第58話 本音

 サウスゼス王国騎士団本部。王城に併設されたその砦の純白さは、そこに住まう騎士達が如何に高潔であるかを表している。騎士団長であるジーク・ロイアは、正にその象徴とも呼べる存在だ。常に人々の模範であれ。そんな信条の下に築かれた彼の戦果は華々しく、されど節制を重んじ欲をかかない聖人の如き性格をも持ち合わせている。もちろん美しい容姿も人気に拍車を掛けているのだろうが、その内面に心惹かれる者が多いのも事実だ。部下や民衆、果ては気難しい貴族にまで懇意にされるジークは、サウスゼス王国の宝と言っても過言ではないだろう。


「あー、美味しいもの食べたいもっと遊びたい可愛い娘とイチャコラしたいよー……」


 そんな高潔である筈の騎士が、本部の騎士団長室で凄い発言をぶちかましていた。机に顔を擦り付け、ただただ脱力しているその姿は、普段見せている高潔なものとはかけ離れている。いや、かけ離れているにしてもほどがあった。


「これまたとんでもない爆弾発言が出てきましたなぁ。お願いですから、身内以外の前では間違っても止めてくださいよ? 失言は団長のイメージを損ないますので。某との約束です!」


 同じく部屋にいた副団長のサズが、ジークに向かってきつく注意喚起をする。妙に指導が手慣れているあたり、こういった失言は初めてではないようだ。


「分かってるよ、重々承知の上さ。でもやっぱり不便だよね、私のスキル…… こんなにも素晴らしい容姿なのに、遊べないなんて全く意味ないよ。美の無駄遣いにもほどがある。秩序を重んじるのは素晴らしい事だと思うけどさ、やっぱり程度ってものがあると思うんだ。食は三食もれなく質素に、休日だろうと惰眠は貪れず、欲に溺れる事もできない…… 人生と同じで、この綺麗な肌にも張りが出ないってものだ。そうとは思わないかい?」

「ハッハッハ! 確かにそうかもしれません! ですが団長は不満を漏らすだけで、しっかりと規律は守ってくれますからな。我々部下一同、心から感謝しております。我々も高潔である事を目指し、同じ生活を共有しますので、どうかご容赦を!」

「そんな事言って、私を抜きにして皆で美味しいものでも食べているんじゃないの? 別に私の清貧生活に付き合う必要はないんだよ?」

「……いいえ、某が断言しましょう。某を含めた部下一同、絶対に期待を裏切りません。何せ団長は、あの地獄の海から某らを救ってくださった、真の英雄なのですから」


 大きな声のトーンを僅かに落とし、サズがジークに敬礼する。


「恥ずかしいから止めてよね、そういうの。体中がむず痒いよ。でも、ちょっと懐かしくはあるかな? 北方の海からサズ達を助け出して、もう十年だっけ?」

「ええ、きっかり十年になります。全てが懐かしく感じられますが、同時に団長とのあの劇的な出会いは、昨日のように鮮明に思い出せ───」

「───だから、恥ずかしいってば! お口にチャックを忘れてるよ!」

「何を恥ずかしがる必要がありますかっ! それに某、チャックなるものを知りませんからな! ここは言わせて頂きましょう!」

「あ、これ語るパターンだね?」

「当時北方の海にて新鋭海賊の頭として台頭していた某は、それはもう酷く調子に乗っておりました。自らの力を過信し、仲間の命を危険に晒し続ける日々を送っていたのです。その結果があの惨状、あの悲劇。まさか年端もいかぬ少女が率いる船団にあそこまで蹂躙されるとは、夢にも思っていませんでした。某も一味の手下であった部下達も、あの時に団長が助けてくださらなかったら、疾うにこの世とはこの首と一緒におさらばしていた事でしょう。だからこそ、団長の支えになろうと皆本気になるのです」

「たまたまだよ、たまたま。私は悪党を倒して善行を積んでただけ。ほら、悪人相手にバトるくらいしか、私にできる娯楽ってないじゃん? そんなところに助けを求める人がいれば、まあ助けない訳にはいかなかったって言うか……」

「またまた、ご謙遜を! 化け物のような船団相手に、たった一人で立ち向かう団長のあの勇姿、忘れてはいませんぞ! 普通、義務感だけであんな事はできませんからな!」

「はあ…… 何を言っても肯定的に捉えるんだから、サズは。当時八歳の私に心酔するなんて、どう考えてもおかしいと思うよ?」


 ジークは窓辺に立ち、綺麗に整備された本部の中庭に目をやった。彼女がこれを見たら、自由がないと絶対に馬鹿にするだろうな。なんて、ふとそんな思いがよぎる。


「それに、私には打算的な考えがあった。神の駒がまだ世界に揃っていない時、駒同士は敵対してはいけない。このゲームにはそんな取り決めがある。要は私がサズ達の前に立てば、黙っていても彼女はあの場から去ってくれたんだ。あの時の彼女の表情といったらなかったね。まあ適度に恩を売って、君らに手伝ってもらおうとも少しは思っていたけど…… ここまで尽してくれたのは、流石に予想外だったかな」

「そう言って包み隠さず本心を話してくれるのも、我々を心酔させる要素の一つだと思いますが?」

「ああ、そう…… なかなか嘘をつけないこの身が憎らしいよ」

「ハッハッハ! しかしながらあの少女、ああ、今は蒼髑髏のバルバロを名乗っていましたか。仮にバルバロの一味を相手に戦う事になったとしても、団長なら楽に勝てたのではありませんか? というより、十年の付き合いになった今でも、某は団長の負ける姿が全く思い浮かびませんので」


 それほどにジークは強い。サズは何度も何度も強調して、ジークの強さを褒め称える。


「いやー、どうだろう? あの頃の私はスキルを満足に使いこなせていなかったし、逆に彼女は実戦で鍛えに鍛えていたっぽいからねぇ。それに『海の神』の駒だけあって、海は彼女のフィールドだ。策もなしに真っ向から戦うのは、今も避けたいところだよ。ま、卑怯な手が使えない私にとって、策とかは思いっ切り苦手分野になるんだけどね」

「なるほどなるほど。バルバロは敢えて初戦相手から外し、功を焦らず敵は厳選するという事で?」

「フフッ。そうしたいのは山々だけど、彼女は悪性が強くてね。倒した後の見返りも、相当でかいと思うんだ。強敵だからって見逃すには惜しいほどに、ね?」

「ハハッ、そう言うと思っておりました! 団長は先日、アークの件でワクワクしていたほどですからなぁ。おっと、そうでした。アークは如何致しますか? あちらもバルバロ同様、団長好みの強い女性に間違いありませんぞ?」

「そこ、そこなんだよぉ。どっちも魅力的でホントに迷う、迷っちゃう! うーん、サズ的にはどっちが美人だと思う?」

「どっちが強い、ではなくてですか?」

「強いってのはもう分かってるの! 私はアークを見た事ないし、バルバロだって十五の頃の姿しか知らないんだ。少なくともサズは、アークを見たんでしょ? 節度あるお付き合いしかできない私にとって、唯一女性と触れ合う事ができるこの戦いはチャンスなんだ! サズ、私の未来は君にかかっている! どっちが良いかな!?」


 サズに負けず劣らずな声量で、ジークが猛った。色々と愚痴れるようにと防音に仕立てたこの部屋だからこそできる、紛うことなき本音の声である。


「あー、えー…… バルバロについては伝聞するところでの情報しかありませんが、おそらくはどちらも飛び切りの美人系、更にはスタイルも甲乙付け難い勝負になるかと。後は団長の好みとしか言えないので、某には判断つきませぬ」


 そりゃそうであった。


「クッ、そうか…… もうコインで決めちゃう?」

「両者ともどこにいるのか現在調査中でありますし、それも一興かと。あ、一興ならコインは駄目ですね。制約に引っ掛かります。やはり団長自ら決めてください」

「うああ、そこもか! 本当にこの身を呪いたい……!」

「まあまあ、落ち着いて。その上で敵の駒を一つでも取ったら、お祝いに奮発してイカ墨パスタでも食べましょう。それくらいの贅沢なら、『秩序の神』様もお許しになるのでは?」

「……まあ、一食だけなら良いか。でも何でイカ墨?」

「巷で噂の良い店があるのです。そして某は、猛烈にそれが食べたい!」

「そ、そうなのかい」


 苦笑いを浮かべるしかないジークは卓上に置かれた盤上遊戯用の駒に視線をやり、少し迷った挙句、そのうちの一つを手に取った。

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