアークさんがマスターのベッドに!?(超小声)」


 駄目だった。クリスはベッドの横にまで来て、ばっちしアークの姿を視認した。そもそもクリスは天使の見た目をした悪魔で、祈りなんてものとは無関係。この世界の神は当てにならない存在だしで、もう何もかもおしまい。俺の株価が大暴落するのも間違いなしだ……


「ああ、なるほど。アークさんも私と同じで、マスターから元気を分けてもらいに来たんですね。うんうん、その気持ち、とってもよく分かります! まさかアークさんが同志だったなんて、驚きです!(超小声)」


 俺の悲壮感とは裏腹に、なぜかクリスは一人で理解したような、そんな台詞を小声で喋っていた。しかし、なぜだろうか? 今の言葉、俺は途轍もない違和感を感じてしまう。


「ではでは、私も失礼しま─── あ、ちょっと狭い…… 詰めたらギリギリいけるかな? よい、しょ……」

「───っ!?」


 驚きのあまり声を出しそうになってしまった。なぜって、クリスがベッドの布団に入り込んで来たからだ。このベッドは経費削減を目指して購入したシングルサイズ、アークと並んで寝ていてただでさえ狭いのに、更に逆サイドからクリスまで入られると、もうほとんど隙間がない。というか、俺の体に半身を預ける形でクリスが重なってきたので、もろに接触している。この接触度、かつての寝袋以上。全ての感覚がダイレクトもダイレクト。


「すぴー」


 そしてこれも思い出した。クリスの寝つきの良さは、アークとタメを張るほどである事を。俺を混乱の最中に突き落としておいて、当の本人は既にぐっすりである。


 俺は俺で外見上はクールな澄まし寝顔のままだが、何々、一体何なの!? 何が起こったの!? なんて、内心思いのままに叫びたい心境だった。もしかして部屋を別にしてからも、日常的に俺のベッドに入り込んでいた、とか? いやでも、それこそ何の為に? あ、元気をもらうとか言ってたっけ? ……これで元気になるの!?


 狼狽えに狼狽え、もう思考のコントロールが上手くいかない。クリスの半身が被さっている為、最早ベッドから逃げる事もできなくなった。完全に詰み、である。


 アークだけでも二時間眠れなかったのだ。二人に挟まれたこの状況では、眠るなんて贅沢は絶望的だろう。俺に今できるのは、コントロール不能となった思考を今一度引き戻し、覚悟を決めて最低な行為だけはしないように頑張る、それくらいだろう。 ……本当に頑張れるのか、俺?


「ふへへぇ…… だからぁ、めぇしぃだってぇ……」


 君さ、本当は起きてない?

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